自身2度目の出走となる東京箱根間往復大学駅伝(箱根)で、7区を走った諸冨湧(文4=京都・洛南)。急きょの出走であったものの、動揺することなく、持ち前の安定した走りを見せた。そんな諸冨は今年の箱根で、10年間に及んだ陸上競技人生に幕を閉じた…

 自身2度目の出走となる東京箱根間往復大学駅伝(箱根)で、7区を走った諸冨湧(文4=京都・洛南)。急きょの出走であったものの、動揺することなく、持ち前の安定した走りを見せた。そんな諸冨は今年の箱根で、10年間に及んだ陸上競技人生に幕を閉じた。諸冨がラストランに込めた思い、そして、競走部での4年間を振り返って今、思うこととは。

※この取材は1月14日にオンラインで行われたものです。

最後の箱根は「楽しめた」


7区を走る諸冨

――箱根事前対談から箱根当日までの調子はいかがでしたか

 あまり変わらず、調子は少し上がってきたというくらいでした。悪くはなかったです。

――前日に7区の出走が決まった経緯を教えてください

 7区の候補が僕と宮岡(凛太、商2=神奈川・鎌倉学園)と伊藤(伊藤大志次期駅伝主将、スポ3=長野・佐久長聖)だったので、ずっとホテルが一緒で晩ご飯も一緒に食べたのですが、誰もまだ(誰が出走するか)聞いていなくて。早く言ってほしいと思っていました。そして、夜の7時前くらいに花田さん(花田勝彦駅伝監督、平6人卒=滋賀・彦根東)から電話がかかってきて、(7区は)難しい位置ですし、安定感と落ち着きがあるから諸冨でいくと言われました。

――7区の出走が決まった時はどのような心境でしたか

 走る前日まで(誰が出走するか)分からないと言われていましたが、走るていで準備していたのでそこに動揺はなかったです。

――気持ちの切り替えはすぐにできたという感じでしょうか

 そうですね。

――箱根から少し時間が経ちましたが、ご自身の走りを改めて振り返っていかがですか

 自分らしい、守りの安定した走りができたと思います。

――往路の選手の走りはどのように見られていましたか

 本当にすごかったです。往路5位は誰も想像していなかったので。走る前からインフルエンザなどがあって、今年はシード権はさすがにきついなと思っていたのですが、まさかの5位で。他大が(アクシデントなどで)崩れてしまった中で自分たちが予想以上の走りができました。特に辻(文哉、政経4=東京・早実)と工藤(慎作、スポ1=千葉・八千代松陰)と山口(智規、スポ2=福島・学法石川)がいい走りをしてくれたので、非常に良かったなと思います。

――栁本匡哉(スポ4=愛知・豊川)選手からタスキを受け取った時の心境を教えてください

 同期と(タスキを)つなげてアツかったです。しかも2人とも過去、箱根の山で失敗しているので。そういうことがあって、最後に(栁本選手と)タスキをつなげたというのは非常に感慨深かったです。しかも、周り(の選手)がしっかりいるいい位置でタスキを持ってきてくれたので良かったです。

――ご自身の序盤の走りを振り返っていかがですか

 序盤は、ほとんど最初の4キロくらいの橋で石原翔太郎(東海大)に追いつかれて、それからはずっと後ろについていっただけです。とりあえず沿道の声援がすごいと思いながら楽しんで走っていました。

――石原選手の後ろに着いて走っている時どのようなことを考えていましたか

 (石原選手は)思ったより速くないと思っていました。石原選手は非常に強い選手なのですが、抜かれる時もあまりスピード感がなく意外と(石原選手の)後ろに着けていると思っていました。石原選手の後ろに着いているから結構いい感じに走れていると思っていたのですが、あまりそうではなく、中間疾走のペースが落ちてしまったので、そこはもう少し詰めることができたと思いました。石原選手に着いていったおかげでテレビにも結構映れたので、そこは良かったと思います。

――9キロ以降のアップダウンはいかがでしたか

 そこ(9キロ以降)を考えて、レースプランも序盤から落ち着いて入り、9キロから16キロまでのアップダウンを越えてからペースを落とさずに刻めるかが勝負という感じではありました。序盤は落ち着いていて、アップダウンも石原選手に着いていったのでずっと余裕を持って走っていました。余裕を持ちすぎていました(笑)。

――下りと平坦の切り替えはいかがでしたか

 足(の余力)が残っていたので、後半3キロを越えて以降は少し(ペースを)上げないとやばいかなと思っていました。ちょうどそこで神奈川大と明大に追いついたので、(その集団を)引き離して切り替えていこうと思ったのですが、(後ろから)帝京大が来て驚きました。帝京大の監督が後ろから「区間賞取れるぞ」と言っていたので、区間賞は速すぎると思いながら最後は走っていました。

――ご自身の区間順位やタイムについてはいかがですか

 花田さんと話していた設定タイムが64分20秒のプラスマイナス10秒だったので、ほとんど設定どおりで走れました。中間疾走をもう少し頑張れたら(タイムは)マイナス10秒の方に上向いてくれたという感じではあります。順位は良くはないのですが、そこまで気にしていないです。自分の走りができて最後に楽しめたので、そこは良かったです。

――伊福陽太(政経3=京都・洛南)選手との洛南高校出身同士のタスキリレーはいかがでしたか

 それ結構言われるんですよね(笑)。僕的には、これより栁本との同学年タスキリレーに注目してほしいです。洛南高校同士アツいと言われていましたが、そんなにアツいか?と思っていました(笑)。

