山下りで2年ぶりの箱根路を走ることになった栁本匡哉(スポ4=愛知・豊川高校)。周囲の期待を背負って入学するも、ケガや不調に苦しんだ4年間だった。最後の東京箱根間往復大学駅伝(箱根)で何を感じたのか、そしてこの4年間はどのような時間だったの…
山下りで2年ぶりの箱根路を走ることになった栁本匡哉(スポ4=愛知・豊川高校)。周囲の期待を背負って入学するも、ケガや不調に苦しんだ4年間だった。最後の東京箱根間往復大学駅伝(箱根)で何を感じたのか、そしてこの4年間はどのような時間だったのかを振り返ってもらった。
※この取材は1月13日にオンラインで行われたものです。
自分の中でもリラックスしてレースに臨めた
箱根前合同取材の栁本
――まず箱根前のことについてお聞きします。6区を走ることになった時の心情はいかがですか
北村(光、スポ4=群馬・樹徳)が1週間ちょっと前にインフルエンザになったというのを聞いていました。その直後はまだ(走るかどうか)分からないという状況でしたが、自分の中ではインフルエンザになった時点で、おそらく自分の番が来るだろうなと考えていました、ただ北村の調子が良かった分、(クリスマス前は)自分の番がほとんどないだろうなと思っていました。ですので気を抜いてたわけではないですが、いざこう(出番が)回ってきた時には少し不安もありました。自分は下り候補としてメンバー入りしているので、そういった意味で北村の代わりではないですが、役割を果たせたらなと思っていました。そこでまた気持ちを切り替えて、練習も順調にできていました。
――前回よりも緊張せずに走ることができましたか
そうですね。緊張はほとんどなかったですし、前日も楽しかったです。2年で走った時は前日もほとんど無口というか、全然喋らずにいたのですけど、今年はそうでもなく、自分の中でもリラックスしてレースに臨めました。
――一度走ったことの経験が生きた部分はありましたか
どこが大事なポイントかは大体把握できていたので、そういった点ではその経験は生きたのかなと思います。しかし、2年の時よりタイム自体も悪くて、走りもそこまで良くなかったです。
――箱根直前のチームの雰囲気は
インフルが流行り始めたことに加えて、その前から全日本(全日本大学駅伝対校選手権)、出雲(出雲全日本大学選抜駅伝)の結果を踏まえてチーム全体では、危機感をかなり感じていました。
――ご自身の箱根直前の調整具合は
練習自体はうまくやっていけていて、自分の中では上尾(上尾シティハーフマラソン)が終わってからは確実に上り調子ではありました。自信を持ってスタートラインに立てる準備はできたと思います。
――箱根が近付くにつれて気持ちの変化はありましたか
特に気持ちの変化はなかったのですけど、常に今まで通りやるというのを心がけていました。今までずっと結果を出さないといけないみたいな不安もありましたが、そういうのも考えるのをやめて、とりあえず気楽にいこうと思っていました。そういった意味でも結構楽しみな状態で、当日を迎えられました。
――往路のレースはどこでご覧になっていましたか
ちょうど1区の純平(間瀬田、スポ2=佐賀・鳥栖工)がタスキを渡す、2区の始まりくらいに自分は寮を出ました。工藤(慎作、スポ1=千葉・八千代松陰)が下り始めた頃に自分たちは旅館にいたので、ラスト2キロくらいのところで、工藤を応援しました。
応援のおかげで気持ちだけは切らさずに前を追えた
6区を走る栁本
――5区の工藤選手が5位でフィニッシュした時にはどのように感じましたか
正直場所的にもいい位置というか、前とも差があって後ろとも差があってというところで、自分の中では安心して走れる立ち位置ではありました。自分の予想よりいい方向に全員が走ってくれたので、正直5位で来るとは思っていなかったです。(往路のメンバーのおかげで)非常に安心して、前日を過ごしていました。
――2年時以来の箱根でしたが、レース中はどのようなことを考えていましたか
