…

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

第42回 野本隼汰/ワンダーフォーゲル(3月15日)

 「この1年間で山が好きになりましたっていう声があって、うれしかった」。ワンダーフォーゲル部の野本隼汰(創理4=東京・早大学院)が主将としての1年間を振り返った。圧倒的な知識量と技術力を誇る73代のあとを引き継いだ当時、部の課題の1つとして「まとまり感のなさ」を挙げていた野本。『限界突破』をテーマに、各々が高いレベルを目指していた73代の精神を受け継ぎつつも、74代ではそこに主体性や一体感を持たせたいと話していた。[ 詳細はこちら]

 

第41回 田中大寛/水泳(3月14日)

 
さらなる高みへ 「競泳をやめたいと思ったことは一度もない」。田中大寛(スポ4=大分・別府翔青)は自信を持って語った。2023年4月、田中は目標としていた世界選手権出場を決め歓喜の中にいた。しかしその裏では、突然の体調不良に悩まされ試練の日々が待ち受けていた。早稲田大学で過ごした4年間の競技生活で東京五輪代表落選や世界選手権(世界水泳)出場、全日本学生選手権(インカレ)優勝など様々なことを経験した田中。「楽しいという言葉しか出てこない、とにかく濃い4年間だった」早稲田での競泳生活をこう表した田中の4年間を振り返る。[ 詳細はこちら]
 

 

第40回 田丸敬也/水泳(3月14日)

 
個人として、チームとして、強く 水泳とともに歩み、その楽しさも苦しさも味わった。昨季の早大水泳部競泳部門で男子主将を務めた田丸敬也(スポ4=大阪・太成学院)。幼いころから水泳と向き合い、喜びも、そして挫折も経験した。しかし仲間と励ましあった競技生活は、絶対に忘れない、かけがえのないものとなった。現役引退を決めた田丸の競技人生を振り返る。[ 詳細はこちら]
 

 

第39回 今牧まりあ/水泳(3月14日)

 
仲間のために泳ぐ 「自分のために水泳を頑張っていたら、きっとどこかで折れていた」。昨季の早大水泳部競泳部門女子主将の今牧まりあ(スポ4=長野・飯田)にとっての水泳は、決して自分のためだけのものではなかった。だからこそ自分の泳ぎに対して妥協しなかったし、チームメイトが喜ぶ姿を見ることが今牧にとっても力になった。人生の多くの時間を水泳とともに歩み、今新たな一歩を踏み出そうとしている今牧の、水泳とチームにかける思いを見つめる。[ 詳細はこちら]
 

 

第38回 都田楓我/水球(3月14日)

 
チームを第一に エースとして、主将として、たった1人の4年生として。都田楓我(スポ4=鹿児島南)は1年次から、あらゆる角度で早大水球部を牽引してきた。だが最高学年として迎えた今季は、インカレ初戦敗退など結果に苦しむことも多かった。それでも常にチームの道しるべとなり、後輩達を前へと奮い立たせてきた都田の、陰ながら抱いてきた葛藤やチームへの想いに迫った。[ 詳細はこちら]
 

 

第37回 池端元哉/バドミントン(3月13日)

 
主将は一日にしてならず バドミントンに対する美学は人によって異なる。それを突き通すのは無論容易ではない中、池端元哉選手(スポ4=熊本学園大学付属)は自らの美学を探り、悩み、追い求め、貫き続けた。高校でも大学でもインターハイでシングルスベスト4に輝くなど、多数の戦果を刻んできた池端。そんな彼が過ごした早大での4年間、そしてバドミントンを始めてからのおよそ16年間、苦悩と激動に迫る。[ 詳細はこちら]
 

 

第36回 諸隈健太郎/自転車部(3月11日)

