箱根駅伝がスタートすると、ほどなく放送センターから「1号車解説は、渡辺康幸さんです」と、紹介される。中継車に乗り込んだ早稲田大OBで住友電工の渡辺監督は、スタートから芦ノ湖を経由して、翌日の大手町のゴールまでトップ集団の選手たちの走りを解…

 箱根駅伝がスタートすると、ほどなく放送センターから「1号車解説は、渡辺康幸さんです」と、紹介される。中継車に乗り込んだ早稲田大OBで住友電工の渡辺監督は、スタートから芦ノ湖を経由して、翌日の大手町のゴールまでトップ集団の選手たちの走りを解説していく。
 
 中継車への乗車中、トイレには行けず、固形物は口に入れられない。狭い中継車の中、戦況を把握し、選手の様子を見つつ、様々な情報を織り込んで解説する。2日間、全10区間、11時間以上をかけて渡辺監督は、箱根駅伝を"完走"するのだ。


渡辺康幸監督が印象的だったと語った箱根駅伝2023年の中央大・吉居大和(中)、駒澤大・田澤廉(右)、青学大・近藤幸太郎(左)の3人の激しいつば競り合い

 photo by Kyodo News

 渡辺監督の箱根駅伝は、元旦の夜からスタートしている。
 
「前日は、ニューイヤー駅伝があり、終わった後でお酒を飲みたい気持ちもありますが、ビールを2杯ぐらいで済ませ、当日に起きてからは水分はほとんど口にしません」

 まるで減量前のボクサーのようだが、それには大きな理由がある。

「トイレです。僕が瀬古(利彦)さんから中継車の仕事を受け継いだ時、『トイレは大変だぞ』みたいに言われて、実際に大人用のおむつを渡されました。最初はけっこう心配だったのですが、今は、全日本大学駅伝でも中継車に乗っていますし、トイレ対策はかなり慣れてきました。おかげさまで一度もピンチになったことはないです(笑)」

 往路スタートの朝は早い。午前5時には起床し、6時には大手町の読売新聞東京本社に到着している。箱根駅伝の事前番組をこなし、トイレに行くと選手や監督がおり、「出し切っていきましょう」と言葉を掛け合い、妙な連帯感が生まれるという。

 中継車は寒いので下半身が冷えないように貼り付け用のカイロと分厚いヒートテックの完全防備で中継車に乗り込む。下半身が冷えてしまうとトイレに直結してしまうからだ。車内に持ち込むのは、区間配置のメンバー表、選手とチームを取材したノート、ストップウォッチ、眠気覚まし用のガムやのど用の飴、そしてサイレントモードにしているスマートフォンだ。「情報が少なく、ヤバい時にググるため」にあり、欠かせないツールになっている。
 
「ノートというかネタ帳には、取材した選手について気がついたこと、フォームや走りの特徴、過去のデータとか、いろいろ書いています。プライベートなことはほとんどないですね。増田明美さんは、そういうのも含めて、すごい取材されていますけど、僕に求められているのは細かすぎる解説ではなく、選手の走りを的確にわかりやすく視聴者のみなさんに届けることなので、そこははき違えないようにやっています」

 駅伝が進行する中、時々、中継車の中の様子が放送されたりするが、ずっと後ろ向きで、かなり狭い様子がうかがえる。

「中継車の中は上の窓が開いているので寒いですし、狭いです。アナウンサーと2人でいるため余裕はなく、足場には非常時のためにいろいろなものを入れているリュックを置いているんですけど、資料もあってけっこうぐちゃぐちゃです。最初から最後まで後ろ向きで中継していますが、それで車酔いするとか、気持ち悪くなることはないですね。スピードがゆっくりですし、坂の上り下りも問題ないです。むしろ、一番いい特等席でトップを走る選手の姿を見られるので、ワクワク感が大きいです」

 渡辺監督の言葉は、選手に対するリスペクトとやさしさに満ちている。自身が箱根駅伝を走り、この大会で育ててもらったという思いから恩返しをしたい気持ちが強く、元選手として選手の気持ちが痛いほどわかるからだ。

「僕が話をする際の基本的なスタンスは、できるだけ平等な解説をするということです。箱根を走る選手をほめたたえたい、応援したいという気持ちがあるので、選手をけなしたり、見下す発言はしません。また、陸上の専門用語はできるだけ使わず、わかりやすい言葉で話をするようにしています。とにかく言葉はすごく注意していますね。今の時代は、SNSがあるので、ちょっとでも変なことを言うと、すぐに炎上してしまうじゃないですか。それは本意ではないので」

 それでも揚げ足を取るように批判的な声をつぶやく人はいる。個人的な感想だが、渡辺監督の解説はきわめてニュートラルで、「なるほど」と合点がいくことが多い。また、解説が心地よく感じるのは、中継車のアナウンサーとの呼吸が合い、ムダ話がなく、必要な情報を必要なタイミングで解説してくれるからだろう。

