2度目の休息日に「シャンゼリゼにゴールしたら扇子を打ち振りますよ」と語った新城幸也 バーレーン・メリダに所属するプロロードレーサー、新城幸也(あらしろ・ゆきや)が世界最高峰の自転車ロードレース「ツール・ド・フランス」を3時間18分16秒…


2度目の休息日に

「シャンゼリゼにゴールしたら扇子を打ち振りますよ」と語った新城幸也

 バーレーン・メリダに所属するプロロードレーサー、新城幸也(あらしろ・ゆきや)が世界最高峰の自転車ロードレース「ツール・ド・フランス」を3時間18分16秒遅れの総合109位でゴールした。出場7回にして7度目の完走という日本自転車界では他に類を見ない快挙を、まるで何事もなかったかのように成し遂げている。

 新城は沖縄県石垣島出身の32歳。2007年と2013年に全日本チャンピオンに輝き、2012年のロンドン五輪と2016年のリオデジャネイロ五輪に出場した日本を代表するトップレーサーだ。ツール・ド・フランスは2011年と2015年をのぞき2009年~2017年の9年間で7回出場し、そのすべてを完走している。ジロ・デ・イタリアは2010年と2014年、そしてブエルタ・ア・エスパーニャは2015年に完走し、グランツールと呼ばれる3大大会を全走破。途中リタイアは一度もない。

 2015年まで新城はフランスチームで走ってきたが、2016年にイタリアのランプレ・メリダ(現UAEチーム・エミレーツ)へ移籍。そして今季、バーレーン王国に新チームとして誕生したバーレーン・メリダに加入した。バーレーンは18世紀にアラビア半島から移住したハリーファ家が基礎を作り、1932年に石油の生産を開始。近代化を進めて1971年にイギリスから独立した。同国五輪委員会会長を務めるナセル・ビン・ハマド・アル・カリファ王子がこの自転車チームを統括する。

「世界で多くの人が観戦して楽しんでいる自転車レースにおいて、国家の名前を冠したチームを運営して主要レースを走ることによって、世界におけるバーレーンの役割やイメージを大きく向上させる」ことが結成の狙い。豊富な資金力で最高ランク「UCIワールドチーム」への登録を実現させ、ツール・ド・フランスにも自動的に初出場を決めていた。

 ところが大会初日、チームに思わぬ事態が生じた。チームのエース格で上りに強く、総合成績の上位を狙っていたスペインのヨン・イサギレが、第1ステージでまさかの負傷リタイアとなったからだ。

「春から今回の出場メンバーで常にレースに出場してきて、気心が知れていたので楽しみだったが、唯一勝負できるイサギレがいきなりいなくなってしまったので目標を失ってしまった」と、新城はこれまでにない状況に戸惑いを隠しきれなかった。

 リーダー不在のレースはプレッシャーがなくなった分、成績が出しにくくなった。エースのために全力で戦うつもりだったため、第2週を終えても体力に余裕はある。自らのためにステージ優勝を目指して連日のようにアタックしたい気持ちもあった。だが、今大会は厳しい山岳か、まったくの平坦かがはっきりとしていて、新城がもっとも得意とするコース状況に恵まれない。

 2回目の休息日に日本の取材陣から「これまでで一番、楽に走っているんじゃない?」と質問されると、「楽ですよ。総合成績の上位につけたエースをアシストする仕事がないし、落車もしていないから」と笑顔で返したが、その一方で「このままでは終われない。なにか結果を残したい」と吐露していた。

 32歳となった新城は、すでにチーム内ではベテランの域。加えてツール・ド・フランス出場経験もずば抜けて多い。スプリント要員4人、山岳スペシャリスト4人で構成されたチームで、平坦ステージではスプリンターのエースを牽引する仕事をこなしつつ、チャンスを与えられたときはチャレンジを繰り返した。ところが、”逃げ”が成功しない。

「第1集団が構成されても、ゴールまで逃げられるかはメンバーによる。トーマス・デ・ヘント(ベルギー/ロット・ソウダル)やトニー・マルティン(ドイツ/カチューシャ・アルペシン)のような独走力のある選手と一緒なら可能性も高くなるが、さすがにそれは選べません(笑)」

 アタックして第1集団に加われなかったときは、「リカバリーの日」と割り切ってゴールを目指した。なんとかしたいという気持ちは強かったが、あっという間にツール・ド・フランスの23日間は終わった。

「いつものようにパリへの凱旋を僕なりに楽しめた」という新城に、シャンゼリゼのゴール地点で話を聞くことができた。

「やれるだけのことはやったので、不完全燃焼ではまったくないです。逃げに乗るつもりでアタックをしたし、常に全力でゴールを目指した。ある程度の経験があると、頭のなかで(この程度でいいと)妥協してしまうこともあるんですが、それを打ち消してチャレンジできたと自分では思う。

 ツール・ド・フランスは全開で走らないとゴールすることも難しいし、もうこれ以上は無理というところまで追い込んで走らなければいけないときもある。100%の力を出し切ったけれど、結果が掴めなかった。今年は僕が勝つツール・ド・フランスではなかったですね」

 ツール・ド・フランスは他のレースとは次元が違う、と新城は語る。沿道の応援はすごいし、集団のスピードも速い。出場198選手がベストコンディションで臨み、全員がこの3週間を全開で戦う。だから、そこで勝つのはとても難しい。

「でも、スイッチが入るんです」と新城。このレースはごまかしが効かないので、とその理由を説明する。

「ツール・ド・フランスはなんというか、生きているって感じがする。毎回ツール・ド・フランスに帰ってくると、自転車を始めたときのことを思い出すことができる。コイツには勝ってやるってギラギラしたころの思いがよみがえってくるんです」

 目標として掲げていた日本勢初のステージ優勝は今回も果たせなかった。しかし、パリにゴールしたその日から、次の参加レースとともに来季のツール・ド・フランスを見据えている。悲願のステージ優勝を夢見て……。