 
楽しむということ 自転車部で主将を務めた諸隈。決してたやすいとは言えなかったが、楽しかったと語る大学4年間を振り返る。自転車を始めたきっかけは中学3年生の頃に倉庫にあったおじさんのロードバイクに乗ったこと。今までの自転車とは違うスピード感に惹かれ高校入学と同時に本格的に競技として自転車を始める。高校生の頃には結果を出し、卒業後も自転車競技を続けたいという意志から、高校卒業後はすぐに競輪選手の養成所に入るという選択はせず、早稲田大学に入学した。自転車競技と競輪は違う面があると諸隈は語り、自転車競技という方向で自転車を極めようという理由から大学進学を決めた。[ 詳細はこちら]
 

 

第35回 春名真平/準硬式野球(3月10日)

 
何度も味わった苦しみ、それでも早大準硬の主将として―― 「苦しい」「悔しい」。野球人生を振り返る準硬式野球部令和5年度主将・春名真平(教=東京・早大学院)は何度も口にした。決して順風満帆なキャリアではなく、周囲の選手との実力差や敗北を味わう時もあった。それでも、高い壁に挫けず、乗り換え続けてきたのが春名の野球人生。高校や大学での補欠時代を乗り越え、3年時にキャプテン役を経験すると、4年生の1年間は全体の主将として、チームを全日本大学選手権(全日)出場、東京六大学秋季リーグ戦(秋季リーグ戦)優勝に導いた。苦しみながらも野球と向き合い続けた春名の戦いの軌跡を振り返る。[ 詳細はこちら]
 

 

第34回 永田新/応援(3月9日)

 
 すべての始まりは高校時代のじゃんけんだった。掛川西高等学校に入学した永田新(教=静岡・掛川西)は入学早々、高校の応援団指導部を補佐する委員会に入ることになった。そのきっかけはじゃんけんで負けたことだ。ただ、そのじゃんけんが永田の応援人生を大きく動かすことになった。応援団指導部の先輩を目の当たりにした永田はかっこよさにひかれて応援団指導部に入ることとなる。高校時代を永田は「きつかった」と振り返る。週6で行われる厳しい練習。「消耗していく毎日だった」と永田は語る。だが、それが早稲田大学応援部代表委員主将、永田新の原点となる。[ 詳細はこちら]
 

 

第33回 道下新大/柔道(3月8日)

 
『人』 「人」。道下新大(スポ=東京・国士舘)は早大柔道部での4年間を端的に、そして力強く締めくくった。自身のケガを始めとして多くの障壁を乗り越えながらも、チームをまとめあげ主将を務めた道下。多くを語らないその姿とは裏腹に、激動の選手生活であり、平坦な道のりではなかった。「個」としてチームに向き合い成長を遂げた道下の、柔道人生の軌跡に迫る。[ 詳細はこちら]
 

 

第32回 藤澤将匡/フェンシング(3月7日)

 
 「”強い早稲田”を多くの人に見せられるように」。1年前、フルーレの藤澤将匡(スポ4=宮城・仙台城南)が主将に就任した際に話した言葉だ。3年生のとき、川村京太(令5スポ卒)とダグラス・ビューワーニック(スポ4=埼玉・星槎国際)とともに日本一を経験した藤澤。しかし同年の早慶戦では、優勝がかかった男子フルーレの試合に敗れ、史上初の2連敗を喫するという悔しい出来事もあった。早大フェンシング部の歴史をつくってきたOB・OGたちのために、そして何より自分たちの名誉のために、「今の早稲田も勝てるんだ」ということを証明したい。藤澤はその一心で、年々受け継がれてきた”自由さ”を尊重しつつ、時に仲間とぶつかり合いながらチームの強化を図った。[ 詳細はこちら]
 

 

第31回 岡島右京/フィギュアスケート(3月6日)

