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★第65回 吉村紘/ラグビー蹴球(3月25日)

 
『早稲田ラグビー』が教えてくれたこと 1月8日に行われた全国大学選手権(大学選手権)決勝。早大が目指してきた『荒ぶる』は届かず、試合後の笛と同時に儚く散ることとなった。吉村紘(スポ=東福岡)の大学ラグビー人生に終止符が打たれた瞬間だった。幼稚園の卒園アルバムに描かれた、赤黒ジャージーの絵。その赤黒に憧れ、楕円球をひたむきに追い続けてきた。優れた戦術眼で味方に的確な指示を送り、冷静に沈めるコンバージョンキックでは幾度のピンチを救う。「日本代表になることは絶対目標」。チーム随一のストイックさを持つ吉村は、さらなる夢を追いかけ、早稲田大学ラグビー蹴球部を旅立つ。[ 詳細はこちら]

 

 

★第64回 鏡鈴之介/ラグビー蹴球(3月25日)

 
何度でも前を向く 仲間を想って 何度も 試練に苦しめられた4年間だった。ケガに泣かされ、選手としての夢は、儚くも散った。それでも、早稲田の「団結力」が揺るぎない物となったのは、ロック鏡鈴之介副将(法=東京・早大学院)の存在があったからだろう。下級生、下のチームの「希望の星」として、誰もが頼れる「副将」として、チームを繋ぐ「架け橋」として、早稲田ラグビーを支え続けた鏡副将の4年間と、その想いに迫る。[ 詳細はこちら]

 

 

★第63回 小西結/ラグビー蹴球(3月25日)

 
自分を変えてくれた場所 「トレーナーになりたい」。この将来の夢を叶える一心で早大・ラグビー蹴球部へ入部を決めた小西結(スポ=埼玉・大宮)。だが卒業を迎える今、小西結が決めた次のステージはトレーナーの道ではない。『日本一』を目指すチームで過ごした4年間、小西結が見つけた新しい自分とは ーー。[ 詳細はこちら]

 

 

★第62回 務台慎太郎/アイスホッケー(3月24日)

 
長野には、ウルトラマンがいるらしい DF務台慎太郎(スポ=北海道・駒大苫小牧)は、長野県で生まれた。5歳のころ、偶然友人のアイスホッケーを見に行った務台は、「すごくかっこいい」と感動し、スティックを握った。そして、次第にアイスホッケーの魅力に取りつかれていく。長野県は北海道や青森県に次いでスケートリンクが多く、アイスホッケーに触れる機会は多い。しかし競技力の向上のためには十分とはいえず、小学生の時には関東や北海道に遠征するなどしてスキルアップを図った。「その時からスケーティングが誰よりも上手だった」と小学校時代のクラブチームが同じFW平林慶太(スポ2=北海道・釧路江南)は当時の務台を振り返る。幼少期を北海道で過ごし、務台とともに副将としてチームをけん引したFW木綿宏太(スポ=北海道・駒大苫小牧)にも、務台の存在は届いていた。それは、木綿の周囲で「長野のキャプテン、白スケートウルトラマンメガネ」と、務台の珍しい白色のスケート靴とウルトラマンのような銀縁のスポーツメガネが話題になっていたためだ。[ 詳細はこちら]

 

 

★第61回 真道虎太郎、小池崇仁、田中樹/山岳(3月23日)

 
 リスクを背負いながら自然と向き合うということは、並大抵の覚悟でできることではない。想像してみてほしい。一歩間違えれば命を落とす危険があり、特に冬山では、慎重に行動したとしても過酷な状況下で過ごすことに変わりはない。そんな‟本物の強者”が集う山岳部から今年度、真道虎太郎(政経4=神奈川・湘南)、小池崇仁(商4=東京・芝)、田中樹(教4=兵庫・夢野台)の3名が卒業する。前述の通り、山行にかかる身体的、精神的な負担は測り知れないが、それらを乗り越え、常に先陣を切ってきた彼らの背中はこの上なく頼もしい。その一方でユーモアあふれるトーク力も持ち合わせるなど、魅力が尽きない卒業生。山岳人生幕開けの話、少し変わった寮生活の話、活動中のヒヤリハット、ヒマラヤ登頂エピソード、これからの展望などを、個性豊かなメンバーによる軽快なトークとともにお楽しみあれ。[ 詳細はこちら]

 

 

★第60回 杉井政樹/日本拳法(3月23日)

 
 【連載】『令和4年度卒業記念特集』第60回 杉井政樹/日本拳法 ここ2年の唯一の推薦生として日本拳法部の主将を務めあげた杉井政樹(スポ4=関大高)は日本拳法に対してそして早大日本拳法部に対してどのように感じていたのだろうか。[ 詳細はこちら]

 

 

★第59回 中澤恵/女子バレーボール(3月22日)

