大阪・ヤンマースタジアム長居は雨が降っていた。軽やかな助走から斉藤真理菜選手(28)が放った5投目は、鋭い軌道を描いて60メートルの線を越えていった。 昨年6月2日、日本陸上選手権の女子やり投げ決勝。この一投で、先行する日本記録保持者の北…
大阪・ヤンマースタジアム長居は雨が降っていた。軽やかな助走から斉藤真理菜選手(28)が放った5投目は、鋭い軌道を描いて60メートルの線を越えていった。
昨年6月2日、日本陸上選手権の女子やり投げ決勝。この一投で、先行する日本記録保持者の北口榛花(はるか)選手(25)を逆転、優勝した。5年ぶり2度目の頂点だった。髪をぬらして駆け寄った北口選手に抱擁され、ようやく笑みがこぼれた。
「お帰りなさい」
ライバルの言葉に、うれしさをかみしめた。感慨が口をついて出た。
「やっと、ここまで戻ってきたよ」。そして、「まだまだ、ここからだから!」と。
小学生の頃から、肩の強さは評判だった。高校1年でやり投げを始め、すぐに頭角を現した。2年、3年と高校総体を連覇。大学4年だった2017年のユニバーシアードで、自己ベストの62メートル37を投げて銀メダルを獲得。翌18年には、社会人1年目で日本選手権を初めて制した。
寄せられる期待を感じていた。同時に、重圧も。その後はけがに苦しみ、不調にあえいだ。19年のアジア選手権で腰を痛めたのがきっかけで腰椎(ようつい)分離症を複数箇所で発症。足首、ひざ、ひじにも痛みを抱えた。
調子が上がらない中で周囲の声も厳しくなり、精神的に追い詰められた。自分の考えや練習方法に批判的な意見を聞かされ、自身が否定されている気持ちになっていった。
「自分で何かを始めるのが恐怖だった。『どうせまたよくないって言われるんだろうな』とか考えて。ずたぼろの状態だった」。記録は自己ベストを10メートルも下回るまで落ちた。
頼ったのは、大学時代の同級生だった。個人的にトレーニングを手伝ってもらう中で、メンタルトレーニングが必要だと指摘された。
「自分が変わらなきゃ無理だ」「でも……」「周りばかり気にしているんだったら、もう辞めろよ」「辞めたくない」「じゃあどうする? やるしかない」
そんなやり取りは、1年に及んだ。心を支えていたのは、自己ベストを投げたときの感覚だった。「軽く投げられたと思ったら、すごく飛んでいっちゃった、みたいな感じ。もっと投げられると思った」。その自信が忘れられなかった。
徐々に気持ちが戻った。「周りを気にしていても、周りはどうにかしてくれるわけじゃない」。そう気づいた。「なぜできないんだろう」と否定的で消極的に捉えていたことが、「どうしたらできるんだろう」と肯定的で積極的に考えられるようになった。
体の痛みもなくなった。昨年は4月の大会で自己ベストに迫る62メートル07を投げ、北口選手に次いで2位。日本選手権の後、7月のアジア選手権と10月の国体でも優勝。世界選手権とアジア大会に出場を果たした。
暮れも迫った昨年12月11日。招かれた母校の龍ケ崎市立龍ケ崎小学校で、約300人の全校児童らに宣言した。「パリオリンピックに絶対、絶対に出場する。ここに誓っておきます」
他の場面でも、24年の目標を聞かれると、同じように答えている。ただ、五輪出場は目標の「一つ」で、それで終わりではないという。
「こんなに浮き沈みを経験した私でも、これだけできるから、みんなもできるよっていう姿を見せたい。『あの日本の斉藤真理菜っていう選手の投げ、めっちゃいいよね』と世界の印象に残る投げができたら、夢がかなったと言っていいかなと思う」
五輪はその格好の舞台。「そこで自分の納得いく投げができたら最高。でも、もしその瞬間が来たとしても、『いや納得いかないですね』と言うと思う。たぶん」。理想を追い続ける。(福田祥史)