【身長185cmの「アンダードッグ」が番狂わせ】「今後はフェザー級の強豪全員と試合をしていきたい。そしてもうひとつの夢、私は日本で試合がしたいんです」 新たにWBO世界フェザー級王者となった12月9日の試合後、ラファエル・エスピノサ(メキシ…

【身長185cmの「アンダードッグ」が番狂わせ】

「今後はフェザー級の強豪全員と試合をしていきたい。そしてもうひとつの夢、私は日本で試合がしたいんです」

 新たにWBO世界フェザー級王者となった12月9日の試合後、ラファエル・エスピノサ(メキシコ)が残したそんな言葉は象徴的だった。現在のボクシング界における、軽量級の中心地が日本であることをあらためて示したのだろう。



WBO世界フェザー級の新王者になったエスピノサ(右)と、コーナーについた帝拳ジムの田中繊大トレーナー(左)

"Go West, young men(野心のある若者は西部に迎え)"。19世紀のアメリカ西部開拓地時代の有名なフレーズがあるが、野心と実力がある現役軽量級ボクサーたちは太平洋を越えて極東の地を目指す。それが、「世界最高級のボクサー」井上尚弥(大橋)を中心に、ストリーミング世代の中で作り上げられたムーブメントなのだろう。

 昨年末、史上初めて世界バンタム級の4団体統一を果たし、現在はWBC、WBO世界スーパーバンタム級王者のタイトルを保持する井上。今年12月26日には、有明アリーナでWBAスーパー、IBF同級王者マーロン・タパレス(フィリピン)と4冠戦を行なう。

この試合に勝ち、わずか1年強で2階級の4団体統一王者になれば、とてつもない快挙である。2023年の"The fighter of the year(年間最優秀選手)"の受賞も有力。井上はさらに評価、"商品価値"を上げるに違いない。

 同時に、スーパーバンタム級でのやり残しも少なくなる。タパレス戦をクリアした場合、同級で相手候補になる選手はルイス・ネリ(メキシコ)、MJ・アフマダリエフ(ウズベキスタン)、サム・グッドマン(オーストラリア)など、ごくあずか。井上がもうひとつ上の階級、フェザー級に目を向けるのは自然の流れと言えよう。

 そんな状況下で、アメリカでの井上のプロモーターであるトップランク社は、ひと足先にフェザー級に力を入れ始めている。トップランク社がフロリダで挙行したWBO世界フェザー級タイトル戦、ロベイシ・ラミレス(キューバ)vsエスピノサ戦もその一貫だった。

 今年7月、日本での初防衛戦で清水聡(大橋)に5回TKO勝ちを収めたラミレスにとっては"ショーケース"の舞台になるはずだった。近い将来の井上戦に向け、オーディションの趣が強いタイトルマッチだったのだ。

 ところが――。キューバ人が多いマイアミ近郊のアリーナで大波乱は起こった。圧倒的優位と目されていたラミレスだったが、この日まで23戦全勝(20KO)ながら強豪との対戦が皆無だったエスピノサに苦戦。第5ラウンドにラミレスが強烈なダウンを奪ったものの、29歳のメキシコ人は諦めなかった。

 やや王者が優勢という印象で終盤を迎えるも、身長185cm のエスピノサは長い腕を折り畳んでの連打で襲い掛かる。「序盤に足を痛めた」という話もあったが、その粘りは驚異的だった。

 11回終了時点で、3人のジャッジの採点は三者三様のドロー。最終回、リングサイドで見守った家族の前で攻め続けたエスピノサは、ノンストップのコンビネーションで王者からダウンを奪う。"年間最高試合候補"とも称されたドラマチックな激闘の末、無名のエスピノサが2-0(113-113、114-112、115-111)の判定勝ちで新王者となった。

「今日は厳しい試合になりました。(ラミレスが入ってきたところでの)アッパー、ボディ打ちは相手を弱らせるために練習してきたパンチ。私は5回にダウンした際に足を痛めたんですが、大丈夫でした。3カ月間、毎朝5時に起きて走り込んだ甲斐がありました」

