ヴァンフォーレ甲府の黎明期(れいめいき)にあたる2002年、チームに入社したひとりの女性がいた。早大在学時に『早稲田スポーツ新聞会』にて学生記者として活動した、井尻真理子(平9人卒)である。「早スポ記者からJリーグへ」。異色の転身を遂げた…

 ヴァンフォーレ甲府の黎明期(れいめいき)にあたる2002年、チームに入社したひとりの女性がいた。早大在学時に『早稲田スポーツ新聞会』にて学生記者として活動した、井尻真理子(平9人卒)である。「早スポ記者からJリーグへ」。異色の転身を遂げた井尻に、サッカークラブが地域にもたらすことができる価値について語っていただいた。

※この取材は2月2日に行われたものです。

「(外池くんの言葉が)自信になっていました」


早稲田大学ア式蹴球部で、昨年まで指揮官を務めた外池大亮(平9社卒)氏

――これまで早大出身の選手、監督と関わる機会も多かったかと思います。何か印象的だった出来事はありますか

 ひとりひとりの選手、監督との思い出がやはりあります。城福浩(昭58教卒)監督時代、早稲田大学校友会山梨県支部の皆さんが観戦に来てくれました。勝利をした時の、城福監督のガッツポーズを見るのが楽しみでしたね。また、(当時)ガンバ大阪の西野朗(昭53教卒)監督と対戦するときに「ヒロシさん・アキラさん いらっしゃい」という企画をしました。ヒロシとアキラという名前の人は無料で入場できるのです。まさか、会議でこの企画が通るとは、思いもしませんでした。

 外池大亮選手は早稲田で同い年だったので、当時から応援している選手でした。ヴァンフォーレに来てくれてうれしかったです。城福監督のトークイベントを開催した時には、コーディネーターをしてくださいました。何でもできる、マルチな方です。私が08年に広報担当からグッズ担当に移った時、外池くんもちょうど現役引退して、解説者として小瀬(ヴァンフォーレ甲府のホームスタジアム)に来ていて。異動の話をしたときには「広報、向いてると思うよ」と言ってくれて。それが結構自信になっていました。

 時久省吾(平19スポ卒)選手はヴァンフォーレの選手会長の時に「会社と選手の間に入ってくださり、ありがとうございます」といってくれたのが、うれしかったです。スタッフにも気遣いの出来る方でした。

 畑尾大翔(平25スポ卒)選手は、グッズをいっぱい買ってくれました。エクセルできれいに表にして提出してくれました。今は群馬で障がいを持っている方のための取り組みをされていて。素晴らしいですよね。

「私が園歌を作曲させていただきました」


09年から19年にかけてヴァンフォーレでプレーした松橋優(平19スポ卒)。現在はヴァンフォーレ甲府U12で監督を務める

 松橋優選手は、選手を引退して、コーチになる期間に、自費でバスの運転免許を取りにいったんですよ。アカデミー選手の遠征に必要だからと。しっかりしていると思いました。

 また現在進行形で、上野展裕(昭63教卒)監督が学生時代の頃の、ア式蹴球部のマネジャーさんにお世話になっているんです。その方が、3年前に山梨県内でこども園を作って、私を評議員にしてくださったんです。令和にこにこ園といいます。なんと私が園歌を作曲させていただきました。よい機会をいただいています。そして、上野監督のことを「上野くん」と呼んでいて、びっくりしました。

 ア式蹴球部出身ではないのですが、輪湖直樹選手は、ヴァンフォーレ甲府に在籍している時に、早稲田大学人間科学部の通信教育課程で学んでいました。「統計学」について質問されたのですが、私にはチンプンカンプン。高校の時の恩師に頼んで、教えてもらいました。輪湖選手が最終学年になると「井尻さんの卒論を見せてください」と言われて。20年も前のものを持っている訳ないじゃないですか。私の時代はワープロとフロッピーディスクです(笑)。

「思い描いた未来が叶うような社会に」


スポンサー企業の山梨交通にて営業活動を行う井尻氏(写真左)

――では改めて、ヴァンフォーレにきた当時の話を聞かせてください

 やはり今とは全然違いました。天皇杯優勝後のNHKの番組で、山本(英臣)選手が「昔はよく水道で体を洗っていたんです」と言っていました。私も思い返せば、ホースで水を出して、その先に選手がいて体を洗ってもらったりしました。今のオフィスはJ1に上がった2006年にできましたし…、最初はYBSの中に事務所があったんです。私は今までの職場には社食がなくて。YBSの社食が美味しくて幸せでした(笑)。

――山日YBSと井尻さんの関係性についても少しお聞かせください

 山日YBSグループにはすごく感謝をしています。26才で山梨に帰ってきて、まして女性で、会社に入れてもらえるのは、当時としてはあり得ないことでした。山日YBSグループに入れてもらえなければ、ヴァンフォーレ甲府で仕事をすることもできませんでした。