 
「絆」 数多くの名スケーターが在籍し、長い歴史と伝統を持つ早大スケート部フィギュア部門。選手おのおのが練習に励む個人競技の特性ゆえ、部員同士交流の場は長らく少なかったが、ここ数年は部としての活動が活発化している。その早大フィギュア部門を主務として、今年度は主将として支えてきたのが岡島右京主将(商4=東京・早大学院)だ。岡島は主将として、部員全員がスケートを楽しむ環境を作り上げ、部全体の活動を活発化させる役割を果たしてきた。自身も選手として日本学生氷上競技選手権(インカレ)などに出場しながら、部全体を支えてきた岡島の主将としての姿に迫る。[ 詳細はこちら]
 

 

第30回 藤倉廉/ヨット(3月4日)

 
熱狂 今季、ヨット部は早大史上初の全日本大学選手権(インカレ)4連覇を達成。主将・藤倉廉(法4=早稲田佐賀)は4年間、自分自身とヨットの両方に向き合った。苦労がありながらも船を進め、日本一のチームをまとめた自身の4年間について尋ねた。[ 詳細はこちら]
 

 

第29回 安村充生/米式蹴球(3月3日)

 
熱狂 下級生の頃から試合に出続け、BIG BEARSを支えてきた安村充生(文構=東京・早実)。「アメフト以外何もしていなかった」と大学での生活を振り返った。ここまで安村を熱中させたBIG BEARSでの4年間とは。[ 詳細はこちら]
 

 

第28回 目黒歩偉/米式蹴球(3月3日)

 
日本一を追い求めた4年間 「ひたすらフットボールに向き合えて、人として成長できる場所」。目黒歩偉(スポ=東京・佼成学園)はBIG BEARSについてこう語った。度重なるケガによって、3年時の途中に選手を諦めざるを得なかった。それでも主将に就任し、日本一を達成するために組織づくりに注力した。そんな目黒のBIG BEARSでの4年間を振り返る。[ 詳細はこちら]
 

 

第27回 近藤怜/自動車(3月2日)

 
仲間と共に 「上手いフィギュアが出来る人になる」。これは今年度の早大自動車部の主将を務めた近藤怜(先理4=岐阜)が競技人生を通して目指してきたことだ。複数ある自動車競技のなかでフィギュアと向き合い続け、そして上級生になってからは主将としてチームを支えてきた4年間の学生生活を振り返る。[ 詳細はこちら]
 

 

第26回 深田雄智/レスリング(3月1日)

 
 「考える」――。早大レスリング部で主将を務めた深田雄智(スポ=千葉・日体大柏)は大学4年間をこう振り返る。どうしたら勝てるのかを常に考え、大学2年時には全日本学生選手権(インカレ)優勝、大学3年時には全日本選抜選手権3位などの結果を残した。最終年には志願して主将に就任。理想とした「結果を出せるキャプテン」には届かなかったが、チームに対する貢献は誰もが認めるものであった。試行錯誤し続けた深田の競技人生に迫る。[ 詳細はこちら]
 

 

第25回 加藤沙也花/漕艇(2月29日)

 
悩み続けた4年間 「悩んだ4年間だった」。加藤沙也花(スポ=愛知・猿投農林)は漕艇部での4年間をこう表現した。2年生までに2度のケガを経験し、主将としてチーム作りに苦心したという加藤沙。決して平坦な道のりではなかったが、充実した加藤の4年間を振り返る。[ 詳細はこちら]
 

 

第24回 片倉潤樹/漕艇(2月29日)

 
耐え忍んで この4年間を振り返る一言に「耐久」と挙げた片倉潤樹(法=早稲田佐賀)。チーフコックス兼副将となり、艇の舵だけでなく、チームも束ねる立場になった片倉の支え続けた4年間を振り返る。[ 詳細はこちら]
 

 

第23回 柴田羽乃香/女子バレーボール(2月28日)

 
バレーボールが大好き 小さい頃から、小学校の昼休みにはサッカーやドッジボールに精を出す活発な少女だったという柴田羽乃香(商=東京)。そんな柴田のバレーボールとの出会いはお茶の水大学附属中学1年生の時のことだ。当時から「身長だけは高かった」という柴田。当時の女子バレーボール部顧問からの熱烈な勧誘を受け入部した。その後、他の部活から助っ人を借りて試合に出るような状況だったというが、顧問のバレーボールへの熱意もあり柴田はバレーボールにのめり込んでいく。尚、中高での公式戦勝利経験は一度もないという、どこかのバレーボール漫画の主人公の様だ。[ 詳細はこちら]
 