2年の時に比べて、コース上での応援規制がなくなって、終始応援が聞こえたことに自分自身、こんなに応援してくれるんだなというのを改めて実感しました。色々な人に抜かれましたけど、応援のおかげで気持ちだけは切らさずに前をしっかり追ってゴールまで走り切れました。
――花田勝彦駅伝監督(平6人卒=滋賀・彦根東)からの設定タイムの方はいかがでしたか
話し合った結果、設定タイムは59分3秒になりました。ただその設定通りにはうまくいかず、苦しいレース展開になったと思います。
――監督からの声掛けはいかがでしたか
最後だぞって言われた際に、この4年間、ケガで色々苦しんだことを思い出しました。もうこれが最後なんだなって思った時に、走りながら自分の中でぐっと来るものがあって、しっかり振り絞りました。
――次に箱根後のことについてお聞きしたいと思います。箱根後の足のダメージの方はいかがでしたか
約1週間くらいはずっと筋肉痛とか前腿の張りとかはありました。完全にその痛みがなくなるまでは、ゆっくり休んで、4日前くらいに少しずつ走り始めました。その中でも走れない時は軽く散歩したり、軽く動いたりしながら生活していました。
――箱根が終わって数日経ちましたが、改めてレースを振り返っていかがですか
最後の最後まで自分の中では、情けない走りになってしまいました。チームのみんなの走りがあったからこそ、シード圏内を確保できたと思うので、本当にチームのにみんなには感謝しかないです。自分自身もこの悔しさを持って実業団に行って、大学以上に飛躍できるようにしたいなと思っています。
――出雲で城西大が上位に来たのが悔しいとおっしゃってましたが、箱根では城西大が3位になりました。その結果についてはどう思いますか
城西大はみんながいい走りをしました。特に5区の山本唯翔選手は非常にいい走りをしていて。城西大を下に見ていたわけではないのですけど、勝てないチームじゃないと思ってたので、その点では悔しいなと思っています。
――今年1年ケガをせずに臨めたことで、前回の箱根とは違った点はありましたか
練習を積めてる分、非常に自信を持っていました。2年生の時はケガが明けてから1カ月ちょっとしか練習を積めてない状態だったので。調子が悪いとはいえ練習を積めてるというのは、自分の中では自信につながる要素だったかなと思います。
みんなが信じてくれて走れた。周りの人に感謝
関東学生対校選手権にて。今年は1500メートルで入賞を果たし、復活を印象付けた
――箱根が終わった後のチームの雰囲気は
シード権を獲れるか獲れないかっていうところだったので、7位という結果に終わって、チーム全体、安堵(あんど)の雰囲気はありました。良かったなと思っていたのですけど、実際最低でも5位以内っていうのを目標にしてたので、目標を達成できていないのは非常に悔しい部分ではあります。ただ悪いチーム状況の中では、いい結果には終わったのかなと思います。
――大学4年間での箱根を振り返っていかがですか
みんなが信じてくれていた部分もあったので、それに応えられなかったっていうのは非常に悔しいです。役割としては特に何もやってあげられなかったっていうのはあるんですけど、最後こうやってみんなが信じてくれて自分は走れた部分もありました。本当に周りの人に感謝だなと思います。
――4年間を振り返っての質問に移ります。競走部での4年間はどのような4年間でしたか
いいことも悪いことも色々経験して、チームには何度か迷惑かけた部分もありました。それが自分の中では学べた部分でもあったので、多くの経験を4年間してこられたかなと思っています。トップアスリート(TA)として入ってきて期待に応える結果は出せなかったのですけど、それ以上に腐らずにこの4年間競技続けられたことを、自分自身誇りに思います。また最後の駅伝シーズンは調子が悪い中、花田さんが使ってくれたことは非常に感謝しています。
――不調やケガもありましたが、栁本選手を支えた存在はありましたか
地元の友達や中学3年の時の担任の先生は何かしらレースが近づいた時に連絡していただきました。そういった応援があったからこそ、最後まで諦めずに期待に応えようという思いで頑張れたと思っています。