 山梨日日新聞は、ヴァンフォーレが勝っても負けてもスポーツ面の3分の2がヴァンフォーレなんです。どんな時でも大きく扱ってくれる、こんな新聞は全国でも無いといいます。ナイトゲームだと試合が終わるのが21時過ぎで。そこから監督会見や選手のインタビューがあって。山日新聞の記者さんはそこから記事を書くんです。

――翌朝の朝刊に間に合うように、ですね

 他の新聞社さん以上の、たくさんの量の記事を22時すぎから会場で書き始めて。朝刊の原稿締め切りは23時だそうです。私にはとてもできないです。早スポ時代の私は、1週間くらい授業も行かずに新聞を製作してもアップアップしていたのに…。プロはすごいなと思っています。

――天皇杯の優勝後には、山日新聞で歴代のヴァンフォーレの番記者による連載が掲載されていましたね

 記者の方々はいつも、愛情を持って取材してくださっています。そういった面でも感謝をしています。

「人と人とをつなげられる存在に」


写真右は山梨交通社長の雨宮正英氏(昭58社卒)。早大在学時には応援部に所属した経験があり、現在は校友会の山梨県支部幹事長を務める

――時は流れて2022年、天皇杯を制します。優勝に際して、どんなことを感じていらっしゃいましたか

 夢の中にいるみたいというか。今でも信じられないです。でも、たまに車とか運転してて、思い出したら泣いちゃいます。

――チームが天皇杯を制した中で、井尻さんとしてはこの先どうなっていきたい、という青写真はありますか

 誰かの役に立てる私でありたいと考えています。今はサポーターさんにもスポンサーさんにも、助けていただいてばかりです。それを、私にできることで、誰かの役に立ちたいです。例えば、不登校の問題に直面したときには、一歩踏み出せない方をヴァンフォーレや私でも、サポートができるきっかけを作ることができることに気が付きました。そういった、ヴァンフォーレを通じた、人と人とをつなげるようなことがしたいです。

――今やヴァンフォーレを中心に、人の輪ができていますよね

 こんな地域はないと思っています。人と人とを、ヴァンフォーレ甲府がつなげられるような活動ができたら素敵だなと思っています。

――ヴァンフォーレから、もっともっと輪が広がっていってほしいという気持ちですね

 抽象的ではありますが、何か一個でも、ヴァンフォーレがあって良かったなと思ってくれる人が増えるような活動をしたいです。

――サッカーを楽しみに、またヴァンフォーレを楽しみに、社会を生きているという人はすごく多いのではないかと思います。私も含めてですが、毎週末の試合を楽しみに、仕事や学校を頑張れる人がいますよね

 ヴァンフォーレのサポーターでも、障がいのある子で、2週間に一回大きな声で応援することで、次の日からストレスが「ワー」と(外向きに)ならずに頑張れるそうです。そういった話を聞くと、地域にサッカーがあるよろこびというか…。

――応援できるチームがある、ということ自体が幸せなことだと感じます

 そうですね。だからこそ、私はよろこびをつなげられるハブ(中核)というか。表に出ない透明な存在でいいから、いろんなものをつなげる存在でいたいです。やっぱり自分にはヴァンフォーレしかないんです。

「誰よりも愛されるチームでありたい」


甲府市男女共同参画推進委員会での井尻氏

――井尻さんの「山梨県のために頑張りたい」というお言葉を以前拝見しました。そういった思いの原点にはどんな考えがあったのですか

 地域のために、私にもできることがあれば、させていただこうと思っています。地域あっての、ヴァンフォーレですから。今は甲府市男女共同参画推進委員長をさせていただいています。私には荷が重いと感じましたが、こんなダメな私でも頑張っているということを伝えることで、「私もがんばってみようかな」とか「自信がついた」とか、思ってくれる人がいたらいいなと思って。地域の人が元気になるなら、私も元気になります。

――そういった部分は、山梨県にプロサッカーチームがある意味へとつながっていきますね

 山梨にヴァンフォーレがあって良かった、と思ってもらえたらうれしいです。ヴァンフォーレ甲府は年間400回以上の地域活動を行っています。一般社団法人ヴァンフォーレスポーツクラブ、選手、コーチ達が積極的に活動をしています。私はヴァンくん体操で県内を回っている時には、支援学校や盲学校、聾(ろう)学校にも伺わせていただきました。ヴァンフォーレのスタジアムには、障がいを持った方がたくさん応援に駆けつけてくださっています。周りのサポーターも理解がある方が多いので、居心地が良いそうです。

――ではこの先、ヴァンフォーレにはどうなっていって欲しいですか。井尻さん個人の意見を聞かせていただきたいです

 なによりも誰からも愛されるチームでありたい。いろいろ欲はあるんです。J1昇格したい、J1で優勝したい、世界で戦えるチームになりたい、スタジアムも欲しい。いろいろあるんですが、まずは、みんなから愛されるチームでありたい。