 

第22回 亀卦川響/弓道(2月26日)

 
『響』 「弓道は自分に全てがかかっている。相手のミスを願わなくても自分が頑張れば勝つことができる」。昨季早大弓道女子部の主将を務めた亀卦川響(法4=東京・早実)は弓道の魅力についてこう語る。「捨てるところは捨てて、どの試合を一番の目標にするのかを決める」ことでメンバーに選出された部員を優先するのか、「試合に出られないメンバーの気持ちをわかることができる主将」として全部員の心情を汲むのか。最後まで壁にぶつかり続けながらもその大役を立派に務め上げた。先輩からも後輩からも信頼の厚い亀卦川の4年間を振り返る。[ 詳細はこちら]
 

 

第21回 東海枝航平/弓道(2月26日)

 
「自分のやるべきこと」 自身がチームの中でできることを模索し続けた4年間だった。インタビュー中何度も出てきた「役割」という言葉が、その姿勢を物語っている。これまでの自分の射を変えるところから始まった、早大弓道男子部主将東海枝航平(スポ4=埼玉・県浦和)の大学弓道。何度も壁にぶつかりながら、その度に突破するべき壁を見つめ、チームを見つめ、自分自身を見つめ、勝つためには何ができるのかを考えて行動に移す。主将となり部の方針を変えていったのにも、主力が崩れても勝てるチームにしたいという思いがあったからだ。「自分のやるべきこと」を貫き通した東海枝の4年間に迫る。[ 詳細はこちら]
 

 

第20回 田口陸斗/体操(2月25日)

 
体操の精神と努力 何度もケガに苦しめられながらも、最後まで体操部の主将を務め上げた田口陸斗(スポ=福岡・自由ケ丘)の大学4年間の軌跡をたどる。[ 詳細はこちら]
 

 

第19回 伊藤礼/ボクシング(2月24日)

 
彩り 「人生の彩りだった」。伊藤礼(スポ=新潟南)はボクシング部で過ごした4年間をこう表現する。1年時からチームのエースとして、そしてラストイヤーは主将としてチームをけん引してきた伊藤。早大で過ごした4年間は彼にとってどのような時間だったのか、その思いに迫る。[ 詳細はこちら]
 

 

第18回 里川奈優/女子卓球(2月23日)

 
卓球人生17年間の集大成 女子部唯一の4年生として、さらには女子部主将として、1年間チームを引っ張ってきた里川奈優(スポ4=高知・明徳義塾)。その責任の重さやプレッシャーは計り知れないが、やり遂げた先には確かな成長と達成感があった。「卓球人生17年間の集大成」と振り返った4年間に迫る。[ 詳細はこちら]
 

 

第17回 杉本和也/男子卓球 (2月23日)

 
生きがい  「卓球とは生きがい」ーー。そう語る杉本和也(スポ4=福岡・希望が丘)だが、早大卓球部での4年間は決して平たんな道のりではなかった。入学時には新型コロナウイルスが猛威を振るい、練習もままならない状況に。さらに3年時には実業団への道が閉ざされ、「人生で一番の挫折」と自身が語るほどの経験もした。それでも、チームのため、自身のため、再起を果たした主将の4年間を振り返る。[ 詳細はこちら]
 

 

第16回 鶴見汐花/馬術(2月22日)

 
馬と共に歩んだ4年間 2年連続で副将を務め、馬術部の団体戦メンバーに不可欠な存在として活躍した鶴見汐花(スポ4=栃木・佐野日大中教校)。大学生活を振り返ると苦労は多かったが、その時に支えになったのは4年間毎日顔を合わせて世話をしてきた馬たちだった。4年間の軌跡とその時々の思いを振り返る。[ 詳細はこちら]
 

