キー局のアナウンサーになりたい。そんな強い思いを胸に、大学から剣を握った選手がいる。エペを専門とする中村咲久耶(文構2=東京・富士見丘)だ。 小学校時代の2年間をイギリスで過ごした帰国子女の中村は、高校時代にも10か月間メキシコへ留学をし…

キー局のアナウンサーになりたい。そんな強い思いを胸に、大学から剣を握った選手がいる。エペを専門とする中村咲久耶(文構2=東京・富士見丘)だ。

小学校時代の2年間をイギリスで過ごした帰国子女の中村は、高校時代にも10か月間メキシコへ留学をした。向かった先はアメリカとメキシコの国境の町、シウダーファレス。時期もちょうどトランプ前大統領が国境に壁を作ると話していたときだった。毎日銃声が聞こえるような治安の悪さで、テロの影響により学校が休校になることも多々あったという。そんな生活の中で目の当たりにしたのが「貧富の差」。ホームステイ先では中村の身の回りの世話を、中村よりも若い小学生、中学生のメイドたちがやっていたのだ。「そういった経験があまりにも苦しかったり、あとは自分でも受け入れられなくて。でもそれって日本のメディアでは伝えられていないじゃないですか」そう感じた中村はこの状況を伝える使命感を抱き、現地で高校生新聞の記者を始めた。メキシコがはらんでいる問題、例えば女性の権力問題などを記事にし発信し続けた。活動していく中で、映像の媒体を用いて世界情勢を日本の視聴者にわかりやすく伝えたい、と心に決めた中村。話すことが好きという気持ちもあり、そこからアナウンサーを志すようになった。


将来の夢はアナウンサー

ではなぜフェンシングを始めようと思ったのか。「アナウンサーになるためには、いろいろな経験値がないといけないなと考え始めて」1年時はアナウンス研究会に所属し、アナウンス技術に磨きをかけていたものの、自身にはスポーツの知識が足りていないことに気づいた。「特にスポーツ実況だったり、あるいは国際報道の中でもスポーツに関する報道の需要はとても高いので、その中で自分が担当できるスポーツって何だろうと考えた先にフェンシングがありました」そのきっかけは、『二十五、二十一』というフェンシング選手が題材となった韓国ドラマ。鑑賞した際、中村の競技の選択肢として突如ひらめいた。のちに調べてみると、現在フェンシングを実況できる女性アナウンサーは少なく「これは私が経験するしかない」と直感が働き入部に至ったという。見学に行き、強豪選手を目の前にして「マネジャーの方がいいのか」と迷いもあったが、経験した方が自分のためになると感じ選手としての入部を選択。もともとバスケやピラティスなどスポーツに親しんできたため、体を動かしたいという思いも相まってフェンサーの道を歩み始めた。

早大のフェンシング部の第一印象は「フレンドリー」。厳しい上下関係や部の伝統的なルールなどを想像していた中村にとって、部の雰囲気は心地いいものだった。また中村は帰国子女であるため、敬語や日本語がとっさに出ないとき、留学生やハーフの先輩が英語で話しかけてくれることが多いようで「アナウンス研究会にいるときよりも(心が)落ち着いたんですね。どんなかたちであれ、マネジャーでも選手でも、とりあえず私はフェンシング部に入るべきだなと直感で感じました」と話した。「フレンドリーで国際的、何よりも各々が目標に向かって努力している姿、オーラが目に見えてわかったので、今までに感じたことのない、青春を感じました」そう笑顔を見せた中村が一番尊敬するのは、同期の森多舞(スポ2=山口・岩国工)。森多のアスリート性、そして表裏のない人間性に憧れを抱いているという。「普段話していると華やかな女子大生という感じなのが、フェンシングをするときは目の色が変わるんですね。タイガーみたいな(笑)彼女のオンとオフの切り替えの姿とか、すべてを尊敬しています」と中村は熱く語った。


対談を終え、目標を書く中村

大学から新しい競技を始めるという決断は、なかなかできるものではない。早大のような、強豪が集う環境ではなおさらだ。それでも中村は自身により磨きをかけるために、この春からエペ剣を握った。最初は想像以上の剣の重さに「自分はこの競技をできるのかな」と不安になったというが、最近は徐々に慣れてきてたそう。アナウンス研究会での活動や多くの課題と並行することは決して平たんな道ではないだろうが、中村の行動力、意志の強さならきっとフェンシングでも花を咲かせることだろう。

(記事・編集 槌田花、写真 堀内まさみ)

◆中村咲久耶(なかむら・さくや)

2003(平15)年3月4日生まれ。150センチ。東京都出身。文化構想学部JCulP2年。英語はもちろんのこと、スペイン語も操ることのできるトリリンガル。エペを専門にした理由は、ダグラス・ビューワーニック(スポ3=埼玉・星槎国際)から「攻撃権など難しいルールのない、とにかく突く練習のできるエペがいい」と助言をもらったことと、同じく大学から競技を始めた寺井健人(教4=東京・早大学院)の練習風景に感銘を受けたことがきっかけ。新人戦での優勝を目標に練習を重ねます!