 
厳しい道を選び続けた4年間 中学、高校とバレーボールの強豪校に身を置き、日本一を経験してきた中澤恵(スポ=大阪・金蘭会)が進路に選んだのは、関東2部の早大だった。キャプテンとして、時には厳しくチームを奮い立たせながらも、「めぐさん」と後輩たちに慕われたエース。常に厳しい道を選び続け、「自分の力で1部に昇格させる」ことを目標に努力した4年間だった。早大に入学してさまざまなバックグラウンドを持つ人と関わり、最終的に中澤が選んだ道とは――。[ 詳細はこちら]

 

 

★第58回 大塚達宣/男子バレーボール(3月21日)

 
充実 スター揃いの早大で、1年時からスターティングメンバーとしてコートに立ってきた大塚達宣(スポ=京都・洛南)。大学外では日本代表として多くの国際試合に出場したほか、3年冬にはV1パナソニックパンサーズでプレーし、多くのMVPを獲得するなど、様々なカテゴリーで活躍した。「チームのみんなや周りの支えのおかげで、とても充実した環境で過ごせた」と周りへの感謝を口にする大塚の4年間を振り返る。[ 詳細はこちら]

 

 

★第57回 岩本大吾/男子バレーボール(3月21日)

 
苦悩の果てに 「全日本インカレ6連覇」―—。今季この男が嫌というほど耳にし、苦しめられた言葉だろう。3年の秋に主将に就任し、チームを全日本インカレ5連覇へと導いたのが、MB岩本大吾(スポ=兵庫・市尼崎)だ。他の同期主将よりも一足先に主将となり、「大学日本一」を成し遂げてしまった。華々しい結果を残したのに、いや残したからこそ岩本は1年間苦悩した。岩本の主将としての1年半、そして早稲田での4年間に迫った。[ 詳細はこちら]

 

 

★第56回 矢原七海/アーチェリー(3月20日)

 
早稲田を照らし続けた太陽 「いることでチーム全体の雰囲気が明るくなる、太陽みたいな先輩」(渋谷樹里、スポ1=エリートアカデミー)。矢原七海(スポ=福岡・柏陵)は生粋の底抜けた明るさと屈託のない笑顔でどんな時もチームを盛り立ててきた。その礎を築いた早大入学前の歩みと共に、「濃すぎる4年間だった」と振り返った大学アーチェリー生活の光と影に迫る。[ 詳細はこちら]

 

 

★第55回 野澤知莉/柔道女子(3月19日)

 
重なる試練を乗り越えて 「正直、めちゃくちゃ辛かったです」。柔道女子部の主将を務めた野澤知莉(スポ=神奈川・桐蔭学園)は、笑いながらも早大での4年間をこう振り返った。けがや新型コロナウイルスの流行に苦しみ、競技を続けるか否か、何度も自分に問い続けた4年間。それでも野澤の心を引き留めたのは、果たして何だったのだろうか。悩みながらも歩み続けたこれまでを振り返るとともに、後輩へ託す思いや今後の競技人生について伺った。[ 詳細はこちら]

 

 

★第54回 長嶋勇斗/柔道男子(3月19日)

 
終わりよければ全てよし 「終わりよければ全てよし」。男子部の主将を務めた長嶋勇斗(スポ=山梨・東海大甲府)は、早大での4年間をこう振り返った。新型コロナウイルスの流行に翻弄(ほんろう)され、一時はモチベーションの維持に苦戦。卒業を控えた現在も、自身の結果には悔しさが残る。しかし、主将を務めた身だからこそ、チームの着実な成長を人一倍実感してきた。そんな長嶋のこれまでを振り返るとともに、その胸に抱く柔道への思いに迫る。[ 詳細はこちら]

 

 

★第53回 谷健太朗/水球男子(3月18日)

 
主将であり守護神 4年間、早大水球部の守護神としてチームを守り続けてきた。そしてこの1年間は、さらに主将として、チームを包み、変革をもたらしてきた。これが、1年時からレギュラーメンバーとして試合に出場し続け、様々な状況を経験してきた谷健太朗主将(スポ4=東京・明大中野)の姿である。[ 詳細はこちら]

 

 

★第52回 浅羽栞/競泳(3月17日)

 
大好きだからこそ「覚悟」をもって 「兄の後ろについて水泳を始めた時から、一度も辞めたいと思うことはなかった」。昨季、早大水泳部競泳部門の女子主将を務めた浅羽栞(スポ4=東京・八王子)は、そう語りながらも現役引退を決めた。その背景を探ると、浅羽の競泳に向き合う姿勢や信念が、だんだんと浮かび上がってくる。明るい声の裏側にある強い「覚悟」に迫る。[ 詳細はこちら]

 

 

★第51回 平河楓/競泳(3月17日)