 

第15回 大森美南/女子サッカー(2月21日)

 
ア女という「憧れ」で見つけた強さ 中学生の頃からア式蹴球部女子(ア女)に憧れを抱いてきた大森美南(スポ=東京・八王子学園八王子)。入部当初からひたすら練習を重ね、力をつけてきた中、ラストイヤーでの半月板損傷。そんな彼女を支えたのは日本一への思いと、仲間の姿だった。憧れの場所で、闘い抜いた4年間に迫る。[ 詳細はこちら]
 

 

第14回 藤田智里/女子サッカー(2月21日)

 
自らの可能性 「絶対この環境で成長したいーー」。高校卒業後、サッカーを続けるかすら迷っていたという藤田智里(スポ=神奈川・大和)は、ア女(ア式蹴球部女子)に憧れ、学生最後の4年間をここに懸けると決意した。チームに向き合い、自分に向き合い、突き進んできた藤田。その4年間に迫った。[ 詳細はこちら]
 

 

第13回 佐藤慧一/男子サッカー(2月20日)

 
「心くばり」のマネージャー コロナ禍で入学、3年時に屈辱のリーグ戦2部降格。チームとして苦しかった時期を4年間支え続けてきたマネージャー・佐藤慧一(政経4=東京・早実)。数え切れないほどの多様な経験の末に見出した、彼なりのマネージャーとしてのあり方に迫った。[ 詳細はこちら]
 

 

第12回 平松柚佑/男子サッカー(2月20日)

 
苦悩と成長の4年間 「嬉しいことより苦しいことが多かった。それでも幸せでかけがえのない時間だった」早稲田大学ア式蹴球部での4年間を平松柚佑主将(社4=山梨学院)はこう振り返る。今年度、創部100周年への重圧、1部昇格のプレッシャーを背負いながら主将を務めた平松が過ごした4年間に迫る。[ 詳細はこちら]
 

 

第11回 細溪宙大/男子バスケットボール(2月19日)

 
『頑張り続けること』 「『負け、終わり』っていう風に逃げたかった」。今年度のバスケットボール男子部は関東大学リーグ戦(リーグ戦)の結果により、2部降格が決定。主将を務めた細溪宙大(教4=東京・早実)にとって、2部降格という事実は重い十字架となってのしかかった。選手として、主将として、多くの葛藤があった4年間で得たものとは。細溪の心境に迫った。[ 詳細はこちら]
 

 

第10回 星川堅信/男子バスケットボール(2月19日)

 
一緒に戦ってくれる人たちのありがたみ 屈指のスコアラーとして、チームをけん引してきた星川堅信(スポ4=京都・洛南)。スター選手として順風満帆なバスケ人生を歩んできたが、今年度は関東大学リーグ戦(リーグ戦)での連敗、そして無念の2部降格と、苦杯をなめた。さまざまな苦悩の中で感じたのは、「一緒に戦ってくれる人たちのありがたみ」。今年1月、越谷アルファーズでプロデビューを果たした星川にとって、この1年の経験は大きな意味を持っていた。[ 詳細はこちら]
 

 

第9回 田中天智龍/競走(2月15日)

 
成長の場 「成長の場」ーー。田中天智龍(スポ=鹿児島南)が早大競走部で過ごした4年間を振り返って真っ先に浮かんだのはこの言葉だった。数々の試練を経験し、それを乗り越えるたびに「成長」してきた。一人のアスリートとしての競技力だけではなく、精神的な面でも成長することができたという4年間の軌跡をたどる。[ 詳細はこちら]
 

 

第8回 菖蒲敦司/競走(2月15日)

 
見据える先はただ1つ 「世界で戦っていきたい」ーー。山口県の名門・西京高校から入学した菖蒲敦司(スポ4=山口・西京)。入部当初から世界を見据え、高い向上心を持って競技に向き合ってきた。そんな菖蒲が競走部で過ごした「幸せな4年間」を振り返る。[ 詳細はこちら]
 

