苦悩と成長 中川卓也(スポ=大阪桐蔭)。アマチュア野球界で、この名前を知らない人はいないだろう。2018年に甲子園春夏連覇を達成した、大阪桐蔭高の『最強世代』を率いた主将である。その後、大きな期待を背負って早大に入学。1年時から試合に出場し…

苦悩と成長

 中川卓也(スポ=大阪桐蔭)。アマチュア野球界で、この名前を知らない人はいないだろう。2018年に甲子園春夏連覇を達成した、大阪桐蔭高の『最強世代』を率いた主将である。その後、大きな期待を背負って早大に入学。1年時から試合に出場したものの、大学での自身の成績は決して満足のいくものではなかった。それでも、ラストイヤーには主将を務めるなど、常にチームのために奮闘した中川卓。そんな中川卓の「一人の人間として幅が広がった」という4年間を振り返る。

 3歳年上の兄の影響で野球と出会うと早くから頭角を現し、地元では名の知れた存在となる。高校は、恩師の西谷浩一氏(大阪桐蔭高監督)の熱心な誘いと甲子園優勝に一番近いという考えから、大阪桐蔭高に進学した。高校3年時には、根尾昂(中日ドラゴンズ)や藤原恭大(千葉ロッテマリーンズ)らタレントぞろいのチームを束ねる主将として活躍。甲子園春夏連覇や、高校日本代表でも主将を務めるなど、輝かしい実績を残した。高卒でプロ野球という選択肢もあったが、「大学でもう一回一から力を付けて一つでも上の順位で」という理由から進学を決めると、西谷氏の薦めもあり、数ある大学から早大を選ぶ。入学前に早慶戦を観戦し、「他大学ではできないような経験をさせてもらえる大学」と感じ、大きな希望を抱いて入学した。


昨秋東大1回戦で打席に入る中川卓

 「思い描いているのとは180度違った」――。鳴り物入りで入学するも、その後は苦労の連続だった。1年春から東京六大学リーグ戦(リーグ戦)出場を果たすも、投手のレベルの高さに圧倒される。2年秋にはチームがリーグ戦を制したが、その歓喜の輪の中に中川卓の姿はなく、悔しさを味わった。3年秋には念願のベストナインを獲得したものの、手放しで喜べるようなシーズンではなかった。

ラストイヤーを迎えるにあたり、「これまで活躍できていなかったので、何か変えなくてはいけない」という考えから、志願して第112代主将に就任。高校時代にチームを日本一に導いた経験から、主将としての自分のやり方にも確固たる自信があった。しかし、それがかえって裏目に出てしまう。迎えた春季リーグ戦。多くのメンバーが試合経験に乏しかったこともあり、計3勝、順位は5位という成績に終わった。また、自身の成績も打率2割台前半と不振にあえいだ。

 春季リーグ戦後、中川卓は変わろうとしていた。それまで理想としていた主将像のシフトチェンジを図ったのだ。もともとは厳しく見るタイプだったというが、その厳しさも残しつつ、選手に寄り添い、選手一人ひとりに最善な接し方を考えるようにした。また、夏には南魚沼でのキャンプを敢行。そこでの猛練習は、チームにとって体力的にも技術的にも大きな自信につながった。さらに、夏季オープン戦は、中川卓の意向で同じ大学生との試合を中心に行い、「勝つイメージ」の定着を図った。

 9月10日、秋季リーグ戦が開幕。早大は最初のカード・法大戦で2連勝し勝ち点を獲得すると、続く明大とのカードは落としたものの、リーグ戦終盤まで優勝争いに絡む躍進を見せた。そして、迎えた最後の早慶戦。他大学の結果によって優勝の可能性は消滅していたが、「早慶戦は何か後輩に残せるような、そんな早慶戦にしよう」という思いを持って臨む。結果は2連勝、そして森田朝陽新主将(社3=富山・高岡商)が「4年生が必死に戦う姿を最後に残してくれた」と語るように、4年生の思いは後輩に確実に届いていた。新体制発足当初に掲げた「勝つ価値のあるチーム」。最終的に優勝には届かなかったが、試行錯誤を重ね、「いいかたちでチームを終えられた」と充実感を漂わせた。


昨秋法大2回戦で安打を放った中川卓

 かねてからの目標であったプロ野球選手。しかし、ドラフト会議で中川卓の名前が呼ばれることはなかった。「覚悟はしていた」が、悔しい結果に当日は落ち込んだという。それでも、秋季リーグ戦最中であったこともあり、「切り替えていつも通りの顔で練習に出ないとチームとしての士気も下がる」と、翌日の練習には普段通りの姿があった。また、秋季リーグ戦での打率はリーグ最下位に沈むなど、「ふがいない、悔しい、情けない」ものだったが、それでもなお練習には真摯(しんし)に取り組んだ。これらは、主将として、そして早大野球部の一員としての、『あるべき姿』を体現したものだった。

 卒業後は社会人野球の強豪・東京ガスでプレーをする中川卓。社会人野球での目標を「1年目から活躍して、息の長い選手になれれば」と語り、その先にはプロ野球の舞台でのプレーを見据える。結果は思い描いたものではなかった早大での4年間。それでも、技術的な面でも、主将としても、人間関係の面でも、「一人の人間として幅が広がった」と、多くのことを吸収した。この大学での経験を糧に、『キャプテン』・中川卓也は、次なるステージへと進む。

(記事 齋藤汰朗、写真 是津直子氏、藤田珠江氏)