――この4年間で一番大変だったことは
練習もそうですけど、私生活です。自分とは違った生活をしてきた人たちとの共同生活になるので、ストレスが溜まる部分も多々ありました。その中でしっかり競技にもつなげていくというのが自分の中では大変でした。最初の1、2年目は共同生活にも慣れていないというか、本当にストレスもすごかったですし、競技との両立というのは自分の中でも苦労したなと思います。
――逆に4年間で一番楽しかったことは
やはり1個上の先輩たちや、純平と過ごしてる時が一番楽しかったかなと思います。
――4年間で成長した部分はありますか
競技面だったらケガへの対策っていうのは、高校時代にケガしてこなかった分、その対処法や復帰の仕方を学べました。(他にも)色々経験する中でこうした方がいいっていうのは自分の中でも気付けた部分もあって、人間的にも成長できたとは思います。
――早稲田大学の競走部で陸上を4年間続けて良かったと思うことはありますか
やっぱり応援される大学っていうのもあって、レースに出る時の応援は非常に力にもなりました、自分の中でも勇気をもらえて、最後までやり切れた要因でもあります。伝統ある応援されるチームで、こうして4年間競技を続けられたのは良かったです。
――ご自身の今後のことについてお聞きします。昨年の部員日記で陸上が楽しくなかったとおっしゃっていましたが、それでも実業団で陸上を続ける理由は
高校の時に1500で日本人トップになって、一度トップになるっていう経験をさせてもらっているので、大学入ってケガとか不調とかで色々悩んで、高校の時には勝てた選手にもどんどん抜かれてしまったりして。でもその中でも、この人がいけるなら、ケガしてうまく走れてないけど自分でもやれるっていうどこか期待をしてる部分がありました。この結果のままでは自分の中でも終われないなっていうのもあったので、実業団でまた復活できるようにしたくて、実業団を選択しました。
――数ある実業団の中で愛三工業を選んだ理由は
高校時代から愛三工業のコーチの方とつながりがあってよく面倒を見てもらっていただいて、親しくさせてもらっていました。そういう関係性のあるチームの方が実業団入ってからもフィットしやすいのかなと思って(選びました)。もちろん自分がまた活躍してる姿を地元で見せたいなって思ったので、そういう意味でも愛三工業を選びました。
――期待している後輩は
山口(智規、スポ2=福島・学法石川)と純平です。山口に関しては、今年の箱根もそうですし、一気に陸上界で名を上げてきたなと感じています。さらに上を目指して頑張ってほしいなと思っています。純平に関しても、山口に比べたらまだ劣る部分もあるんですけど、ポテンシャルは非常に高いので。この2人は今年、来年と早稲田を引っ張っていく上で、大事な存在だと思っています。
――今後のライバルとなる選手はいますか
いや、いないです。あまりライバルとか決めたくないタイプなので、自分だけに集中してという感じですね。強いて言えば、自分がライバルかなと思います。
――今後の目標を教えてください
最初は1500メートルでまた自分自身の本来の走りっていうのを戻しつつ、実業団では5000メートル、1万メートルで戦っていけるようにしたいです。
――最後に、4年間お世話になった方々にメッセージをお願いします
4年間期待に応えることはできなかったのですけど、応援が非常に力になりました。そのおかげで、最後までこうして4年間走り続けられたと思っています。ありがとうございました。
――ありがとうございました!
(取材・編集 田島凜星、近藤翔太)
◆栁本匡哉(やなぎもと・まさや)
2002(平14)年1月11日生まれ。167センチ。愛知・豊川高校出身。スポーツ科学部4年。第100回箱根6区1時間1分2秒(区間20位)。仲の良い友達とは皆でタコパをするのがお決まりだそうで、箱根が終わった後もしたとのこと。地元愛溢れる栁本選手の、愛三工業での走りに期待です!