生きがい 「卓球とは生きがい」ーー。そう語る杉本和也(スポ4=福岡・希望が丘)だが、早大卓球部での4年間は決して平たんな道のりではなかった。入学時には新型コロナウイルスが猛威を振るい、練習もままならない状況に。さらに3年時には実業団への道が…

生きがい

 「卓球とは生きがい」ーー。そう語る杉本和也(スポ4=福岡・希望が丘)だが、早大卓球部での4年間は決して平たんな道のりではなかった。入学時には新型コロナウイルスが猛威を振るい、練習もままならない状況に。さらに3年時には実業団への道が閉ざされ、「人生で一番の挫折」と自身が語るほどの経験もした。それでも、チームのため、自身のため、再起を果たした主将の4年間を振り返る。


 春季リーグ戦、新チームで初の団体戦では主将としての貫禄を見せた杉本

 家族の影響で始めた卓球。両親、姉二人も卓球をしていたことから、物心ついたときには姉二人についていき卓球をしていたという。小学生の頃は卓球へのモチベーションが低く、成績も残せなかったという杉本。しかし中学生になると、地元神奈川県を離れ、福岡県で卓球留学をする。さらに高校は福岡県の名門・希望が丘高校に進学。この高校での3年間が杉本の卓球観を変えた。「仲間とともにやっていくうちに日本一を目指すようになった」と杉本は語る。

 早大卒の祖父、そして家族の後押しを受けて早大への入学を決めた杉本。しかし入学早々、新型コロナウイルスに見舞われたことにより大学の練習場が使えず、実家で過ごすことを余儀なくされた。それでも、実家の卓球台で姉と二人でボールを打ち、卓球から離れているときも卓球のことを考えるほど、卓球への愛はほとんど変わらなかったという。2年生になると、非公式ではあるが秋季関東学生リーグ戦(秋季リーグ戦)で初のリーグ戦を経験。「選手一人一人が危機感を持ち切れなかった」と、秋季リーグ戦最下位に沈んだ結果を振り返る。しかし、この経験によりチームに大きな危機感が芽生え、練習への取り組みも今まで以上に意欲的に行うようになった。また、3年生となるタイミングで、濵田一輝(スポ2=愛知・愛工大名電)の入学も相まってチームが優勝という大きな目標に向かって一丸となることができたという。その結果、昨秋の最下位という結果から一転し、3年時の春季関東学生リーグ戦(春季リーグ戦)では2位という好成績を残した。


 唯一の同期、柏竹琉(スポ4=エリートアカデミー)とハイタッチを交わす杉本

 さらに全日本大学総合選手権団体の部(インカレ)では8強入りを果たし、チームにおいて杉本は欠かせない存在に。しかしその一方で個人戦の成績に苦しむこととなる。大学卒業後は実業団に入り、卓球を続けることを夢見ていた杉本だったが、全日本大学総合選手権・個人の部(全日学)で2回戦敗退。志望していた実業団への道が閉ざされ、最大の挫折を味わった。それから1か月卓球に対する熱が冷めてしまったという。しかし1月に控える全日本選手権を前に監督やコーチ陣からかけてもらった「お前を勝たせたい」という言葉が杉本を再び奮い立たせた。「もう一回最後自分のためじゃなくて早稲田のためにこの1年間頑張ろう」。そう決意してラストイヤーを迎える。

 4年生になり、唯一の同級生である柏竹琉(スポ4=エリートアカデミー)と話し合った末、杉本が主将に就任。チームが始動して迎えた春季リーグ戦では5位に終わり、コーチから「チーム力がまだ足りてない」と指摘される。すると杉本はチームをまとめるため、良い雰囲気で練習をすることを意識し、卓球以外でもみんなで同じことを行って団結力を高めた。これが功を奏し、インカレ予選リーグを1位通過。決勝トーナメントでは昨年度準優勝校である愛工大に敗れてベスト8に終わったものの、杉本自身は相手のエースに対して自分の実力120%を出しきって勝利を収めた。大学時代の一番印象に残った試合だという。秋季リーグ戦ではさらにチームの結束力が高まったことで、総合順位を3位とし、春から2つ順位を上げる結果となった。


 秋季リーグ筑波大戦、安定感のある試合展開で勝利を収めガッツポーズをする杉本

 杉本は主将を務めてみて「みんなが一緒の目標に向かってやれていて苦労はなかった」と振り返る。口だけで指示をするのではなく、一緒になって頑張る主将を理想像に掲げ、実際に練習が始まってから練習場が閉まるまでひたすら練習をしていた。しかし練習することが苦ではなかったという。それは「卓球が生きがい」ということが根底にあるからだ。「自分がどんな状況でも自分の中には卓球がある」。そう語る杉本にとって卓球は勝つためだけのものではない。一般就職をして選手人生に幕を降ろすが、今後も卓球は杉本の人生の道しるべとなるだろう。

(記事 関端健斗 丸山勝央、写真 芳田彩歌)