創部100周年に『ONE MEIJI』のスローガンを掲げ、決勝の舞台に挑んだ明治大ラグビー部。しかし、"深紅の壁"は厚く険しかった。 1月13日、ラグビー大学選手権の決勝戦が東京・国立競技場で行なわれた。5大会ぶり14度目の優勝を目指した…

 創部100周年に『ONE MEIJI』のスローガンを掲げ、決勝の舞台に挑んだ明治大ラグビー部。しかし、"深紅の壁"は厚く険しかった。

 1月13日、ラグビー大学選手権の決勝戦が東京・国立競技場で行なわれた。5大会ぶり14度目の優勝を目指した明治大と、大学日本一3連覇を狙う帝京大──関東大学ラグビー対抗戦の1位と2位が激突した。


廣瀬雄也の大学ラグビー生活は終わりを告げた

 photo by Saito Kenji

 今季、明治大ラグビー部100代目のキャプテンを託されたのは、1年時から試合に出場していたCTB廣瀬雄也(東福岡出身)だ。

※ポジションの略称=HO(フッカー)、PR(プロップ)、LO(ロック)、FL(フランカー)、No.8(ナンバーエイト)、SH(スクラムハーフ)、SO(スタンドオフ)、CTB(センター)、WTB(ウイング)、FB(フルバック)

「ラグビー部に入った時のミーティングで(当時監督だった田中)澄憲さんから『4年生の時は創部100周年』と言われた。それを同期のみんなですごく意識したので、1年生の時から4年生の代で優勝しようと話してきました」

 廣瀬は同期からスキッパーを任されたのは、新チームの立ち上がる昨年2月。100周年目の主将は「地球上で僕しかできない」と誰よりも意気込み、みんなとの話し合い末にスローガンを『ONE MEIJI』に定めた。

「100周年なので、スタッフ、選手、OBだけでなく、ファンも学生もみんなを巻き込んで、みんなでひとつになるという意味を込めました」

 廣瀬は春季大会から「『前へ』の気持ちが出ているラグビーがしたい」と主張し、あえてステップをきらずに力強い突破で前に出るプレーを繰り返した。明治大の伝統的かつ精神的なスローガンである『前へ』を体現して、先頭に立ってチームを引っ張っていきたかったからだ。

 しかし、春季大会の帝京大戦は台風の影響で中止となり、夏の菅平合宿での練習試合では21-38、昨年11月の対抗戦では自身が左太ももの肉離れで欠場したことも響いて11-43。帝京大の「深紅の壁」を越えることは叶わなかった。

【明治のプライド『重戦車』には自信があったが...】

 ただ、大学選手権に入ると準々決勝で筑波大に大勝(45-7)し、準決勝では関西王者の京都産業大にも快勝(52-30)。ケガを負っていた広瀬も京産大戦で復帰し、帝京大との決勝戦には主力にケガ人のいないフルメンバーで臨んだ。

「勝たないといけない相手が決勝にきた。帝京大を超えないと日本一になれない。1年間やってきたことを出そう。100周年の節目で優勝を狙うことができるのは一生に一度。優勝したら一生語り継がれる。歴史に名を刻むのは人生に一度も二度もないので、そこを楽しもう」

 廣瀬は試合前にチームメイトを鼓舞してから、国立のグラウンドに向かった。

 キックオフ直後の前半3分、明治大はミスから相手にチャンスを与えてしまう。東福岡時代の同僚・友人である帝京大のWTB高本とむ(4年)にトライを許し、0-7と先制される。

 明治大も直後の前半6分、ペナルティゴール(PG)も狙える位置で反則を得てチャンスとなる。ただ、廣瀬の選択はPGではなく、タッチに蹴り出してトライを狙った。

「(副将のLO山本)嶺二郎を中心に『モールを組みたい』『押せる自信がある』と話していた。明治のプライドである『重戦車』には自信を持っていたので、嶺二郎が持っている言葉を信じた」

 しかし、ラインアウトのボールはオーバーボールでLO佐藤大地(3年)の手からこぼれてしまった。続く前半22分のチャンスでも、またオーバーボールで山本がキャッチできず。武器であるモールを組むことができず、得点を奪うことができなかった。

 明治大にとってはチャンスでミスが重なり、嫌な雰囲気となった前半23分、雷が鳴り響くなか雹(ひょう)も降ってきて、試合が55分間も中断することになった。過去60回の大学選手権で初の珍事だったという。ただその時、廣瀬は「試合の流れがよくなかったので、そこを断ち切ることができた」とポジティブに捉えていた。

【メインスタンド前に¬整列した時、目に入ってきたのは...】

 55分後に再開されるが今度は雪が降ってきて、吹雪のなかでの試合となった。再開直後の前半26分、帝京大キャプテンHO江良颯(4年)にモールからトライを許したが、廣瀬は「『雪の早明戦』を思い出しながら、グラウンドはリラックスしていた。この瞬間、ラグビーができることをみんな楽しんでいた」と笑顔で振り返った。

 その言葉どおり、明治大は雪の降るなかでもFWとBKが一体となってボールを動かし、前半35分にはCTB秋濱悠太(3年)がトライ、さらに前半終了間際にもルーキーのWTB海老澤琥珀(1年)がスクラムからトライを挙げて、12-14の2点差でハーフタイムを迎えた。

 しかし、逆転への期待が膨らんだ後半は、接点やスクラムで後手を踏んでしまい、帝京大に主導権を握られる展開となる。

「最後まで『紫紺のプライド』を持って戦おうと話していましたが、後半の入りで相手に流れを掴まれてしまった。ペナルティの数が増えて、ずっと自陣でラグビーをしてしまった......」

 廣瀬が反省するように、後半の明治大は相手の勢いを止められず、最終的に15-34でノーサイドとなった。

 試合後の廣瀬はキャプテンとして、目を赤くしながらも気丈に振る舞っていた。しかし、表彰式でメインスタンドの前に並ぶと、明治大の熱心なファンの姿が目に入ってきた。そして目線を上に動かすと、同期も含めたメンバー外となった仲間の姿があった......。

 彼らからの「廣瀬コール」が聞こえると、キャプテンは人目をはばからず嗚咽した。

「スタンドを見て、4年間応援してくれたファンの顔を見た時、100周年という節目で優勝した姿を見せられなかった悔しさと申し訳なさがこみ上がってきた。4階席には同期を含めた部員たちがいて、手を振ってくれて、自分の名前をコールしてくれて......本当に、このチームで主将をやって、明治大を選んでよかったなという思いが湧いて、涙が出てきました」

【後輩たちには明治の伝統を継承してほしい】

 廣瀬は新チームが立ち上がった時、「100周年のプレッシャーを感じずにキャプテンをやっていきたい」と話していた。だが、例年以上にメディアの取材も多く、昨年11月はケガで1カ月間もチームを離脱する苦しい経験の末に「早明戦」も欠場となった。責任感が人一倍強い廣瀬にとって、重圧がなかったことは決してないだろう。

 ただ、廣瀬は最後まで100代目のキャプテンらしく「100周年という節目で、今のメンバーに出会えてうれしいし、まったく悔いはない。後輩たちはこの悔しさをバネに、もう100年続くように明治の伝統を継承してほしい」と前を向いた。

 誰もよりも紫紺ジャージーにプライドを持ち、『前へ』進み続けた廣瀬雄也のチャレンジは準優勝で終わりを告げた。日本一にこそなれなかったが、「このチームをいいチームにして、次の代に託したい」という廣瀬の強い思いは、きっと3年生以下の選手たちに受け継がれたはずだ。