武蔵×武尊 スペシャル対談 中編(前編:K-1ヘビー級で戦っていた憧れの武蔵を見て、武尊が磨いた必殺技とは?>>) 元K-1三階級制覇王者の武尊と、1990年から2000年代のK-1で活躍したヘビー級戦士・武蔵による初対談。その中編は、K-…

武蔵×武尊 スペシャル対談 中編

(前編:K-1ヘビー級で戦っていた憧れの武蔵を見て、武尊が磨いた必殺技とは?>>)

 元K-1三階級制覇王者の武尊と、1990年から2000年代のK-1で活躍したヘビー級戦士・武蔵による初対談。その中編は、K-1で外国人選手と闘う時に考えていたこと、それぞれの立場で悩んでいたことなどを語り合った。



K-1時代の悩みについて語り合った武蔵(左)と武尊photo by 村上庄吾

【外国人選手と闘う時のモチベーション】

――子どもの頃、現役時代の武蔵さんを応援していた武尊選手にとって、今でも忘れられない武蔵さんの試合はどの一戦になりますか?

武尊 2003年と04年のK-1グランプリで準優勝された時の決勝戦です。両方ともレミー・ボンヤスキー選手との闘いでしたが、どちらが勝つかわからない試合でした。

 当時、僕は空手をやっていたんですが、無差別級の大会で優勝したことがなかったんです。だから、ヘビー級の武蔵さんが自分より大きな外国人選手相手に命を削って闘う姿は、すごく感動したし、勇気をもらいました。

武蔵 そう言ってくれて嬉しいよ。

武尊 僕にとって、あの時の武蔵さんの闘いが「K-1のリングに立ちたい」と思った原点です。体が大きくない僕の心の中には、子どもの頃から「小さい人が大きい人を倒す」という美学があったので、武蔵さんには「K-1は外国人選手だけの世界じゃないんだ」という夢を持たせてもらったんです。

武蔵さんは、世界の強豪選手と闘う時にどんな気持ちで挑んでいたんですか?

武蔵 相手が誰でも、「勝つのは当たり前や」と思っていたね。それと、「相手がデカイ、重たいから勝てない」と思われるのが嫌だったから、「それを覆してやる」という気持ちが強かった。

 日本人と外国人選手を比べる時に、俺はよく車に例えるんだけど......日本車は、見た目では外国の車に比べるとゴツさとか排気量では負けるかもしれないけど、壊れなくて小回りが利くし、燃費もいい。そういう日本車のような、日本人ならではの長所を生かして世界と勝負しようと思ってたよ。スタミナや小回り、技術でも絶対に負けないって。その武器で、「フィジカルで上回る外国人選手を攻略してやる」というモチベーションで闘っていたね。

武尊 その感覚、めちゃめちゃわかります。同じ階級でも、フィジカルは外国人選手のほうが強いんですが、日本人はメンタルが強いし、我慢強さも負けない。その部分では、僕は世界中の誰とやっても負けない自信があります。

【世界中の強い選手がK-1に集結していた時代】

武蔵 メンタルを鍛えられたという意味では、俺も武尊くんも空手出身ということもあるだろうね。基本、試合は"無差別級"だし、普段の稽古でも体重は関係なく(相手を)回して組み手をするから、大きな相手に対して「負けてまるか!」という根性が自然と養われたんじゃないかと。

 俺のK-1デビュー戦の時の体重は83キロやったけど、相手だったパトリック・スミスは100キロ超えてて。いきなりそんなデカイ相手と闘って、勝てた。それは、空手時代に鍛えられたメンタルがあったから乗り越えられたんだと思うよ。ただ、そこから試合が立て続けに組まれて、また違う意味でハートが強くなったけどね(苦笑)。

武尊 1年間で一番試合数が多かった年は、何試合くらい闘ったんですか?

武蔵 ワンデートーナメントもあったから......1999年に1年で11試合やったのが最高かな。今では当たり前のようになっているけど、当時は「顔面への打撃ありで、ワンデートーナメントって何を考えとんねん!」と思ってたよ。

武尊 うわぁ......それはヤバイですね。

武蔵 あの頃は、フジテレビでグランプリシリーズ、日テレでジャパンシリーズ、加えて大みそかにTBSが格闘技を生中継していたからね。これにワールドグランプリ、ジャパングランプリとトーナメントが2回も入る。体は悲鳴をあげてたけど、「出てくれないと困る。ムサちゃん頼むよ」って、よくわからない関係者らしき謎の男に頼まれて(苦笑)。結局は出場してたよ。

武尊 試合をする側の武蔵さんは、本当に大変だったと思います。ただ僕は、あの地上波での中継を見ていたから「K-1は夢のある世界だ」と思ったし、空手をやり始めたんです。それで高校卒業後の2010年に、K-1に出場するために故郷の鳥取県米子から上京しました。