 
ひたむきに向き合うこと 17年以上、水泳と共に歩いてきた。昨季の早大水泳部競泳部門で男子主将を任されていた平河楓(スポ4=福岡・筑陽学園高)。もっと強く、速くなるために、時には苦しい道も選んできた。水泳と、部員たちと、自身と。様々なものに向き合い続けてきた、平河の競技人生を振り返る。[ 詳細はこちら]

 

 

★第50回 佐藤桃佳/剣道女子(3月16日)

 
「どん底」を乗り越えて 「チームのため」。佐藤桃佳(社=山形・左沢)は主将として強い責任感で早大を引っ張り、早大剣道部女子を2年連続の全日本学生優勝大会(全日本団体)出場に導いた。個人戦でも全日本に出場する活躍を見せたが、大学での4年間はケガやスランプに悩まされた期間でもあった。一時「どん底」まで落ちたという佐藤は、どのようにしてここまではい上がったのか――。[ 詳細はこちら]

 

 

★第49回 大串快晴/剣道男子(3月16日)

 
日本一への礎 日本一を目指す早大剣道部。そんな剣道部男子主将を務めた大串快晴(スポ=愛知・星城)は、1年時から団体戦のメンバーに選ばれ活躍を続けていたものの、3年時にはスランプに陥り、チームとしても日本一の遠い状況が続いていた。しかし大串は大学4年間を「全く悔いのない4年間でした」と振り返る。加えて「チームに勢いがついた」と語る大串が、部に残したものとは――。[ 詳細はこちら]

 

 

★第48回 籾美吹/少林寺拳法(3月15日)

 
成長し続けた4年間 今年度、60年以上続く早大少林寺部で初の女性主将を務めた籾美吹(社4=大阪産業大付)。物心ついた頃には少林寺拳法をしていたという籾は、その人生を少林寺拳法を共に歩んできた。そんな籾にとって早大で過ごした4年間はどのようなものだったのか。[ 詳細はこちら]

 

 

★第47回 安藤翔/合気道(3月14日)

 
背中で見せた主将 「合気道は一生かかっても満足することのできないもの」今年度合気道部主将を務めた安藤翔(基理4=神奈川・聖光学院)は4年間打ち込んだ合気道をこう表現した。出場した大会では個人戦・団体戦ともに多くの優勝を成し遂げ、その戦績と合気道への真摯な姿勢で早大合気道部を引っ張ってきた。そんな安藤のこれまでを振り返る。[ 詳細はこちら]

 

 

★第46回 山本芙結/女子ラクロス(3月14日)

 
原動力 「早稲田の女ラクに入ってよかった」。主将を務めた山本芙結(スポ=静岡)は最後の試合後、ラクロス部にささげた大学生活についてこう語った。ゴーリーとして幾度もの好セーブで、主将として持ち前の声と明るさで、どんな状況でもチームを支えた山本の4年間を振り返る。[ 詳細はこちら]

 

 

★第45回 齋藤励/男子ラクロス(3月13日)

 
ラクロスから学び続ける 「ラクロス部で勝利へのこだわりと心技体の重要性を学びました」。ラクロス部に入り、自分のなかで変わったことを聞くと彼は力強く答えてくれた。2022年の早稲田大学RED BATSである齋藤組を率いた齋藤励(創理=東京・早大学院)だ。大学で出会ったラクロスと4年間向き合い続け、日本一を目指した齋藤の思いに迫った。[ 詳細はこちら]

 

 

★第44回 尾松大輝/男子ソフトボール(3月12日)

 
一人間としての成長 「ソフトボール選手として以上に、一人間として成長できた」と尾松大輝(政経=大阪・清風南海)は自らの大学ソフトボール生活を総括した。誰もが認めるストイックな姿勢とクレバーさでチームを引っ張った尾松の試練と成長の連続であった早稲田大学男子ソフトボール部での日々を振り返る。[ 詳細はこちら]

 

 

★第43回 反町結佳/女子ソフトボール(3月12日)

 
仲間とつくり上げたチーム 「なんで私が」。主将に選ばれた時の気持ちを反町結佳(スポ=愛知・瑞陵)はこう表現する。いままで主将の経験がなかった反町を支えたのは、同期をはじめさまざまな人たちの存在であった。[ 詳細はこちら]

 

 

★第42回 田太隆靖/相撲(3月11日)

 
感謝を忘れない温かさ 「4年間、取材をしてくれてありがとうございました」。この記事を書くにあたって田太隆靖(スポ=東京・足立新田)に取材を行い、最後に言い残したことはないかと問いかけた際の言葉だ。温かい人柄がにじみ出た言葉だった。そんな田太の相撲人生、主将としての軌跡をたどる。[ 詳細はこちら]

 

 

★第41回 宮本裕喜/射撃(3月9日)

