2017年のスーパーGTシリーズ第5戦「FUJI GT 300km RACE」が富士スピードウェイにて開催された。8月6日に行なわれた決勝では、GT500クラスはナンバー8のARTA NSX-GT(野尻智紀/小林崇志)、GT300クラ…

 2017年のスーパーGTシリーズ第5戦「FUJI GT 300km RACE」が富士スピードウェイにて開催された。8月6日に行なわれた決勝では、GT500クラスはナンバー8のARTA NSX-GT(野尻智紀/小林崇志)、GT300クラスはナンバー55のARTA BMW M6 GT3(高木真一/ショーン・ウォーキンショー)がそれぞれ優勝。両クラスに参戦するARTAがそろってポール・トゥ・ウィンという快挙を成し遂げた。



優勝を喜び合う野尻智紀(左)、小林崇志(中央)、鈴木亜久里監督(右)

「ARTA(AUTOBACS RACING TEAM AGURI)」は、元F1ドライバーの鈴木亜久里が若手ドライバー育成のためにオートバックスとタッグを組み、1997年に発足したプロジェクトだ。スーパーGTの前身にあたる全日本GT選手権には自らドライバーとして先代のホンダNSX-GTを駆り、真夏の富士ラウンドで優勝した経験も持つ。

 2001年からは監督業に専念し、2007年には伊藤大輔/ラルフ・ファーマンを擁してシリーズチャンピオンを獲得。一時はホンダ陣営を引っ張るエースチームのひとつに数えられた。また、GT300クラスにもARTAとして参戦しており、今シーズンはBMW M6 GT3でシリーズを戦っている。

 しかし、GT500クラスでは2013年の第4戦・SUGOでの優勝を最後に、表彰台から遠ざかるレースが続いていた。特に大幅な規定変更に伴い、2014年からNSX CONCEPT-GTにマシンをスイッチすると、上位に食い込むことすら難しいほど苦戦を強いられてしまう。結果の出ないレースが続いた時期は、亜久里監督も心労が重なったという。

 そんななかで迎えた今シーズンは「ARTA設立20周年」という節目の年。GT500クラスのドライバーは、このプロジェクトで育ち、国内トップカテゴリーで活躍するようになった野尻智紀/小林崇志のふたりに託した。

 開幕戦・岡山では目まぐるしく変わる天気を味方につけてポールポジションを獲得するも、決勝は電気系部品のトラブルで早々にリタイア。第4戦・SUGOでも今季2度目のポールポジションを手にするが、決勝は5位でフィニッシュ。ともに予選の優位を生かすことができず、悔しい結果に終わっていた。

 それでも彼らはあきらめることなく挑み続け、第5戦・富士でまたも予選トップの座を奪取する。そして決勝では終盤、ライバルに背後まで迫られたものの、最後は再び後続を引き離して本来の速さを発揮。見事、GT500クラスで実に4年ぶりとなる優勝を飾った。

 さらにGT300クラスでも、ARTAの55号車がポールポジションからレースをリードし、2016年の第5戦・富士以来となる勝利。スーパーGT史上初となる「同一チームによる両クラスでのポール・トゥ・ウィン」という快挙を達成し、レース直後のパルクフェルメでは亜久里監督が満面の笑みでドライバーたちを迎え入れた。

「NSXにクルマが変わってから厳しいシーズンを送っていて、ここ数年はすごくつらい時期がありました。(GT500クラスで)4年前に勝ったときは途中で雨が降ってきて、『マグレ』みたいな勝ち方だったのですが、今回は本当に皆よくがんばってくれました」(亜久里監督)

 4年前に勝利した2013年の第4戦・SUGOは後半に降り始めた雨の影響により、ARTAの前を走っていた5台がアクシデントやトラブルで次々と脱落。亜久里監督が「マグレ」と表現したのは、棚ボタで優勝した印象が強かったからだろう。それだけに今回、ARTA NSX-GTの速さが光ったなかで掴んだ勝利とあって、その喜びも特別なものに違いない。

