駒澤大・藤田敦史監督インタビュー後編前編>>藤田敦史監督が「三本柱」を1区から配置した理由 感じていた不安とは史上初の2年連続学生駅伝3冠をかけて臨んだ箱根駅伝で、青山学院大に圧倒されて総合2位に終わった駒澤大。「1強」と見られていたなか、…
駒澤大・藤田敦史監督インタビュー後編
前編>>藤田敦史監督が「三本柱」を1区から配置した理由 感じていた不安とは
史上初の2年連続学生駅伝3冠をかけて臨んだ箱根駅伝で、青山学院大に圧倒されて総合2位に終わった駒澤大。「1強」と見られていたなか、今季からチームを任された藤田敦史監督は、学生3大駅伝を戦ってみて、どのような手応え、難しさを感じたのだろうか。また、今回の箱根の結果を受け、今後どのようなチームづくりを行い、雪辱を晴らそうとしているのか。
【箱根駅伝の特殊性と難しさ】
――箱根駅伝は全区間で20km超の区間距離という特殊性がありますが、出雲駅伝や全日本大学駅伝はオーソドックスな駅伝なので、区間配置も王道でいける部分(選手の適性を区間距離の長短に合わせた区間配置)はあります。
「そうですが、箱根でも王道で組めるように持っていかないと、それだけの選手がいなかったということになるので、練習からそういう区間配置ができるように持っていきました。全日本に関しては、1区は篠原なのか他の誰かかと考えた時、9.5km区間をしのげる人間がいればたぶん勝てるなという感覚がありました。そう考えて作り込んでいた時に赤津勇進と白鳥哲汰(共に4年)がグーッと調子を上げてきたので、"これは1回チャンスを与えるべきだろうな"と考え起用してみると理想的なオーダーに組めるような感じで持ってくることができた。ですから全日本は、たまたま勝ったというより、勝つべくして勝てた感じにできました。ただそれが箱根となった時、山川拓馬と伊藤蒼唯(共に2年)が崩れた時にチームとして思ったような組み方ができなかった。それがひとつの敗因でした」
――箱根の場合は全区間距離が長いので、選手の適性に合わせるというより、ある程度型にはめなくてはいけない(20km超を走れるようにする)ところもあり自由度が制限されます。
「そうですね、いろんな組み方ができない。だからどの駅伝も直前に区間配置を大八木やコーチの高林祐介と3人で話すんですけど、箱根に関しては最初に私が考えるオーダーを出した時に大八木(弘明・総監督)も"もうこれしかないよな"という言い方だった。でも青学大はたぶん、もっと自由度があるところでやれていたのだと思いますね」
【想定を超えていた青学大の往路新記録】
――出雲と全日本は圧倒的な勝ち方でしたが、そういう中でも危機感は感じていたのですか。
「競ったレースができていない点では、そうでしたね。ずっと逃げて走っているだけなので精神的にも楽です。それがやっぱり箱根の3区で逆転された時に、チームとして精神的に追い込まれてしまった。もしあれが(佐藤)圭汰でなければ、他の区間で抜かれたというのであれば、精神的なダメージはそこまでなかったかもしれませんが、"あの圭汰が抜かれた"という衝撃は大きかった。
その時に頭をよぎったのは私の大学4年(1999年)の箱根で、4区を走って順天堂大の大橋真一を抜いてトップに立ち、往路優勝をした時のことでした。その時、総合優勝した順大の沢木啓祐先生が、『駒澤大の藤田の走りはすばらしかったから抜かれるのはしょうがない。だけど大橋はうちでは10番手の選手だから、駒澤で一番の選手に抜かれるのは当然。チームとしての精神的なダメージはない』とコメントしたのです。そのあたりがやっぱり、長く監督経験のある方の勘というか、抜かれるにしても誰が抜かれるかまで考えて配置を考えている。そういうことをいろいろひも解いていくと、いろんな面で"なるほどな"というところにたどり着くわけです」
――青学大の原晋監督が「佐藤圭汰と山川拓馬の2選手を押さえ込めば勝てる」と言っていたのは、経験からくる勘といった部分だったということでしょうか。
「青学大の原さんからしたらそのふたりを抑え込んだら、駒澤は精神的なダメージを負うし脆くなるんじゃないかと考えていた。だからやっぱり、そこは長年やってきた人の勝負勘なんだなと改めて勉強させられました。ただ適材適所に並べればそれでいいというのではなく、勝負事というのは相手があってのこと。だからシミュレーションしていくなかで、自分たちのどこが負けていて、どこは勝てるのか。どこに自分たちの武器を置いて、ダメージをどう最小限にしていくかということを考えていかなければいけません」
――ただ、青学大の往路新記録、5時間18分13秒は速すぎるタイムでした。
「レースの後半は雨になりましたけど、たぶん追い風だったと思いますし、今回は条件もよかったです。あとはシューズもやっぱり、今回に関してはすごく良かったんじゃないですか。ナイキにしろ、アディダスにしろ。我々の想定では5時間21分15秒と、青学大が持っている(前の)大会記録を1秒上回る設定にしていました。それも1区が1時間2分台とスローな展開になるという想定だったので、そこが1分速くなったから5時間20分15秒なんですね。往路新で走れば後続を1~2分は離せるだろうという目論みだったのが、5時間18分は、想定を超えていました」