 

第7回 横山舞香/剣道女子(2月14日)

 
ゴールはまだ先に 「剣道で人生の大切さを学んだ」という横山舞香主将(スポ4=京都・日吉ヶ丘)。主将としてのプレッシャーにも悩まされ、成績だけを見ると決して順風満帆には見えないが、「諦めないこと」を座右の銘に掲げる横山が走り続けた4年間を振り返る。[ 詳細はこちら]
 

 

第6回 門間光児/剣道男子(2月14日)

 
早稲田で得た学び 「すごい勉強になった4年間だった」早大剣道部での日々をこのように振り返る門間光児主将(社4=熊本・九州学院)。高校まで、常に日本一を目指す環境にいた門間は、大学でも日本一に強いこだわりを持って剣道に向き合った。大学という多種多様な人間が入る、門間にとって初めての環境の中で、どのようにチームを作り、どうやって剣道に向き合ってきたのか、この4年間を振り返る。[ 詳細はこちら]
 

 

第5回 藤岡凌大/庭球(2月13日)

 
勇猛邁進、百折不撓 庭球部の卒業記念特集二人目は男子主将の藤岡凌大選手(文講4=東京・早実)だ。彼は早稲田実業高校でかなえられなかった全国大会優勝をかなえるために早大でも庭球部に入ることに決めた。団体戦で日本一を二度達成した一方で、主将という立場にもなり、様々な重圧と戦ってきた。[ 詳細はこちら]
 

 

第4回 神鳥舞/庭球(2月13日)

 
進取果敢、孤軍奮闘 庭球部の卒業記念特集一人目は女子主将の神鳥舞選手(スポ4=東京・早実)だ。 神鳥選手はインカレのダブルスで優勝し四連覇を果たすなどコートで獅子奮迅の活躍を見せてきた選手。そんな彼女はテニスや部活をどのように受け止めていたのだろうか。[ 詳細はこちら]
 

 

第3回 齋藤正貴/野球(2月12日)

 
想像以上の4年間 『一生の宝物』。齋藤正貴(商4=千葉・佐倉)は野球部での4年間を一言でこう表した。県立高校出身のサウスポーは3年時に開幕投手を任せられるも、思うような結果を残せず挫折を味わった。4年時は中継ぎとして悔しい思いをしながら、最後は抑えとしてチームを支えた。そんな酸いも甘いも経験した齋藤正の野球人生を振り返る。[ 詳細はこちら]
 

 

第2回 肥田尚弥/野球(2月12日)

 
信念を貫いた陰の立役者 肥田尚弥(スポ=大阪・早稲田摂陵)は早大野球部での4年間をこう振り返る。「入学して思い描いていた4年間とはまるで違った4年間」。選手として神宮で活躍を夢見たが、2年生の時に肥田は学生コーチへの転身を決意。そして4年時には新人監督として小宮山悟監督(平2教卒=千葉・芝浦工大柏)と選手の橋渡し役を担った。選手から学生コーチへ転身した当時の思い、新人監督になって感じたことを振り返り、そして肥田の早大野球部での4年間に迫る。[ 詳細はこちら]
 

 

第1回 森田朝陽/野球(2月12日)

 
苦しみを乗り越えた先に待つ幸せ 「これ以上できないくらい本気で野球に向き合った4年間」ーー。高校時代から早大野球部での活躍を夢見て、自己推薦入試で入学した森田朝陽(社4=富山・高岡商)。しかし、そこに待っていたのは、周囲とのレベルの差や主将としての重圧、そして嘔吐や過呼吸さえも発症するほどの苦しい病であった。そんな苦悩や葛藤の連続がありながらも「本気で野球に向き合うことができて幸せだった」と語った森田朝の4年間を振り返る。[ 詳細はこちら]
 

 

(編集 大西由雅)