 
試行錯誤の4年間 「この4年間は、本当に射撃のことしか考えていなかった。」──────こう語ったのは、2022年度射撃部主将、宮本裕喜(政経=東京・早稲田)。自身の成績の上下に苦しんだ時期もあっただけでなく、コロナ禍で出場権を得ていた大会が中止となる事態に見舞われるなど、選手個人としても、部員をまとめる主将としても決して楽なものではなかった。宮本の射撃に捧げた4年間の日々を振り返る。[ 詳細はこちら]

 

 

★第40回 宮下一心/ウエイトリフティング(3月8日)

 
周りの人への感謝と恩返し 安定した試技でチームを引っ張る、早大ウエイトリフティング部主将宮下一心(社4=石川・金沢学院)。コロナに苛まれながらも常に周りへの感謝は忘れず、4年間を駆け抜けた。彼は何を思いバーベルと向き合ってきたのか。波乱万丈のウエイトリフティング人生を振り返る。[ 詳細はこちら]

 

 

★第39回 佐藤威吹/自転車(3月7日)

 
楽しむこと 「本当に楽しかったし、思い出だらけの4年間だった」。早大での4年間をそう振り返ったのは昨年の自転車部主将・佐藤威吹(スポ=岩手・柴波総合)だ。しかし、その言葉とは裏腹に何度も壁にぶち当たってもきた4年間。佐藤がその壁をどう乗り越え、4年間何を考えていたのかに迫った。[ 詳細はこちら]

 

 

★第38回 緑川大輝/バドミントン(3月6日)

 
【連載】『令和4年度卒業記念特集』第38回 緑川大輝/バドミントン 三年生にしてインカレ個人シングルス優勝、そして全日本総合ミックスダブルス優勝という数々の偉業を成し遂げた緑川大輝主将(スポ4=埼玉栄)。彼は自身の大学でのバドミントン、そして早大バドミントン部にどのような気持ちを抱いていたのかを答えてくれた。[ 詳細はこちら]

 

 

★第37回 新井健太/準硬式野球(3月5日)

 
野球を楽しみ続けた4年間 「野球やりてぇな」。野球を愛する準硬式野球部主将・新井健太(商=東京・早大学院)が引退を迎えて最初に出てきた感情である。野球を楽しむために入部した準硬式野球部での日々は充実した4年間に。一選手として1年時から試合に出場し、4年時には主将としてチームを引っ張る存在に。全国大会である清瀬杯全日本大学選抜大会(清瀬杯)ではチームを優勝へと導き、仲間と喜びを分かち合った。野球を全力で楽しむことに身を捧げた新井の4年間を振り返る。[ 詳細はこちら]

 

 

第36回 齋藤巽/応援(3月4日)

 
早稲田の応援を求め続けて 令和4年12月18日。早稲田の象徴・大隈記念講堂で行われた早慶戦優勝部祝賀会で早稲田大学応援部令和4年度代表委員主将・齋藤巽(教=青森)は校歌を振っていた。最後の活動日、最後の校歌を4拍で締め、齋藤が覚えたのは「大満足」という感情。「自分の信念を持って日本一の応援団体の中で応援というものを4年間つきつめた」。早稲田に入った最大の理由であった、応援部での4年間に終止符を打った瞬間であった。[ 詳細はこちら]

 

 

第35回 森多諒/フェンシング(3月3日)

 
圧倒的人望を集めた主将の足跡 「すごい」。フェンシング部の主将・森多諒(社4=山口・柳井学園)の生い立ちを聞けば、誰もが率直にそう漏らすだろう。森多は小学5年生の頃からフェンシングを始め、中学2年生で東京五輪に向けたオリンピック強化指定選手に選抜される。その少し前までは空手にも取り組んでおり、極真空手の世界大会で3位になった経験もあるという。高校生になってからは世界選手権に出場し、インターハイでは常に上位入賞。さらに「上の世界を見てほしいから、早慶以外は学費を出さない」という親の方針のもと勉学にも励み、晴れて早大に合格した。大学でも競技で成績を残しながら、部内外問わず様々なことに挑戦し、最終的には難関の大手企業から数多く内定を勝ち取った森多。いわゆる“人生勝ち組”という言葉がぴったりかもしれない。しかし森多は言う。「俺が踏んできた足跡を見てから、今の自分を見てほしい。自分の中では苦労していたし、今ここにいるのも色んな歴史があるから」と。その足跡を、ほんの一部分ではあるがここで伝えられたらと思う。[ 詳細はこちら]

 

 

第34回 亀田菜月/女子ホッケー(3月2日)

 
元気をくれる場所 2022シーズンホッケー部女子主務兼マネジャー、亀田菜月(スポ=鹿児島中央)。早大入学前は「ホッケーという競技すら知らなかった」という亀田は最高学年となった昨季、主務として部の看板を背負い、尽くし続けた。もちろんこの4年間、簡単なことばかりではなかった。それでも亀田が口にするホッケー部での思い出は、たくさんの笑顔であふれている。[ 詳細はこちら]