――シューズの性能もよくなっているので、余計に読みにくくなっていますね。
「それは本当にありますね。でも世界がそうなっている以上は、そこに合わせてやるしかないです。こればっかりはみんな同じ条件なので、これからはそこも本当に考えていかなければいけないと思います」
【今季得た課題と自信を胸に来季は挑戦者として】
――これからも、今までの育て方のようにトップクラスの選手には世界を見させながら、箱根を戦うというスタイルは継続していくことに変わりはない。
「そこはブレることはないですし、箱根だけっていう考え方はしたくないですね。私自身が学生時代から、箱根だけではなくその先のマラソンも考えた強化ということをしっかり準備してやってきていたので。それが一番の駒澤のよさだと思うので、簡単に変えてしまったら何もならないと思います。ただ、その中でも(駅伝で)勝たせてあげられるだけのノウハウであったり、練習をこれから工夫してやっていかなければと考えています」
――強いチームをいきなり預かってプレッシャーが大きかったと思いますが、出雲と全日本は勝てて、指導者としての手応えも感じたのではないですか。
「今回、3つの駅伝すべてをやらせてもらって、ある程度、自分の中での感覚はわりとつかむことができたので、今度はいろんな工夫も必要になってくると思います。今季は総体的な選手層があったので1年目の私でもやれていた部分もありますが、これから4年生がゴソッと抜けて選手層が薄くなった時にどう作り込んでいくか。手腕が問われますね」
――今年は1年生を使っていませんでしたが、使いたかった選手もいるのでしょうね。
「能力の高い選手はいるし使いたかった選手もいます。今年度でいえば4年生が圧倒的に成長していたので、1年生に関してはわりとじっくり育てられました。選手層が薄かったら春からある程度距離を踏ませて作り込まないといけませんが、4年生がいたので作り方の発想を少し変えて、"そんなに距離を走らなくてもいいよ"というところからスタートした。逆に育成を1年間じっくりできたので、2年生になってから少し質を上げれば何人かは出てくると思います」
――いきなり勝ちを宿命づけられたような感じだったので、翌年に備えてという試みもなかなかできないですね。
「やっぱり勝たせないといけなかったので、今季は来シーズンのための布石を打つようなことはできなかった。勝負に徹するしかなかったです。ただ、逆に言ったら1年間体力をつけさせて2年目から勝負させた方が、その後で伸びるかなという考えもあります。若い子は叩けば伸びるけど、叩き過ぎると上級生になった時に疲弊しちゃうので、そこはじっくりやったところがありますね。重要なのは、これからの1年でしょうね。今の1年生がひとりでもふたりでもどこまで上がってくるかというのと、今回悔しい経験をした2年生、圭汰も山川もも伊藤も帰山侑大(2年)、全員、悔しい思いしているので、次にどういうふうに変わっていってどう自覚を持つかですね」
――出雲と全日本が圧勝だったから、箱根はすごいプレッシャーだったでしょうが、負けたことでまたゼロからいけます。
「そうですね。箱根は負けたけど、出雲と全日本は連覇することはできたので、そこは自信にしていいかなと思います。あとは1年間やってきた自分の中での課題や工夫が、これからの1年出せればいいなっていうところですかね。チームとしても篠原と佐藤がやっぱり柱になるべきだから、ある意味、出雲は絶対に勝ちに行かないといけないと感じています。負けたままでいられないし、もし出雲を青学に取られるようなことがあると、下手したら3冠をやられる可能性も十分ありますから」
――箱根を考えると、今回活躍した黒田(朝日)選手と太田(蒼生)選手が残る青学大は強力ですね。
「あの二枚が残るだけでもすごいのに、2区もいて3区もいて山もいてとなると、相当強いです。ただ、実際に戦力はあっても当日ピタッと合わせられるかというのは、やってみないとわかりません。あれだけの戦力がいるから、次は逆にうちの方が挑戦者として行ける。今回、原監督がやったように、"黒田と太田を抑えれば勝てる"みたいなことを是が非でもやりたいなと思いますね」
前編〉〉〉藤田敦史監督インタビュー
【Profile】藤田敦史(ふじた・あつし)/1976年、福島県生まれ。清陵情報高(福島)→駒澤大→富士通。1995年に駒澤大に入学。前監督の大八木弘明(現・総監督)の指導の下、4年連続で箱根駅伝に出場。4年時には箱根4区の区間新記録を樹立。1999年に富士通に入社し、2000年の福岡国際マラソンで当時の日本記録をマーク。世界選手権にも2回(1999年セリビア大会、2001年エドモントン大会)出場。現役引退後は、富士通コーチを経て、2015年から8年間、駒澤大のヘッドコーチを務める。2023年4月に駒澤大監督に就任し、1年目は出雲駅伝、全日本大学駅伝で共に優勝。箱根駅伝は総合2位。