2004年に青山学院大の監督に就任してから20年目を迎えようとしている。いまでこそ、"青学"の存在感は、学生界の枠を超えたものとなっているが、それは原晋監督が箱根駅伝初優勝まで醸成した表現力が昇華した結果でもあった。箱根駅伝が100回大会を…

2004年に青山学院大の監督に就任してから20年目を迎えようとしている。いまでこそ、"青学"の存在感は、学生界の枠を超えたものとなっているが、それは原晋監督が箱根駅伝初優勝まで醸成した表現力が昇華した結果でもあった。箱根駅伝が100回大会を迎えるいま、取り巻く環境の変化への必要性も主張しながら戦い続けている。



地道にチームを作り上げてきた原監督 photo by Kyodo News

【強さの端緒が散見する

「町田寮」の風景】

 大学の合宿所の雰囲気が好きである。

 駒澤は「道環寮」という看板の文字を見ると、なにか引き締まるものを感じる。

 陸上トラックに隣接した東洋大の合宿所は照明が明るく、くつろげるスペースには陸上専門誌などが置いてある。取材を待つ間など、私も雑誌を手に取ってみることもしばしばだ。

 中央大は玄関を入ってすぐ、ショーケースに栄光の足跡を示す賞状や写真があり、赤いたすきに交じって、中大の短距離のエースだった飯塚翔太(2016年リオ五輪4×100mリレー銀メダル)の大学時代の姿をいつも見てしまう。

 青山学院大の合宿所、「町田寮」はどの大学とも違っている。

 夜の取材のときは、玄関ホールにはマットが敷かれていて、「青トレ」に励んでいる学生が必ずいる。

 食堂は地下にあるが、そちらへと降りていく階段の壁には「今月の目標」が貼ってある。

「月間走行距離500kmの達成」

「丁寧なトレーニング」

「リハビリからの完全復帰」

 それぞれの目標が書き込まれており、そのシートを見るたびに、「みんな、頑張ってるな」と静かに尊敬の念を抱く。丁寧に書いている選手ほど成長していると思うのは、私の思いすごしだろうか。

 このシートは、ただ書くだけではなく少人数のミーティングで共有され、目標の妥当性、そしてレビューが行われたうえで、掲示される。目標設定は、他の部員に対する決意表明なのだ。

 この「目標管理シート」と、「目標管理ミーティング」は2015年の青山学院大の初優勝の基盤を作ったと私は見ている。

 原晋監督はいう。

「自分の目標を書いて、その妥当性を検証するのは、会社じゃ当たり前のことですよ。それを共有するのが大事なことであってね。企業の手法を大学スポーツに当てはめてみたわけです」

 書くだけだったら、誰にでもできる。それを話し合いのなかで検討し、モチベーションを高く保つ。つまり、話し合いが重要なのだ。初優勝当時の高木聖也主務は、こう話す。

「少人数のグループを作るにあたっては、あまり接点のなさそうな上級生と下級生を組ませるようにしたりしました。自分たちの世代では、部全体が成長していく過程で、ミーティングが意味を持ってくれたんじゃないかと思います」

 長年、青学大を取材していると、管理シートの質やミーティングへの熱量など、学年によって差異が出ていることがわかる。2015年に初優勝したチームは、議論が健康的に、活発に行われていたのは間違いない。

 全員が同じ方向を向き始めていたのである。

【「集団」から「個」へのシフト】

 実はそれ以前、青学大はいろいろな意味でにぎやかなチームだった。

「フツーにケンカもありましたし、監督に食って掛かる学生もいましたから」(原監督)

 原監督も当時は40代。学生たちの熱量に対し、倍量の熱で返そうとしていた。とにかく、みんなが元気。ともすれば、そのベクトルがバラバラで力が分散してしまいかねなかった。