 

 

第33回 西本京平/男子ホッケー(3月2日)

 
楽しむ気持ち 「完全燃焼した4年間だったからこそ、ホッケーを今後も続ける予定はない」。今年度の男子ホッケー部の主将を務めた西本京平(スポ4=大阪・大阪星光学院)は、こう語った。2年前に行われた全日本学生ホッケー選手権大会(インカレ)から主将になることを決意した西本。早大の男子ホッケー部は、選手である学生が主体となって練習内容を考える。西本のポジションは、GKであったためフィールドプレイヤーについて一から分析することから始めた。自分の方法で、悩みながらときに仲間を頼りながら、チームを1年間まとめてきた。卒業を前に何を思うのか。これまでのホッケー人生を振り返ると共に、後輩へ託した思いに迫る。[ 詳細はこちら]

 

 

第32回 江連織圭/女子ハンドボール(3月1日)

 
自分と向き合った4年間 「逃げすに自分と向き合ったことで、人間的に成長できたし、自分のことを分かるようになった4年間だった」。この1年間主将としてチームを支えた江連織圭(スポ=千葉・昭和学院)は、紆余曲折のあった4年間をそう振り返った。引退間近では選手に同期がいない中、チームをまとめた江連。そんな重圧を背負いながら、部員から愛されるキャプテンとして走り抜けた先には、自身の大きな成長があった。[ 詳細はこちら]

 

 

第31回 永橋優太朗/男子ハンドボール(3月1日)

 
メンタルの強さ「いろいろな壁を経験して、ものすごくメンタルが鍛えられた」 持ち前のリーダーシップとディフェンス力でチームを率いた永橋優太朗(スポ=千葉・市川)。何度も壁に直面したからこそ、多少のことでは動じない「強いメンタル」を手にした。中学・高校のハードな練習、二度の大ケガ、主将としての役割。様々な壁と向き合った永橋の競技生活を振り返る。[ 詳細はこちら]

 

 

第30回 鶴岡由梨奈/ヨット(2月28日)

 
挑戦の4年間 「終わりのない挑戦」。令和4年度、全日本学生選手権(全日本インカレ)3連覇を成し遂げた早大ヨット部の主将・鶴岡由梨奈(社=東京・立教女学院)は、ヨットという競技を一言でこう表した。主将まで務めた鶴岡だが、一般入試での早大入学であり、大学入学までヨット競技は全くの未経験であった。男女の区別がないヨットという競技に果敢に飛び込んだ、鶴岡の4年間の終わりのない挑戦の日々を振り返る。[ 詳細はこちら]

 

 

第29回 金子智哉/米式蹴球(2月26日)

 
「日本一」を目指して 「腐らないこと」――。恥ずかしそうにしながらも語ってくれた金子智哉(教=大阪・豊中)がフットボールをしていくなかで大事にしていたことだ。何度ケガをしようと、突然スタメンを外されようと、アメフトを続ける限り必ず来るしんどくなる時期をぐっと耐えることを意識していた。「憧れ」を持って入部したBIG BEARSでプレイヤーとして、また副将としてもがき続けた。そんな金子の4年間を振り返っていく。[ 詳細はこちら]

 

 

第28回 亀井理陽/米式蹴球(2月26日)

 
共に歩み続けた『一丸』 今年度、米式蹴球部の主将を務めた亀井理陽(法=東京・早実)。どんな時も「チームファーストの行動を心がけてきた」という亀井。大好きなチームであるBIG BEARSに絶対迷惑をかけてはいけないという思いからだ。大学でアメフトを始めた身でありながら、主将という責任ある立場を『一丸』というスローガンを掲げて全うしてきた。亀井がBIG BEARSと共に歩んできた4年間に迫っていく。[ 詳細はこちら]

 

 

第27回 神林崇亮/自動車(2月25日)

 
歩みを止めなかった4年間 「大学で車に乗ることができると思っていなかった」。令和4年度、全日本学生連盟年間総合杯(大学日本1)3連覇を成し遂げた早大自動車部の主将・神林崇亮(人4=埼玉・早大本庄)は、そう振り返った。自動車部に入部する以前は、自動車競技をやることすら考えていなかった。そんな神林が大学生活のほとんどの時間を費やした自動車部生活とはどのようなものだったのか。濃く、そして充実した4年間を振り返る。[ 詳細はこちら]

 

 

第26回 島谷侃/レスリング(2月24日)