 でも、上京して間もなくK-1が消滅した(2014年にK-1実行委員会が発足し、"新生K-1"がスタート)ので、「何を目標にしたらいいんだろう」という時期がありました。

武蔵 そうだったのか......。俺らが闘ってた前体制のK-1は世界中で試合をやっていたし、放送もされていた。当時、海外に行くと現地の人からも「試合、見てるぜ」と声をかけられたからね。それほど大きな舞台だったし、立ち技系で世界中の強い選手が日本に、K-1に集結していた。

 ただ、それほどすごいものを作ったのに、消えてしまった。俺は正直、"作ること"はもちろんすごいことなんやけど、それを"なくす"ことは、それ以上に罪が重いと思ってるよ。

武尊 (前体制の)K-1が消滅した後、僕は「Krush」という大会に出ました。その時に、「チャンピオンにならないと、発言権も影響力もない」と感じて。まずはチャンピオンを目指すことにしたんです。チャンピオンになってから、メディア活動、PR活動をやって「絶対にK-1を復活させてやる」と思って闘っていましたね。

【叩き上げと大々的なデビュー、それぞれの大変さ】

武蔵 武尊くんは"叩き上げ"というか、誰にも知られていないところから自分の力で今の地位を築いたことは、とてつもなく尊い。逆に俺は、デビュー戦のパトリック・スミス戦で大々的にデビューしたけど、「いきなり大きなショーに放り込まれたド素人」みたいな気分だった。

 あらゆる媒体に「アンディ・フグと互角にスパーをする」「すごい日本人がデビューした」みたいに書かれて......キックボクシングでは何の実績もないのに、期待だけを煽られてね。実際のところ、アンディとのスパーリングでは毎日ボコボコにしばかれてたんだよ。

武尊 そうだったんですか。

武蔵 スパーでつけるヘッドギアには、脳天部分にはカバーがないやん? アンディはそこにカカト落としを落としてくんねん! 守られてないねん!「いい加減にしろ!」って(爆笑)。こっちは目ん玉飛び出そうになってんのに、アンディは笑ってんねん(笑)。当時の練習生と一緒に、飯を食いながら「いつかやってやる」と話をしてたよ。

 だから俺のデビュー戦は、簡単に言えば"ふるい"。空手のノリでパッとデビューさせられて、負けたらもう使わないという状況だった。当時の俺には「これで負けたら終わりだ」という緊張感があったね。武尊くんのように叩き上げていくのも厳しいけど、俺にはそんなつらさがあった。

武尊 僕は、キックボクシングでデビューした頃は「自分はこの世界で成功できるのか」と、自分で自分をふるいにかけていました。「チャンピオンになれなかったら、この世界にいる資格はない。チャンピオンになるまでは負けられない」と。

 そして、いざK-1でチャンピオンになってからは、「K-1の代表として負けちゃいけない。一回でも負けたら終わりだ」と思っていました。勝ち続けるほど、「自分が負けたら『K-1、日本人が弱い』となってしまうんじゃないか」という恐怖心が、試合ごとに増していきました。

武蔵 そこまで思いつめてたんやね。俺はデビュー戦で派手にKO勝ちして、何とかふるい落とされなかったけど、そこからは永遠に試合が続いた。その中で、ヘビー級で戦うために体を大きくせなアカンかったし、技術面も課題ばかりで克服しないといけないのに、試合だけはどんどん組まれていく。当時は、自分がやらなければいけないことができないことに、ずっと悩んでいたよ。

武尊 試合のペースが速すぎて、自分のことができなかったんですね。

武蔵 だけど武尊くんは、自分を追い込んでチャンピオンになり、三階級制覇も成し遂げた。(2022年11月に)K-1をやめてから、去年の6月にはISKA(国際競技空手協会)世界王座も奪取したからすごいよ。なるべくしてなったという感じ。振り返ってみて、階級を上げる難しさはあった?

武尊 僕は減量より増量が難しいんです。最初のスーパーバンタム級(~50kg)から階級を上げた時に、「普段の体重を上げよう」と思っていたんですけど、今はその時より普段の体重が軽いんです。当時の普段の体重は67~68kgくらいでしたが、今は64.5kgですから。

 無理して体重を増やそうとして食べると、内臓が疲れるから体の疲れも抜けにくくなるし、疲労も溜まるし、すべてが不調になる。逆に減量は、最低限のものを食べて、練習で動けば動くほど体重が落ちるからいいんですよ。だから、僕は普段の体重をあまり増やさないようにしたんです。スーパーフェザー級(~60kg)に上げた頃は、ほぼナチュラルな体重で試合に出ていました。筋肉をつければつけるほどスタミナも消費するので、筋トレもしてません。

武蔵 階級によって、体重を調整する大変さもそれぞれだね。

(後編:ONE初参戦の武尊にK-1のレジェンド武蔵が送った「日本を背負う」気持ちよりも大切なこと>>)

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