■角界見聞録 昨年12月、年寄「音羽山」を襲名し、陸奥部屋から独立しました。東京都墨田区に音羽山部屋を創設し、師匠になりました。 相撲部屋として使える建物の情報を親方仲間から教えてもらい、すぐに見に行き、決めました。陸奥親方(元大関霧島)か…

■角界見聞録

 昨年12月、年寄「音羽山」を襲名し、陸奥部屋から独立しました。東京都墨田区に音羽山部屋を創設し、師匠になりました。

 相撲部屋として使える建物の情報を親方仲間から教えてもらい、すぐに見に行き、決めました。陸奥親方(元大関霧島)から「師匠は大変だぞ」と言われた通り、家賃の支払いも大変ですが、頑張ります。

 1階が稽古場やちゃんこを作る調理場、2階が力士が暮らす大部屋や将来関取に使ってもらうための個室、3階が僕と妻子が暮らすスペースです。

 師匠になることを見据えて、僕は2020年に日本国籍を取りました。

 部屋を持ちたいではなく、持たないと意味がないと思ってきました。師匠として、弟子を強くするだけでなく、人間として成長させないといけないと思うからです。

 相撲道を極めるには、ただ強ければいいわけではありません。陸奥親方や僕を角界に入れてくれた元井筒親方(元関脇逆鉾)から、そう教わりました。

 いま弟子は3人。

 まず、僕が入門した井筒部屋時代の兄弟子、42歳の鋼さん(現三段目)。ちゃんこを作れて、僕がいない時も相撲や雑用の仕方を教えてくれます。私が部屋を持つときに力を貸してほしいと思い、現役で頑張ってもらっている面もありました。

 次に、初場所で前相撲を取った16歳の竹内。静岡・飛龍高の白坂は、独立直前に入門しました。

 沼津巡業に先乗りした際、飛龍高を訪ねたところ、彼がいました。プロ志望だったので「来てほしい」と気持ちを伝えたのです。人生を預かるわけですから、出身地の宮崎で、親御さんや小学校の時に相撲を教えてくれた先生にも会い、お願いをしました。

 僕は日本に出身地や出身校がない。他の親方のように人脈がまだなく、子どもの取り合いになったら難しい。でも、来てほしいからといって、ただ口説いて入門させることはしたくありません。

 力士には、しっかり自分で考えた上で来てもらいたいのです。「この部屋でやっていきたい」という気持ちで、夢や目標をもって入ってきてほしい。

 そのために、僕の部屋のカラーや情報をSNSなどで発信していきます。直接出向いて説明もしていきます。名刺ができあがったら学校の指導者へのあいさつをしていきたい。相撲大会にも足を運びます。

 相撲部のない学校にも行こうと考えています。ほかのスポーツをしている子の中に、将来の力士がいるかもしれないからです。

 大リーグの大谷翔平選手がすごい額の契約をしたニュースを見たら、自分の子には野球をさせたいと思うかもしれません。でも、スポーツには合う、合わないがあります。他のスポーツをしていたら大成するかもしれない。その見極めをしてあげるのも、我々プロの役割だと思います。

 新弟子の数は減り続け、昨年は過去最低の計53人でした。少子化とは言っても、年間に100人くらいは入ってもらうことは可能なはずです。「相撲は厳しくて、しんどそう」と思わせるだけでなく、挑戦したいという気持ちにさせなければいけません。

 2月中旬に「音羽山部屋」の看板を掲げます。一日でも早く相撲界の看板を背負う力士を育てたい。僕なりの恩返しで、それが日本相撲協会の財産にもなると思います。(元横綱鶴竜)