 
山あり谷あり 「山あり谷あり」。レスリング部主将を務めた島谷侃(スポ=秋田商)は、早大での4年間をこう表現した。ケガに苦しんだり、試合でなかなか結果が出せなかったりするなど、「うまくいかないことの方が多かった」という4年間。それでも、それらの苦境をいかに突破し、いかに成長してきたのか。島谷の競技人生を振り返る。[ 詳細はこちら]

 

 

第25回 井上采香/弓道(2月23日)

 
もがき続けて気づいた「財産」 「もう弓道が好きじゃなくなっているんじゃないか」。中学生から続けてきた弓道に対して、そんな疑問を抱いてしまう時間もあった。今年度、早大弓道女子部の主将を務めた井上采香(文構4=東京・吉祥女)の4年間は、決して平坦な道のりではなかった。好不調の波に翻弄されながら、チームメイトと自分を比べ諦めそうになる日々。主将になってからは、部の方針について周りと衝突することも少なくなかった。それでも「主将をやる中で気づけたことは、大きな財産だった」という。その朗らかな声の裏にある思いと共に歩んだ、井上の4年間を見つめる。[ 詳細はこちら]

 

 

第24回 大澤暢/弓道(2月23日)

 
チームのために「個」を高める 弓道は究極の個人競技だ。しかし、学生弓道は個人競技でありながらも、団体種目の色が強く出る。弓を引く間は全て個人で行うが、その一人一人が出した結果から評価されるのはチーム全体だからだ。昨季早大弓道部の男子主将を務めた大澤暢(創理4=東京・早実)は中学1年生から10年もの間、弓と共に歩んできた。「弓道がというより、学生弓道が好きなんですよね」と語る大澤が、チームのために模索し続けた「個」の姿とは何だったのか。[ 詳細はこちら]

 

 

第23回 中島湧心/漕艇(2月22日)

 
早慶戦に懸ける 漕艇部主将を務めた中島湧心(スポ=富山・八尾)。インタビューで中島の口から何度も出てきた言葉が「早慶戦」だ。ボート競技の早慶戦は、「早慶レガッタ」と呼ばれ、今年で92回目を迎える歴史ある戦いであり、「三大早慶戦」の一つにも数えられる。そんな早慶戦に特別な思いを抱く中島の、早大での4年間とは――。[ 詳細はこちら]

 

 

第22回 中尾咲月/漕艇(2月22日)

 
仲間と共に乗り越えた4年間 「周りから助けられた4年間」。漕艇部女子主将を務めた中尾咲月(スポ=三重・津)は、早大での4年間をこう表現した。ケガをはじめ、苦しんだことも多い4年間だったが、中尾がそれらを乗り越え、成長できた裏には仲間の存在があった。[ 詳細はこちら]

 

 

第21回 藤尾拓海/体操(2月21日)

 
一歩ずつ、着実に 途中で立ち止まっても、目標に向かって、こつこつと努力し続けてきた選手がいる。体操部の主将を務めた、藤尾拓海(スポ=岡山・関西)だ。何度も悔しい思いや挫折を経験しながら、それでも歩み続けた大学4年間の軌跡を追う。[ 詳細はこちら]

 

 

第20回 鈴木創士/競走(2月20日)

 
波瀾万丈 鈴木創士(スポ=静岡・浜松日体)はこの1年、苦しんだ。駅伝主将ながら、試合に出場できず、葛藤の日々。そんな鈴木に、これまでの陸上人生と早大で過ごした4年間を、「自分にとっても素晴らしい経験」と語る駅伝主将として過ごした今シーズンを中心に振り返る。[ 詳細はこちら]

 

 

第19回 三浦励央奈/競走(2月20日)

 
人生の彩り 三浦励央奈(スポ=神奈川・法政二)の4年間は意外な展開から始まった。法大の付属高出身である三浦は、高校で競技生活を終え、「そのまま大学に上がり、興味のある学部に行って、一般学生としてやっていく」つもりだった。しかし、礒繁雄総監督(昭58教卒=栃木・大田原)の熱い勧誘を受け、早大に入学。誰よりもエンジのプライドを大事に邁進した主将の胸の内に迫った。[ 詳細はこちら]

 

 

第18回 磯村時将/ボクシング(2月19日)

 
 「魂」ーー。これは磯村時将(創理=東京・攻玉社)にとっての早大ボクシング部を表す言葉だ。今季は主将も務めた磯村だが、ボクシングを始めたのは大学に入学してから。1年時は試合に出場することがかなわなかったが、2年目以降は着実に成長し、数多くの試合を経験してきた。そんな磯村の4年間の軌跡に迫る。[ 詳細はこちら]

 

 

第17回 黒野葵衣/卓球女子(2月18日)

 
「大成長」示した日本一 シングルスで3回、団体戦を合わせれば計5回、大学日本一を経験した黒野葵衣(スポ4=東京・武蔵野)。大学では華やかな結果を残したが、もともと全国優勝は遠い目標だったという。転機となった試合、成績を出す中で感じたプレッシャー、それを乗り越えた過程。振り返って『大成長』と表した、早大での4年間を追う。[ 詳細はこちら]

