【茨城】華奢(きゃしゃ)で小柄な体つき。なのに、筋骨隆々で大柄な世界の強豪たちと渡り合えるのは、しなやかに伸びる手足と、一度つかんだら離さない指先の「保持力」が抜きんでているから。森秋彩選手(20)は指2本だけでホールド(突起物)にぶら下…

 【茨城】華奢(きゃしゃ)で小柄な体つき。なのに、筋骨隆々で大柄な世界の強豪たちと渡り合えるのは、しなやかに伸びる手足と、一度つかんだら離さない指先の「保持力」が抜きんでているから。森秋彩選手(20)は指2本だけでホールド(突起物)にぶら下がって見せた。

 高さ十数メートルの人工の壁。色とりどりで大小さまざまなホールドが設けられている。それを手がかり足がかりにして登れた高さ(到達高度)を競うスポーツクライミングの種目「リード」で、抜群の強さを誇る。つくば市に住むクライマーは小学生のころから「天才少女」と呼ばれた。そう呼ばれるのを本人はいやがる。「努力の天才」ならまだしもと――。

 そんな少女が目標にしていた東京五輪への道は、突如として途絶えた。2019年10月、国際スポーツクライミング連盟が出場基準の解釈を変更。変更前の基準にのっとって選考を進めていた日本山岳・スポーツクライミング連盟の主張は、国際機関であるスポーツ仲裁裁判所(CAS)で棄却された。

 「夢が、すぱっと断ち切られた感じでした。喪失感、悔しさ、怒り……でも引きずっても仕方がない。(その時点で出場圏内の)トップ2に入っていなかった自分の実力不足だから」

 その後、19年10月から22年9月までの丸3年間、少女は国際舞台から姿を消した。このブランクは、五輪落選のショックから? ワールドカップ(W杯)で成績不振が続いたから? 大学受験を控えて忙しかったから? コロナ禍が重なったから? ――とさまざまに取り沙汰され、臆測を呼んだ。

 「競技を楽しめなくなったのが一番の原因」と当時の胸中を明かす。大会では「決勝のトリで出てきて最後に盛り下げちゃったらどうしよう」「見てくれている人の期待以上の登りをしなきゃ」と周囲に気遣い、気負う。そのあまり、成績を上げることだけにとらわれている自分がいた。何のためにやっているんだろう。このままではよくない。自分と向き合う時間をつくりたかった。

 家族と温泉に行ったり、スケートボードや卓球、ビリヤードを楽しんだり、音楽グループ「SEKAI NO OWARI」の楽曲を聴き込んだり、高校のクラフトサークルで工作に取り組んだり、文化祭で焼き菓子を作って売ったり――。それまで国内外を転戦し続けてできなかった「高校生らしいこと」をやった。

 その頃から日記をつけ始めた。その日一日、一つだけでも「自分をほめてあげたい」と思ったところを見つけて記す。筑波大学へ進学した後も続けている。講義で学んだ内容、友だちとの会話、料理を作って食べてもらった感想――。「言葉をつづって心情を可視化する行為」を習慣づけることで、客観的に自分を見つめ直せるようになった。

 「壁を一つ破れた。一度立ち止まったおかげで、心の中が整理できました。やっぱりクライミングが好き。めざすところがはっきりした」

 3年ぶりに国際舞台に舞い戻った22年9月、スロベニアでのワールドカップ(W杯)「リード」種目。第一人者のヤンヤ・ガンブレット(スロベニア)らを破ってW杯初優勝を飾る。新しい姿を鮮烈に印象づけた。

 23年8月、スイスであった世界選手権「複合」種目で銅メダルに輝き、パリ五輪の出場権を獲得。複合は得意の「リード」と「ボルダー」(高さ約5メートル以下の壁で複数のコース「ボルダー」を登り切った数を競う)からなる五輪種目だ。競技を終えた後、コーチから「(パリ五輪出場が)決まったよ」と声をかけられたが、自身は直前の競技で満足のいく登りができなかったことで頭がいっぱい。「悔しくて。(パリ五輪出場決定は)実感がなかった」と負けん気の強さをのぞかせる。帰国後、友だちから「テレビで見たよ」と言われて、じわじわと湧いてきた喜びをかみしめた。

 大舞台に向けて「自分は誰よりもクライミングが好き。『クライミング愛』を感じてもらえるような登りをしたい」と表現した。

 金メダルは「明確な目標」と言い切る。だけど、結果はどうあれ、オリンピックで得られた経験をそれからの人生に生かしたいと考えている。

 「一生通してクライミングを楽しむ。年を取っておばあちゃんになっても、クライミングしながら死んでいきたい。クライミングとともに生きていたい」(中村幸基、写真は張守男)