西武・平石洋介ヘッドコーチインタビュー(前編) 平石洋介がベンチから眼を光らせる。 1アウト一塁。ランナーのリード幅はベストだ。バッターの中村剛也がインパクトした瞬間に切ったスタートだって申し分ない。打球は地を這うように鋭くセカンドの正面に…

西武・平石洋介ヘッドコーチインタビュー(前編)

 平石洋介がベンチから眼を光らせる。

 1アウト一塁。ランナーのリード幅はベストだ。バッターの中村剛也がインパクトした瞬間に切ったスタートだって申し分ない。打球は地を這うように鋭くセカンドの正面に飛んだ。いくら一塁ランナーの山野辺翔がセカンドベースへトップスピードで猛進していると言っても、ゲッツーは避けられない。

 その強烈なゴロをソフトバンクの牧原大成が前方へ弾く。すぐさまボールを拾いショートが待つセカンドへ送球されたが山野辺の足のほうが、一瞬早くベースに着いていた。

 昨シーズンから西武のヘッドコーチとなった平石は、昨年4月8日のソフトバンク戦、1−0の9回に起きたこのプレーに「数字に表れづらいわずかなところなんですけど、本当に大きい走塁なんですよ」と唸った。

 西武はこの直後に2点を追加し、3−0で勝利した。山野辺の走塁がなければ1点リードのまま相手の最後の攻撃を迎えることとなり、試合の趨勢は違っていたものになっていたかもしれない。

 これこそが、まさに西武が標榜し、貫くと固く誓った『走魂』だった。


西武のコーチとなって3年目を迎える平石洋介氏

 photo by Taguchi Genki

【走魂=盗塁ではない】

 昨シーズン、チームが打ち立てたスローガンの真意を、平石が念を押すように説く。

「おそらく『走魂=盗塁』と思われているかもしれませんが、そうじゃない。盗塁を含めた走塁はもちろんなんですけど、相手の隙をうかがい続ける、ミスにつけ込む、球際を強くするとか、細かいことを疎かにせずやり通す。当たり前のことなんですけど、なかなかどのチームも徹底できていない。ライオンズはそこをしっかりやっていこうと」

 省みれば、それは平石が2022年に西武のコーチとなってから選手たちに促してきたことだ。全体練習前のウォーミングアップをはじめとした準備からプロフェッショナルのメンタリティを植えつける。それが1年経ち、選手たちの目の色がだいぶ変わってきたと、平石は感じていた。

 それは2023年から監督となった松井稼頭央の理念でもある。チームのカラーとして走塁を打ち出してはいたものの、このスローガンは言うなれば原点だ。平石や松井が言うように、ここには野球のすべてが詰まっている。昨年のキャンプ前、松井は選手たちの前でこう言った。

「野手だけじゃなくてね、ピッチャーも普段からやりきる、走りきる。これをシーズン最後まで完走させる。それが『走魂』や」

 原点回帰と変革を誓った昨シーズン、チームのスタートは順調とは言えなかった。源田壮亮がワールド・ベースボール・クラシックで右手小指を骨折した影響で治療に専念。主砲の山川穂高は不祥事が発覚し戦列を離れるなど、西武はシーズン序盤からベストメンバーで戦うことができなかったのである。

 それがかえって、チームを焚きつけた。

【当たり前のことを当たり前にする】

「戦力ダウン」という負を飲み込み、変革の旗手として走ったのが監督の松井である。

 先のソフトバンク戦で好走塁を披露した山野辺。2022年に高卒1年目ながら育成から支配下登録を勝ちとった滝沢夏央。軽快なフィールディングが持ち味のドラフト6位ルーキーの児玉亮涼。身長170センチそこそこの小柄な選手たちが、チャンスを与えた監督に報いようとサバイバルを繰り広げる。

 若き獅子が、眼を血走らせる。岸潤一郎、平沼翔太、西川愛也、長谷川信哉......呼応するようにほかの選手たちも出塁すれば爪を研ぎ、先の塁を見据えている。

 ベンチも選手を後押しする。外野守備走塁コーチの赤田将吾が分析を重ね、上質な走塁の実現をサポートする。コーチ陣ですり合わせたプランを監督の松井に提示し、理解を得る。そうして西武は一枚岩となっていく。

 一塁や三塁コーチャーズボックス、ベンチからも平石たちが「あそこはスチールできたぞ!」「いま隙あったろ!」と檄を飛ばす。

「無理無理!」

 苦笑いを浮かべながら、102キロのベテランが垂直に上げた手を左右に激しく揺らす。

 このようなジェスチャーを塁上で時折見せていた中村こそ、平石は『走魂』の重要な体現者なのだと、若手以上に評価している。

「サンペイ(中村)はもとからうまいんです、走塁が。若い時からスピードがある選手だとわかっていましたけど、一緒のチームになって感じたのは打球判断と状況判断のうまさ。今までのイメージよりさらに上をいきました」