 また、亜久里監督と同じように、ARTA NSX-GTのステアリングを託されたふたりのドライバーも、これまで語りつくせないほどの苦労があった。

 現在27歳の野尻智紀は、スーパーフォーミュラではルーキーイヤー(2014年)に1勝を挙げるなど、2013年SF王者である山本尚貴と並んで「ホンダ勢のエースドライバー」と言われるほど突出した速さを見せていた。しかし、スーパーGTでは2015年にGT500クラスへとステップアップし、ARTAから参戦を開始したものの、なかなか表彰台に上がれずに苦戦が続いた。

 今シーズンも第4戦・SUGOでポールポジションを獲得しながら、自らのミスでスピンを喫して優勝争いから脱落。さらにスーパーフォーミュラでも第3戦を終えていまだノーポイントと、周囲からネガティブな評価が聞こえてくることもあったという。

 ただ、そんな状況下に置かれながらも、野尻は自身の信条でもある「最速」にこだわった。

「僕は誰よりも速く走って、ただ後ろを引き離して優勝したいという思いで毎回レースをやっています。それができないのは、僕の速さが足りていないだけ。そう思って前回のSUGOの後、気持ちを切り替えて(第5戦・富士に)臨みました」

 見てろよ。絶対に己の速さだけで勝ってやる――。

 この強い気持ちが、2戦連続ポールポジションという結果となり、決勝でもライバルを置き去りにする速さで10秒以上の差をつけるアドバンテージにつながった。

 最後はバトンを渡された小林がレースを締めくくり、ARTA NSX-GTがトップでチェッカーを受ける。それをピットウォールで出迎えた野尻は、これまでの苦労やつらかった思いが込み上げてきたという。

「8号車が目の前を通り過ぎた瞬間から、いろんなことを思い出しました……。亜久里さんには本当に感謝したいです。僕にはたくさんのチャンスをくれました。ここまで結果が出ないと普通はクビになっているけど、亜久里さんはずっと見ていてくれたので、だから何とか勝ちたいという思いがありました」

 そう語る野尻の目には、涙が溢れていた。

 一方、野尻のチームメイトとして5年ぶりにGT500クラスに復帰した29歳の小林崇志も、ここ数年はつらい時期を過ごしてきた。

 2010年の第6戦・鈴鹿1000kmでGT500の第3ドライバーとしてデビューし、初のスーパーGTでも動じることなくポールポジションを獲得すると、決勝でも優勝に貢献する走りを披露。これがきっかけとなり、小林は翌年からレギュラードライバーに昇格した。しかしその後は結果が残せず、2013年にはGT300クラスのARTAに移動。ある意味、”降格”という扱いを受けた。

 そんな失意のとき、小林に救いの手を差し延べたのが、GT300クラスで組むこととなったベテランの高木真一だったという。高木とコンビで走った経験が小林をさらに成長させることになり、GT300クラスでの4年間で計5勝という結果を残せた。

「何より一番『ありがとう』と言いたいのは、高木さんですね。GT500からGT300に移ることになって、僕にとっては後がない状況でしたし、高木さんからすれば当時20代半ばの僕を蹴落とすくらいの応対でも全然よかったのに、いろんなことを教えていただいて……」

 優勝後の記者会見で、小林は当時のことを思い出しつつ涙ながらに語った。

 チーム、監督、ドライバー、スポンサー、そして彼らが苦しんでいるときも見捨てずに応援し続けたファン――。そこに関わるすべての人の苦労と努力が報われた勝利だった。

 シリーズ第5戦を終えて、野尻/小林組はドライバーズランキング8位に浮上。トップから13ポイント差になり、残り3戦で逆転できる可能性も見えてきた。ARTAの設立20周年を飾るのに一番ふさわしいのは、やはりシリーズチャンピオン獲得だ。