――もちろんサッカーは勝負でもあり、そこに勝ち負けは付随してきますね

 勝ち負けはありますが、もちろん勝ちたいんですけれど、どんな時でも応援されるチーム。粘り強く、たんぽぽのように地に根を張ったチームでいたいです。

――チームに強くあって欲しいという気持ちはあるものの、それ以上にヴァンフォーレの試合が見られたら何よりもうれしいというサポーターの方も多くいらっしゃるのではと思います

 もちろん私も、ヴァンフォーレが勝ったらうれしいですし、負けたら悔しいです。でもヴァンフォーレが好きだから。そこの根底の部分は変わらなくて。

――例えばビッククラブであれば、勝つことが絶対条件です。ただ、それだけではない、チームとしてのあり方がありますね

 もちろん試合には勝ったほうがいいです。ただ、いつどんな時でも愛されて、私たちもその人たちにいろいろな形で恩返しできるような、そういう愛のあるチームがあってもいいのではないかと思っています。ちっちゃい地域で、ちっちゃいクラブで。だからこその在り方です。

 例えば、山梨県サッカー協会とヴァンフォーレ甲府は、各地のサッカー協会とクラブとの関わりの中でも、トップレベルで良い関係性だと聞きます。毎試合で山梨県サッカー協会の方が30名近くボランティアに携わってくださったり。逆にヴァンフォーレとしてもコーチを派遣したり。ヴァンフォーレってまだまだ足りない部分はいっぱいあると思うんです。ただ、「ヴァンフォーレは好きだし、また一緒にがんばろう」と皆さんに思っていただけるチームであることが素敵だと思います。

「乗り越えた先に喜びがある」


2021年、オンラインキックオフパーティーでの井尻氏。チームのためであれば、体を張ることもいとわない

――本年度のア式蹴球部卒業生にも、Jクラブに就職なさった方がいらっしゃいます。サッカーチームで働いていくにあたって、必要な要素はどんなことだと井尻さんは考えますか

 若い子に言えば笑われてしまうかもしれませんが、まずは『元気』だと思います。あとは様々な逆境を打ち破る『突破力』と、めげない『鈍感力』ですかね。

――先ほどまでの、紙芝居やマスコットなどの井尻さんのお話を踏まえれば、様々なサッカー以外の経験も必要でしょうか

 いろんな経験をすることも大事ですが…、誠実でいることが、長くやっていくために必要です。誰に対しても何事にも誠実に向き合うことが最終的には大事だと思います。

――スポーツチームで仕事をすることは、井尻さんにとってどういう価値のあるものですか

 お金に代えられないものがあります。生きがいというか。感謝とか人の優しさとか。目に見えないものが得られると思います。めっちゃ大変だし、すごく苦しいときもあります。だけど…、乗り越えた先によろこびがあります。それが、苦しさや大変さを上回るものなんです。

――最後に、選手ではない以上、難しい質問となってしまうかもしれませんが、今シーズンをどんなシーズンにしたいかを聞かせてください

 ヴァンフォーレの選手たちに、海外でACLに出るチャンスをいただきました。今年はヴァンフォーレ甲府は大変な年になると思いますが、営業担当なので、悔いがないように、精一杯自分にできることをしたいと思っています。今頑張らないと、一生悔いが残るので。1日1日を全てヴァンフォーレに捧げるつもりで、特に今シーズンは過ごしたいです。少しでもチームに貢献できるように、陰で支えていきたいと思います。

――ありがとうございました!

(取材、編集 橋口遼太郎 写真提供 甲府市男女共同参画推進委員会、ヴァンフォーレ甲府)

 この度の連載にあたり、取材をお受けいただきました井尻真理子様、ご尽力いただきましたヴァンフォーレ甲府広報担当者様、そして取材にご協力いただきました山梨交通株式会社様に心より御礼申し上げます。


天皇杯優勝パネルを掲げる井尻氏

◆井尻真理子(いじり・まりこ)

 1997(平9)年人間科学部卒。山梨英和中・高校を卒業後、当時の早稲田大学人間科学部スポーツ科学科に入学。早大在学時は早稲田スポーツ新聞会に所属し、学生記者として活動。その後、社会人経験を経て、2002年より株式会社ヴァンフォーレ山梨スポーツクラブに入社。座右の銘は「食べてすぐ寝ると牛になる」。

 10月16日が誕生日の井尻氏。2022年10月16日は、ヴァンフォーレ甲府が天皇杯を制した、記念すべき1日でもありました。「今までの人生で一番『お誕生日おめでとう』と言われたし、これ以上ない誕生日プレゼントを選手にいただいた」そうです!