ヤクルト・山田哲人インタビュー(前編) ヤクルト・山田哲人が14年目のシーズンを迎えた。これまで数々の記録を残し、トリプルスリーを複数回達成。本塁打王と盗塁王の同時タイトルを獲得した史上初の選手でもある。その山田が、現在の目標や、意識の変化…

ヤクルト・山田哲人インタビュー(前編)

 ヤクルト・山田哲人が14年目のシーズンを迎えた。これまで数々の記録を残し、トリプルスリーを複数回達成。本塁打王と盗塁王の同時タイトルを獲得した史上初の選手でもある。その山田が、現在の目標や、意識の変化について語った。



これまで3度のトリプルスリーを達成しているヤクルト・山田哲人 photo by Koike Yoshihiro

【怖いもの知らずの若手時代】

 山田は2010年に履正社高(大阪)からドラフト1位でヤクルトに入団。まず目指したのは"ホームラン"だった。

「小中高とホームランを打ってきたので、プロに入っても打ちたいなと。ただ現実味はなかったですし、ひとつの目標として言っていた感じでしたね。実際、プロの世界に入ってみると難しいと思いましたし、とくに1年目、2年目は"飛ばないボール"の頃だったので、『これはきついな』と思っていました」

 2年目に一軍デビューを果たすと、プロ初本塁打も記録。3年目には94試合に出場し3本塁打。4年目は「週に7本のヒット、月に30本のヒットと3本のホームラン」を目標にスタートした。

「杉村(繁)コーチが『その目標に近づくことができれば、約6カ月で打率3割、ホームランは20本くらいいくだろう』と言ってくれたんです。1年ってやっぱり長いですし、漠然としてしまう部分があるので、目の前の1試合や、1週間、1カ月という期間で目標を定めるのは、自分に合っているなと思いました」

 シーズン終盤は大島洋平(中日)、菊池涼介(広島)と熾烈な最多安打のタイトル争いを繰り広げ、最終的に日本人右打者年間最多となる193安打を記録。打率.324、29本塁打、15盗塁の数字を残した。この時期、山田は「本当に疲れています」と語っていた。

「1年間を一軍で過ごすことが、こんなにきついとは思っていませんでした。9月に入ってからは1日がものすごく長く、体の疲れもそうですが、気持ちの部分でかなりきつくて......。でも勝負の世界なので勝ちたいですし、最多安打のタイトルは獲りたいです」

 山田はその当時のことを振り返り、「あの時はもちろん不安はありました」と語った。

「でも、まだ何も経験していなかったので怖いものはなかったですし、思いきりやるだけだなという感じでした」

【トリプルスリーへの挑戦】

 2014年シーズンは、杉村コーチとの早出練習で「トリプルスリー」という言葉が聞こえてきた。

「プロに入る前から『トリプルスリーを狙っていけ』『そういう選手になってくれ』と、高校の監督から言われていたので、頭のなかにはありました。ただ、それがどんなものかというイメージはまったくできていませんでした。トリプルスリーがモチベーションになったのは、2014年のシーズンが終わってからでしたね」

2015年 打率.329/38本塁打/34盗塁
2016年 打率.304/38本塁打/30盗塁
2018年 打率.315/34本塁打/33盗塁

 山田は「5年目に入った時に明確な目標にしました」と、2015年に早くもトリプルスリーを達成。しかも、本塁打王と盗塁王の同時タイトルを獲得した史上初の選手になり、翌年には史上初のトリプルスリー複数回達成。2018年には3度目のトリプルスリーを決めた。

 トリプルスリーを達成することの難しさについて、山田はこう話す。

「いやー、しんどかったですね(笑)。そもそもどんなものかわからなかったですし、相手とも戦いますが、自分とも戦わなくてはいけない。やっぱり疲れますね。なかでも盗塁が一番きつい。体に負担がかかりますし、僕は内野手ということで運動量も多いですし、そこが自分との戦いというか......」

 そして山田は、3度トリプルスリーのなかでは「2016年の30盗塁目はいまだに印象に残っています」と言った。

「30盗塁目って、数字は相手にも伝わっていますし、めちゃめちゃ警戒してくるんですよ。絶対に走ってくるとわかっているので、ウエストしてきますし、ピッチャーもすごいクイックをしてくるので難しかったですね」

 ちなみに、山田の盗塁術については、2019年に当時DeNAの今永昇太(現・カブス)の言葉がじつに興味深い。

「盗塁してくる選手というのは、走りそうな雰囲気があったりするんですけど、山田選手は本当に走ってくる雰囲気がゼロなんです。塁上ではふわーっとした感じで、リードも特別大きくないですし、表情もオーラもすべてゼロ。僕からすれば、それこそ"幽霊"です(笑)」

 山田が「あの時は(気配を消しても)無理でしたね」と言った。

「そのなかで、外してくるとわかっていてもスタートを切る思いきりのよさはあったので、そういう意味でも30盗塁目はとくに印象に残っています」

 山田がまだ若手の頃は、自分のことについては話すが、チームのことになると言葉を控えることが多かった。

「この世界は極端に言えば、チームは最下位でも成績さえよければ給料は上がります。野球をやっている以上、それは評価されているということなので、ひとつのモチベーションになるのは事実です。だから、チームが負けてもシュンとせず、自分の成績を残していこうと。そのなかでチームが勝てばなおさらうれしいという感情がありましたし、そういう貪欲さも必要なのかなと思っていました。また経験も少なく、自分に精一杯なところもあったので、無理に視野を広げるよりは、まず自分のことに集中していこうとやっていました」

 順調にキャリアを積み重ねていくなかで、いつの頃からか、山田はチームについてもコメントするようになっていた。

「そうですね。今は自分のことよりチームへの思いが強いですし、若い頃と違うなと感じるのは、チームの勝ち負けでうれしさや悔しさが、以前とは全然違うところです」

後編につづく>>

山田哲人(やまだ・てつと)/1992年7月16日、兵庫県生まれ。履正社高から2010年ドラフト1位でヤクルトに入団。14年に日本人右打者最多のシーズン193安打を放ち、15年にはトリプルスルーを果たし、チームの14年ぶり優勝に貢献。史上初の本塁打王と盗塁王のタブルタイトルを獲得し、MVPにも輝いた。16年は史上初の2年連続トリプルスリーを達成。18年にも3度目のトリプルスリーを果たした。21年からキャプテンに就任。同年夏、日本代表として東京五輪で金メダルを獲得。23年は第5回WBCに出場し、世界一に貢献した