「自分らしい走りをしよう」


今年の日本学生対校選手権で3000メートル障害を走る諸冨。4年連続で入賞を果たした

――給水はどなたでしたか

 10キロ地点で宮岡、15キロ地点で草野(洸正、商3=埼玉・浦和)から給水を受けました。

――どのような言葉をかけてもらいましたか

 宮岡はよく聞こえなかったです(笑)。何を言っているんだろうと思っていました(笑)。草野は結構声がいいので、内容はあまり覚えてはいないのですが、とてもいいことを言ってくれました。濱本(寛人、スポ4=熊本・宇土)からの伝言を伝えてくれていたらしいです。その声に気合が入りました。

――そのような給水は力になったりするのですか

 なりますね。やはり(気持ちが)ハイになっているので、少しくさいようなことを言われても、走っている時は気合が入ります。

――復路は一斉スタートの走者が多かったですが、走っている時に感じたことはありますか

 走っている人も見ている人もどこがシードなのか分かりづらかったですよね。走っていたら余計分からなかったので、順位は考えないようにしていました。自分の走りをしようということだけを考えて走っていました。

――3年前出走した時と比べて、沿道の声援はいかがでしたか

 全然多かったです。あの時(3年前)はコロナで規制されてて無観客でやってくださいと言われていて。しかも、僕は山(5区)だったので、それでも小涌園とか要所要所にたくさん人がいて、人いるんかいと思ったのですが、(今回は)特に平地の区間なのでずっと(人が)いましたね。まだ集中しきっていない時は左耳が痛くなるくらいで、本当に力になりました。

――走っている際、花田監督からどのような言葉をかけてもらいましたか

 最初の1キロと3キロのところは聞こえてるか、大丈夫か、冷静に走れているかみたいな言葉を指示の後に言われていたので、冷静にピッと手を挙げました。ラストはとても熱い声かけをしてくださって。内容ははっきり覚えていないのですが、最後それでふり絞ることができました。

――1年時と4年時に箱根路を出走されましたが、精神面や競技面で成長したと感じるところはありましたか

 精神面はいろいろなことがここまであったので、タフになりました。競技的には正直1年の時の方が強かったのではないかとも思うのでそこまでですが、走りの安定感などベースは多少向上しているかなと。1年の時は箱根の結果だけ見たら本当にダメだったのですが、少しは成長しているのではないかと思います。

――レース後のインタビューで、今回の箱根は緊張しなかったとおしゃっていましたが、精神面でのタフさはそこにつながっていますか

 もともとそこまで緊張するタイプではないのですが、1年の時の箱根は結構緊張したので、緊張のコントロールは1年の時よりかは上手くなりました。

――諸冨選手にとって箱根とはどのような舞台ですか

 長い間憧れてきた舞台です。

――チームの総合7位という結果についてはどのように受け止めていらっしゃいますか

 今回はもう100点でしょう。全体の共通認識はシード権死守だったので。しっかりシード権を守りきれた、走るべき人が走れない、主力の大志、航希(佐藤航希、スポ4=宮崎日大)、光(北村光、スポ4=群馬・樹徳)が抜けてて、その状況でシード権を獲得できたのはよかったと思います。僕は4年生で今年で競技も引退なので最後しっかりシード権とって後輩に残して終われたので。全日本(全日本大学駅伝対校選手権)も予選会、箱根も予選会はさすがに申し訳ないので、シード権を残せてよかったです。

――新チームに期待していることはありますか

 箱根優勝してください。頑張ってください。

――特に期待している選手がいましたら教えてください

 山口と間瀬田(純平、スポ2=佐賀・鳥栖工)です。仲もいいですし、かわいがっていて、シンプルに足が速いので、この2人に期待してます。

――箱根後はどのように過ごされましたか

 もう一般人です(笑)。4日に退寮して、今1人暮らしをしていて、就活とレポートとバイトに追われています。

4年間を振り返って


合同取材での4年生。4年間苦楽を共にした同期を諸冨は大好きだという

――競走部で過ごした4年間はどんな4年間でしたか

 いい時間でした。いろいろ大変なこともありましたけど、人間的に成長できた、いい4年間だったと思います。

――4年間で印象に残っている試合やレースはありますか

 最初と最後の箱根です。

――その理由は何ですか

 1番大きい試合なので。1番大きくて1番注目される試合が箱根なので、1番印象に残ってます。

――諸冨選手にとって同期はどのような存在ですか

 本当に好きです。同期大好き(笑)。(今の)3年生と違って、横のつながりは強いけど、普段1匹狼みたいな孤立しているタイプなので、全員で飲み会やわいわいなどはなかったのですが、個人的にはみんなと関わりがあって、本当にみんなおもしろくて良い奴なので大好きです。

――10年間の競技人生は振り返っていかがですか

 よく頑張りました自分という感じです。長かった(笑)。

――今後陸上に触れることは考えていますか

 全然考えてないのですが、2月に京都マラソンにエントリーしているので。ここから走る時間も体力もないんですけど、京都マラソンを走らなければならないのは悩みです(笑)。それ以降は関わることはあまりないかなと思います。

――後輩にメッセージをお願いします

 気負わず、楽しく頑張れ。

――最後に、4年間応援してくださった方々に一言お願いします

 ガーンと突き抜けた結果を出すことがないような地味な感じ(の4年間)になったのですけど、4年間応援してくださって、最後箱根も走らせてもらって、すごくいい時間でした。ありがとうございました。

――ありがとうございました!

(取材・編集 佐藤結、草間日陽里)

◆諸冨湧(もろとみ・わく)

2001(平13)年10月12日生まれ。168センチ。京都・洛南高出身。文学部4年。第100回箱根7区1時間04分30(区間14位)。レース前にはリポビタンDを飲むのがルーティーンだという諸冨選手。箱根前は奮発して買ったリポビタンDスーパーを飲んだそうです!