 ランナー二塁で中村が単打を放つ。浅い打球であっても外野の動きを先に感知し、バックホームするという確信を持てばすかさずセカンドを陥れる。そういったプレーを中村は淡々とこなした。

 中村の好判断で、平石が驚嘆した走塁がある。8月8日の日本ハム戦でのことだ。

 西武が4−1とリードしていた4回2アウト。中村は三塁にいた。相手ピッチャー・加藤貴之のワンバウンドのボールをキャッチャーの伏見寅威が前に弾くや、中村がスタートを切る。間一髪のセーフ。相手ベンチはリクエストを要求したが判定は覆らず、5点目を奪った。

「2アウトならランナー三塁や二、三塁、満塁でもそうですけど、足を警戒しなくていい長打のある右バッターならサードは前に守らなくていいんで、ベースよりうしろで守れるわけですよね。そうすると、三塁ランナーは相手サードと同じくらいの距離、つまりいつもより大きくリードできるんです。ということは、キャッチャーのファンブルを意識しておけばホームを狙えるチャンスは十分にあるということ。サンペイはこういう当たり前のことを、当たり前のようにできるんです」

 このようなプレーをベテランがこなすことこそが、西武にとって重みのあることなのだ。

 中村だけではなく、普段はバット1本、1打席に賭ける同い年の栗山巧も、推進力を弱めることなくグラウンドを駆けたことも忘れてはいけないと、平石は強調する。

「ベテランだから褒めるわけではなくて。監督の意向をちゃんと汲み取ってくれて、先頭に立ってそういう姿勢を出してくれたのがすばらしいですよね。あのクラスの選手が『オレはええわ』じゃ、チームは成り立たないです」

【トライしたことは次につながる】

 西武の走塁の成果は、数字にも表れた。

 チーム盗塁数はパ・リーグ2位の80。打球判断や思いきりのよさも大きな要因となるスリーベースヒットも2位の21本を記録した(ともに1位は楽天)。

 平石はこれを「共同作業」と称する。

「ランナーにも役割があるんです。『自分にできることは何か?』と考えて走ることが大事じゃないかと。盗塁ならトノ(外崎修汰)がすごく意欲を見せてくれたり、(鈴木)将平だったら、足はそんなに速くないけどバッテリーの配球を読んで仕掛けたり。それぞれが自分のスタイルを理解し、共同作業できたことがすごくよかったと思います」

 外崎は30歳の年でキャリアハイの26盗塁を決め、鈴木は10盗塁の成功率が10割だった。入団から2ケタ盗塁を継続していた源田にしても、例年より大幅に減らす5盗塁だったものの走塁で相手に脅威を与えた。

 ソフトバンクの周東佑京やロッテの和田康士朗のようなスペシャリストはいない。それでも西武は束になって走り、彼らが所属するチームよりも足で上回った。

 トライした賜物。平石がそう断言する。

「走ることに関して言えば、いい方向に結果が出ることもありましたけど、ミスも多かった。でもね、今までトライしてこなかったことにみんな勇気をもってしてくれたっていうのは、絶対に次につながります。野球ってベストなことだけを考えても絶対に成功しない。その都度、最低限やらないといけないことを整理しながら、『いける』という場面でトライする。『好走塁と暴走は紙一重』と言われるくらいですから、ミスしてもいいんです。そこで検証して『次はこうしよう』とプレーで示すことが重要なんですよ」

 オレは走れないから。ミスしたくないから......西武は昨年の1年間で、そんなネガティブな姿勢とは無縁のチームとなった。

 2023年シーズンは5位。しかし、それは限りなくポジティブで、意義のある順位だった。

 西武の象徴、ライオンズブルー。青き閃光が相手に襲いかかる。前へ、先へ。目指すのはホームのみ。躓いても後退はしない。阻まれても挑む。ただそれだけだ。

 2024年、逆襲のシーズン。反撃の狼煙(のろし)は、すでに上がっている。

後編につづく>>

平石洋介(ひらいし・ようすけ)/1980年4月23日、大分県生まれ。PL学園では主将として、3年夏の甲子園で松坂大輔擁する横浜高校と延長17回の死闘を演じた。同志社大、トヨタ自動車を経て、2004年ドラフト7位で楽天に入団。11年限りで現役を引退したあとは、球団初の生え抜きコーチとして後進の指導にあたる。16年からは二軍監督、18年シーズン途中に一軍監督代行となり、19年に一軍監督となった。19年限りで楽天を退団すると、20年から2年間はソフトバンクのコーチ、22年は西武の打撃コーチとなり、23年に西武のヘッドコーチに就任した。