「今、中継車は蛯原哲(日本テレビのアナウンサー)さんと組んでいるんですけど、すごくやりやすいですね。大事なシーンではいきなり振るのではなく、『渡辺さん、最後はどういう言葉で締めますか』と事前に話をしてくれます。細やかな気配りがあるので僕は信頼してついていっています(笑)」

 絶妙な掛け合いに面白さを追求する必要はなく、目の前の事象を的確にとらえて、明確な言葉で伝えることが求められる。解説をする以上、話す力は必要だと渡辺監督は感じ、サッカーや野球、他の駅伝の解説なども参考にしている。

「スポーツ中継や女子の駅伝などを見て、どういうことを話しているのかなとか、どういうことを言うと心に響くんだろうなとか学んでいます。僕が好きなのは、ゴルフの青木功さんの解説です。経験からくる予測や技術的な視点が深いし、わかりやすいんですよ。自分もこういう話ができたらと思っていますが、まだまだ経験が必要ですね」

 7年も中継車に乗っていると、いろんなことが起こる。

 箱根駅伝はCMが長く流れることが多いが、その際、渡辺監督は中継センターの瀬古さんと話をすることが多いという。そこでカフ(自分のマイクの音声をオン、オフに切り替えるもの)をオンにして、CM終了ギリギリまで話をしているとついオフにするのを忘れてしまうこともあった。
 
「瀬古さんの話が面白いので、そのまま喋っていると油断してCM明けにカフをオフにするのを忘れしまうんです。世間話や余計なことを話したのがそのまま放送されたことはありませんが、オンにしたままにして、焦ってオフにしたことが何度かありました」

 スタート時は、集団走で各選手の情報や目の前の展開や予測を頭の中でフル回転させて話をしているので覚醒し、一種の興奮状態になっている。だが、復路の後半は単独走が増え、大差がつくと話の内容も限定されてくる。そうなると、べつの困難が待ち受けているという。
 
「復路は、スタート時はいいんですよ。寒いのでピリッとしていますし、山は展開が変わることが多いので、見ていても楽しいんです。その先も混戦ならいいのですが、単独になり、大差がついてくると勝負がほぼ見えてしまいます。さらに8区ぐらいから気温が上がり、ぽかぽかしてくると、めちゃくちゃ眠くなるんですよ(苦笑)。何度か『危ない』と思ったことはありますし、そういう時はガムをかんだりして、必死に眠気を覚ますようにしています」

 次回は、第100回の記念大会になるが、23校が駆ける箱根駅伝は「楽しみしかない」と渡辺監督は語るが、解説したなかで非常に興奮したレースがふたつあるという。

「ひとつは、96回大会。東京国際大のヴィンセント選手が3区で区間新をマークした時です。もうめちゃくちゃ速くて、本当に1年生?って感じで衝撃的でした。もうひとつは、99回大会の2区ですね。吉居(大和・中央大)君、田澤(廉・駒澤大)君、近藤(幸太郎・青学大)君の3人の激しいつば競り合いは、非常にレベルが高く、展開的にも面白かった。解説していたのですが、興奮しちゃって冷静に話ができなかったです(笑)」

 100回大会の箱根でも、こうした思わず腰が浮いてしまうようなシーンが生まれるかもしれない。渡辺監督は、そういうレースを楽しみながら丁寧な解説を届けていきたいという。

「箱根駅伝を中継するのは本当に楽しいです。好きなことをやっているので、長時間の解説も苦になりません。それに瀬古さんと僕が中継車に乗る前は、中央大学OBの碓井(哲雄)さんが解説をされていたのですが、2年前に亡くなられました。その碓井さんの意志を受け継いで中継車での解説をしていくという気持ちがあるので、これからも続けていきたいですし、僕の次の世代にも受け継がれていくといいですね。箱根駅伝は永遠に不滅だと思っていますから」

 2日間の大きな仕事を終えて、大手町に帰ってくると、ホッとするという。そこで、水分を口に含むと、体に染みわたるのを感じる。

「2日連続で、カラッカラの状態なんで(苦笑)」

 第100回大会も、中継車から声を出し続ける。

渡辺康幸(わたなべ・やすゆき)/1973年6月8日生まれ、千葉県出身。市立船橋高-早稲田大-エスビー食品。大学時代は箱根駅伝をはじめ学生三大駅伝、トラックのトップレベルのランナーとして活躍。大学4年時の1995年イェーテボリ世界選手権1万m出場、福岡ユニバーシアードでは1万mで優勝を果たし、実業団1年目の96年にはアトランタ五輪1万m代表に選ばれた。現役引退後、2004年に早大駅伝監督に就任すると、大迫傑が入学した10年度には史上3校目となる大学駅伝三冠を達成。15年4月からは住友電工陸上競技部監督を務める。学生駅伝のテレビ解説、箱根駅伝の中継車解説でもお馴染みで、幅広い人脈を生かした情報力、わかりやすく的確な表現力に定評がある。