 エスピノサ側のコーナーについた、帝拳ジムの田中繊大トレーナーによる通訳で筆者の質問に答えたエスピノサは、感無量の表情を見せた。「ダウン応酬」「アンダードッグの番狂わせ」「最終回の逆転」といった、ボクシングならではの要素が散りばめられた一戦での初戴冠。まったく無名だったエスピノサだが、"マチズモ(男らしさ)"を愛するメキシコでの知名度も大きく上がったはずだ。

 トップランク社のプロモーターであるボブ・アラム氏は、フェザー級での「ラミレスvs井上戦」に何度か言及しており、ラミレスの王座陥落は誤算だったに違いない。ただ、"ある人の損失は、別の人の利益になる"という言葉もある。フェザー級では並外れた長身で、ファイトスタイルは好戦的。ボクシング王国メキシコ出身の新王者、エスピノサもまた魅力的な存在になり得る。

 これまで、井上にはメキシコ人の強力なライバルはいなかった。マニー・パッキャオ(フィリピン)がファン・マヌエル・マルケス、マルコ・アントニオ・バレラ、エリック・モラレスというメキシコの重鎮たちと死闘を繰り広げ、知名度、評価を上げたように、ボクシングビジネスにおけるメキシカンの重要度は高い。まだ気は早いが、サイズと意志の強さを備えるエスピノサは、井上の好敵手になるポテンシャルを秘めている。

【他にもフェザー級には強豪がゴロゴロ】

 トップランク社が目をかけていたフェザー級の選手はラミレスだけではない。IBF同級王座を2度防衛したルイス・アルベルト・ロペス(メキシコ)も同社の所属。ロペスは来年3月2日、アメリカで阿部麗也(KG大和)と指名防衛戦を行なうことが内定している。同興行では、11月下旬にトップランク社と契約したばかりのオタベク・ホルマトフ(ウズベキスタン)が、レイモンド・フォード(アメリカ)と対戦するWBA同級王座決定戦も組まれている。

 メキシカンのロペスにも興行価値はあるが、25歳のサウスポー、ホルマトフも11戦全勝(10KO)と、まだ底を見せていない。ホルマトフは昨年3月、トーマス・パトリック・ウォード(英国)との無敗同士の挑戦者決定戦で、一方的な5回KO勝ちを飾って話題となった選手。アマチュアでの戦歴、スキル、パワーをすべて備えており、名前を覚えておいて損はない実力者だ。

 こうして見ていけば、トップランク社が目指す方向性は明白だろう。ロペス、ホルマトフ、ラミレス、エスピノサ、阿部(※エスピノサと阿部は、まだトップランク社の契約選手ではない)らをお茶の間に売り込み、可能であれば統一戦も挙行する。その上で、井上の昇級を待つ。シナリオ通りなら、井上がフェザー級に挙がる頃には楽しみなカードがすぐ組める体制ができあがっているはずだ。

 トップランク社傘下以外でも、WBC王者レイ・バルガス、マウリシオ・ララ(ともにメキシコ)、ブランドン・フィゲロア(アメリカ)、ジョシュ・ウォーリントン(英国)といった著名選手が、フェザー級を主戦場にしている。7月に井上に完敗したスティーブン・フルトン(アメリカ)も、いずれはこの階級で戦う可能性が高い。

 これらのボクサーたちの誰もが、日本での井上との対戦を目指していると言っても大げさではない。

「井上が勝ち続けて階級を上げれば、そこで動く金額はさらに大きくなる。多くのボクサーが対戦を望み続けるはずだ」

 米ボクシングサイト『Boxingscene.com』のクリフ・ロールド記者が記したこのフレーズは正しい。日本の"モンスター"はスーパーミドル級のサウル・"カネロ"・アルバレス(メキシコ)、ヘビー級のアンソニー・ジョシュア(英国)などと同様、誰が相手だろうとすべての試合がメガファイトになる正真正銘のスーパースターだ。

 そんなボクサーが母国で生まれた日本にビッグイベントを行なえる土壌ができたおかげで、スリリングな時間はもうしばらく続きそうだ。