2014年の表明以降、札幌市が進めてきた冬季五輪・パラリンピック招致が「失敗」に終わった。秋元克広市長は競技団体や自治体、経済界の意見も踏まえて、年内にも招致からの撤退を決めるとみられる。失敗は東京五輪汚職による逆風だけが原因なのか。 決…

 2014年の表明以降、札幌市が進めてきた冬季五輪・パラリンピック招致が「失敗」に終わった。秋元克広市長は競技団体や自治体、経済界の意見も踏まえて、年内にも招致からの撤退を決めるとみられる。失敗は東京五輪汚職による逆風だけが原因なのか。

 決め手になったとみられるのは、「頼みの綱」だった日本オリンピック委員会(JOC)の力不足だ。

 17年に五輪の開催地は、複数の候補都市から投票で決める方法から、国際オリンピック委員会(IOC)と水面下で話し合いを重ねて選ぶ方法に変更された。ただ、この選び方はIOCが、どの都市を相対的に評価しているのかは見えない。

 そこで、市は3人の日本人のIOC委員とパイプがあり、IOCへの出向者もいるJOCの情報に頼ることになった。14年以降は市職員をJOCに派遣し、21年から2人に増やして情報収集に努めた。しかし、実は結ばなかった。

 10月11日。市は30年大会を断念して34年以降を目指すことにしたが、市関係者によると、この方針は「JOCが提案した戦略だった」という。「IOC理事会にNOをつきつけられる前に自主的に30年を断念した方が、34年以降の展望が見えてくる」との読みだったが、完全に外れた。

 IOCは11月末、30年と34年大会の開催地を同時決定し、38年大会の優先対話都市も決めてしまう。これらの方針を、JOCは事前に察知できなかったとみられる。

 最後まで「蚊帳の外」だった秋元克広市長は会見で恨み節まじりでこうもらした。

 「今回のIOCの決定というのはかなり衝撃的な決定と受けとめております」(日浦統)