 

 

 

第16回 岩永宜久/卓球男子(2月18日)

 
『挑戦』の4年間 「団体戦で勝ちたいという気持ち」。岩永宜久(スポ4=福島・帝京安積)は、個人競技と思われがちな卓球での自身の原動力をこのように語った。1年時から団体戦に出場し、シングルス、ダブルス共に輝かしい結果を残した岩永。早大卓球部で日本一に挑戦し続けてきた4年間を振り返る。[ 詳細はこちら]

 

 

 

第15回 髙田雅/馬術(2月17日)

 
馬と、チームと本気で向き合って 「馬たちが本当に大好きだし、一生忘れない」。引退試合の全早稲田対全慶應義塾定期戦(早慶戦)を終えた直後に髙田雅(人=大阪女学院)はこう語った。主将として過ごしたラストイヤーは東京六大学競技大会(六大学)の総合優勝、全日本学生大会(全日本学生)の準優勝など偉業の連続。しかしその裏には、一選手として馬や馬術競技に、主将としてチームに本気で向き合ってきた髙田の姿があった。[ 詳細はこちら]

 

 

第14回 近澤澪菜/女子サッカー (2月16日)

 
チームを勝たせるキーパーで居続けること 全日本大学女子サッカー選手権(インカレ)での無失点優勝。3年生ながら不動の守護神として快挙を成し遂げた約1年後、近澤澪菜副将(スポ=JFAアカデミー福島)は、チームの本拠地から遠く離れた兵庫の地で肩を震わせた。インカレベスト8敗退。近澤にとってのラストイヤー、前回王者であるア女は早々に大会を去った――。[ 詳細はこちら]

 

 

第13回 渡邊奈美/女子サッカー (2月16日)

 
「自分のため」から「ひとのため」へ 「(ア女を)辞めようかなと何度も思った」。渡邊奈美(スポ4=埼玉・大宮開成)はそう語り笑う。調子が上がっても繰り返すケガ、届かない目標。話す表情は柔らかくとも、その言葉には4年間で彼女がぶつかってきた、そして乗り越えてきた逆境がにじみ出る。チームメイトや監督も認める「努力の人」。サッカーを愛してやまない渡邊にとって、ア式蹴球部女子(ア女)で過ごした4年間とは。[ 詳細はこちら]

 

 

第12回 菊地彩花/男子サッカー (2月15日)

 
挑み続ける 学生が主体となって動く。これは早稲田大学ア式蹴球部(ア式)に一種の哲学みたいなものとして受け継がれてきていることだ。聞こえは良いが、いざやるとなるとやはり難しい。主体的になる分、自らで考え、実践し、結果を残す。まだ人間として未成熟な部分も多い学生には、少々重すぎるようにも感じられるからだ。ア式に来れば自分も主体的になれるといった生半可な気持ちではやり過ごせない。この一見厳しい環境下において輝いていた人物こそが、ア式蹴球部マネジャー、菊地彩花(政経=千葉・渋谷教育幕張)だ。「今までにこんなマネジャーはいなかった」と自分でも回顧するほど、あらゆることに自分から挑戦し続けてきた菊地。ア式史上最も「主体的なマネジャー」といえる彼女の4年間、そして今後に迫った。[ 詳細はこちら]
 

 

第11回 鈴木俊也/男子サッカー (2月15日)

 
考え続けた4年間 「ひたすら考え続けた4年間だった」。これはDF鈴木俊也副将(商=東京・早実)がア式蹴球部(ア式)での活動を振り返って放った言葉だ。今何が大事で何を尊重しなきゃいけないのか、考え続け成長したその先には何があるのか。鈴木のサッカー人生に迫った。[ 詳細はこちら]
  

第10回 桂蘭/女子バスケットボール (2月14日)

 
どんなときも前向きに 今年度、女子バスケットボール部の主将を務めた桂蘭(スポ=愛知・桜花学園)。4年間で見えたもの、主将ながらプレーでチームを引っ張ることができなかった時期の支え、この1年心がけていたこととはーー。[ 詳細はこちら]
 

 

第9回 神田誠仁/男子バスケットボール (2月14日)

 
『より良い組織を目指して』 「組織と個人の同時的発展」。今年度のバスケットボール男子部で主将を務めた神田誠仁(社=静岡・浜松開誠館)が、チームづくりをする上で目標に掲げてきたことだ。その原点には、16年間の部活動人生で感じてきた、もどかしさがあった。[ 詳細はこちら]
 

 

第8回 土家大輝/男子バスケットボール (2月14日)

