ラグビー元日本代表の山田章仁さんはオーストラリア、アメリカ、フランスと、国内だけでなく海外のクラブでも活躍してきました。38歳になった今も現役選手として活躍し、今年1月に国内リーグで通算100トライを達成。「色白で華奢(きゃしゃ)だった少…

 ラグビー元日本代表の山田章仁さんはオーストラリア、アメリカ、フランスと、国内だけでなく海外のクラブでも活躍してきました。38歳になった今も現役選手として活躍し、今年1月に国内リーグで通算100トライを達成。「色白で華奢(きゃしゃ)だった少年」を変えたのは、母が教えた習慣でした。

■リーグ100トライ達成 ワールドカップで活躍も

 幼いころは、華奢で小柄な少年でした。姉2人がいる3人きょうだいの末っ子。友達と遊ぶとき、「服に泥がつくのも嫌」と言うほど繊細な子だったらしいです。両親がそんな様子を見て、「このままではあかん」と5歳の頃からラグビークラブに通わせました。

 2人とも京都の出身です。父方の祖父が、製鉄で栄えた北九州に移り住んで呉服屋を開き、父が後を継ぎました。母は元銀行員でお店を手伝っていました。礼儀やマナーに厳しく、お店に出入りする人たちにあいさつをするようしつけられました。

 母は、いつも僕の考えや自主性を尊重してくれ、進学やキャリアについても「あなたの人生なのだからあなたの好きにしなさい」と、言ってくれました。怒られた記憶は一度のみ。小学生のころ、暗くなる前に帰れないときは連絡しなさいと言われていたのですが、公園で友達と遊びに夢中になって日が暮れて帰ったときだけでした。

 卓球選手だった父は身長が180センチ近くありましたが、母は152センチほど。「私が責任を持って体を大きくする」と、小さいころから3食、食事をしっかりとらされました。

 朝食のメニューが決まっているんです。朝起きると、まず野菜ジュースを持ってきてくれて、朝食はブロッコリー、トマト、納豆、ひじき、温泉卵、いりこなど小鉢が並びました。それとプロテインが入った牛乳。食べるのに時間がかかるので、遅刻しないようによく走って登校していました。

 高校に入ると、弁当箱とおにぎり7個を持たせてくれました。おにぎりは、毎時限が終わるごとに1個ずつ食べるためです。弁当箱はごはんがギュウギュウに敷き詰められ、中に入れた箸が折れたこともありました。当時はイラッとしましたが、愛情をしっかり受け止められた学生時代でした。