 それが強化の方向に力が収束し始めたのは、2012年に出雲駅伝に優勝したあたりからだっただろうか。箱根駅伝出場で喜び、シード権獲得で大騒ぎしていたチームが、いよいよ優勝へのプレッシャーと向き合わなければならなくなった。このハードルはなかなか高い。しかし、青山学院大は軽やかに飛び越えた。どうやって? 原監督は振り返る。

「やっぱり、人材は必要でしたね。意欲をもった世代トップの選手たちが入学するようになって、練習の質がガラッと変わったんです」

 2010年ころまで、青学大は「集団」にフォーカスしたチームだった。「それがベースアップするいちばんの近道だった」と原監督は思い出す。

「走力をアップさせるにも、みんなで頑張ることが大事なんです。だから、朝練習も集団走。強度の高いポイント練習も、全員でこなしていく。集団の構成員が全員で高め合い、そこでチームへの忠誠心、いまの言葉でいうところのコミットメント(関与)する力を高めていったわけです」

 2010年に箱根駅伝のシード権を獲得し、ベースアップができたところに、2012年春、久保田和真、神野大地、小椋裕介といった実績のある選手たちが入学してきた。いずれの選手たちも意識が高く、自然と練習の質が上がっていった。原監督のリクルーティングの腕がさえ始めたのは、このころからだ。

「いいチームになり始めたよね。だって、いい人材を選んでるんだもの(笑)。それはタイムがいいというばかりではないですよ。それ以前は私もタイムを重視しすぎて、青山学院の校風とはちょっと違うかな、という人材に声をかけたこともありました。2010年代に入って、久保田のように天才肌の選手や、神野のようにコミュニケーション力が高い選手、小椋のような秀才肌の選手が入ってくるようになりました。このあたりからかな。"個"が目立つようになってきたのは」

 2012年の新入生、上位5名の5000mの平均タイムは関東の大学でトップ。これは「青学時代」の到来の予兆だった。彼らが4年生になる2016年の箱根駅伝では優勝候補になるだろう−−私はそう予想を立てたが、実際にはそれよりも1年早く2015年の箱根駅伝で初優勝を達成した。

 青学大は初優勝から、いきなり4連覇。原監督は「勝つためにすべきことを徹底しただけです」と語る。

 91回大会(2015年)から99回大会(2023年)までの9年間で6度の優勝は、黄金時代と呼ぶにふさわしい実績である。

【取り巻く環境の変化と "青学らしさ"】

 そして第100回大会を迎えるにあたり、原監督は箱根駅伝を取り巻く環境の変化を感じている。

「競争が激しくなりました。過去10年を分析してみると、青学大には8連覇のチャンスがあり、本当にそうなってもおかしくなかった。ただ、私の区間配置のミスであったり、直前に主力選手の故障が出たりして、優勝を逃した年があった。つまり、ウチのミス。ところが、いまは駒澤だけではなく、全日本大学駅伝でも2位を争った國學院、中央も強い。間違いなく『戦国時代』に突入しているので、いま箱根駅伝で優勝するのは難しいと同時に、すごく価値のあることだと思う」

 いまも町田寮には目標管理シートが掲示され、学生たちも活発に議論を交わしている。特に今年は主力を張る3年生たちの意見が強く、4年生はチームをまとめる苦労した様子だ。今回の箱根駅伝の16人のエントリーメンバーには入らなかったが、主将の志貴勇斗(4年)はこう話す。

「いろいろな意見が出るのが"青学らしさ"なのかなと思います。黙っているより、率直な意見をぶつけられるのが青山学院の良さだと思うので」

 毎年、学生の顔ぶれは変わるのに、この10年以上、「青学らしさ」が保たれているのは奇跡かもしれない。それだけ、原監督が校風にふさわしい人材を選んでいるということだろう。

「走ることは表現手段。だから、言葉による表現が豊かな選手は伸びるんです」

 原監督のこの言葉に、青学大の魅力が凝縮されている。

 これからも、青学大は大きな存在感を発揮し続けるだろう。