 
『やり続けること』 「自分がうまくいかなくても、チームがうまくいかなくても、常にチームのためにやり続ける。そのメンタリティは高校生の時に指導していただいて、自分の中では当たり前のことでした」  大学時代はエースガードとして活躍。そして今年1月には、福島ファイヤーボンズでプロデビューを果たした土家大輝(スポ=福岡大大濠)。「全てがバスケのおかげ」と話す土家の人生に迫った。[ 詳細はこちら]
 

 

第7回 小室笑凛/フィギュアスケート (2月13日)

 
「幸せ」 今年度、早大スケート部フィギュア部門の主将を務める小室笑凜(スポ4=東京・開智日本橋学園)。伝統ある早大フィギュア部門をまとめあげ、支える姿からはフィギュアスケートに真摯に向き合う姿勢や、部員から慕われるその優しい人柄が見えてきた。そんな小室が主将として臨んだラストシーズン、主将として抱く早大フィギュア部門への想いに迫る。[ 詳細はこちら]
 

 

第6回 大佐古直輝/ワンダーフォーゲル (2月12日)

 
ワンゲルを愛し、ワンゲルに愛された男 「本当に山が好きなのかはわからない」と言いつつ「家にいると山に帰りたくなる」と笑顔を見せるのは、73代ワンダーフォーゲル部の主将を務めあげた大佐古直輝(政経4=埼玉・開智)。大佐古は、入学当初こそ準硬式野球部に所属していたものの、4年間野球へのモチベーションを持ち続けることは難しいと判断しワンダーフォーゲルに転向した。多種多様なアウトドアスポーツに取り組むところ、人間がコントロールできない自然の中で多くのリスクと向き合うところに惹かれ入部を決めたという。そこから4年間、「(部活以外の学生生活で)思い出という思い出はない」と言い切るほど、ワンダーフォーゲルに全力を注いできた。[ 詳細はこちら]
 

 

第5回 石川琴実/庭球 (2月10日)

 
 『学』。石川琴実(社=神奈川・白鵬女)は庭球部での4年間をこの一文字で表現した。1年時から団体戦に出場し、個人戦においてもダブルスで2度の日本一を経験するなど輝かしい結果を残した石川。チームとしては4年間を通じて全日本学生対抗王座決定試合(王座)奪還という高い壁に直面した。名門をけん引する主力選手として、そしてチームをまとめ上げる主将として、酸いも甘いも経験した石川が、庭球部で得た『学び』とはどのようなものだったのだろうか。[ 詳細はこちら]
  

第4回 丹下将太/庭球 (2月10日)

 
完全燃『勝』 昨年10月の全日本大学対抗王座決定試合(王座)。宿敵・慶大との決勝で、大会17連覇の偉業達成を決定づける、最後の1勝を持ち帰ったのは、主将として名門をけん引してきた丹下将太(教=東京・早実)だった。部員からは『熱い男』と形容され、その思いを伝染させることでチームを結束させてきた丹下は、大学卒業、そして新たな舞台の入り口を目前に何を思うのか。4年間を振り返るとともにその思いに迫った。[ 詳細はこちら]
  

第3回 冨永直宏/野球 (2月9日)

 
チームの支柱として 『嫌われ者』。1年間新人監督として早大野球部を支えた冨永直宏(文=東京・国学院久我山)が求めた姿だ。時には大きな声でチームにげきを飛ばし、時には的確な指示でチームを支えた。また、春に5位に沈んだチームを秋には優勝争いを繰り広げるチームに変えた。チームの課題に常に向き合ってきた男のこれまでを振り返る。[ 詳細はこちら]
 

 

第2回 原功征/野球 (2月9日)

  
勝利を支える柱 「自分を一番成長させてくれた場所」――。原功征(スポ4=滋賀・彦根東)は早大野球部の存在をこのように振り返った。テンポの良い投球で数々の修羅場を乗り切ってきた男、それが原功征だ。ラストイヤーは投手陣で唯一の副将を務め、後輩投手陣が能力を発揮できるように尽力してきた。ライバル・慶応義塾大学には同郷の朝日晴人(4年)、増居翔太(4年)といった強力なライバルの存在もあった。原の4年間を振り返っていく。[ 詳細はこちら]
 

 

第1回 中川卓也/野球 (2月9日)

 
苦悩と成長 中川卓也(スポ=大阪桐蔭)。アマチュア野球界で、この名前を知らない人はいないだろう。2018年に甲子園春夏連覇を達成した、大阪桐蔭高の『最強世代』を率いた主将である。その後、大きな期待を背負って早大に入学。1年時から試合に出場したものの、大学での自身の成績は決して満足のいくものではなかった。それでも、ラストイヤーには主将を務めるなど、常にチームのために奮闘した中川卓。そんな中川卓の「一人の人間として幅が広がった」という4年間を振り返る。[ 詳細はこちら]
   

(編集 富田紘史)