日本体育大学の注目選手を紹介。今回はアルティメット競技の那須香澄選手を紹介する。日本体育大学BARBARIANSに所属しながら日本代表としても活躍している那須選手は、なぜハードなスケジュールの中、学校、部活、競技に全力を注いでいられるのか。…

日本体育大学の注目選手を紹介。今回はアルティメット競技の那須香澄選手を紹介する。日本体育大学BARBARIANSに所属しながら日本代表としても活躍している那須選手は、なぜハードなスケジュールの中、学校、部活、競技に全力を注いでいられるのか。原動力となっているものは何なのか、那須選手の想いや魅力に迫っていく。

・名前 :那須香澄
・身長 :153cm
・所属 :日本体育大学BARBARIANS
・出身校:成立学園高等学校

▶︎競技歴(一部抜粋)

幼少期 親の練習でディスクに触れる
高校1年生 土日に様々なチームの練習に参加
高校2年生 U.C.ABLAZERS(ユースチーム)所属
大学入学後 日本体育大学BARBARIANS所属

▶︎日本代表歴

WFDF2020世界ジュニアアルティメット選手権大会
WFDF2022世界ジュニアアルティメット選手権大会
WFDF2023世界U-24アルティメット選手権大会 第2位

▶︎国内大会

第33回全日本大学アルティメット選手権大会 第1位
第34回全日本大学アルティメット選手権大会 第1位

▶︎アルティメットとは

7人対7人で行うチームスポーツ。100m×37mのフィールド内でフライングディスクを落とさずにパスをしながらつなぎ、コートの両サイドにあるエンドゾーンと呼ばれるエリアでディスクをキャッチすれば得点が入るスポーツ。1968年に高校生のジョエル・シルバーが考案し、アメリカ合衆国の高校で最初のゲームが行われた。
この競技の最大の特徴は、身体接触が禁止され、フェアプレーを最重要視したセルフジャッジ制を導入していることである。球技とは違うディスクの特性から、投げる技術、跳躍力、スピード、持久力などを必要とする。
魅力は、ダイブキャッチやロングシュートといったダイナミックなプレーが男女問わずプレーできること。競技人口が少なく様々な地域のチームとプレーすることから、ディスクを通じて全国に仲間ができること。

▶︎アルティメットとの出会い

那須選手の両親がアルティメットの選手として活躍していたことに加えて、幼い頃から両親の練習や大会に頻繁に同行していたことから、競技がずっと身近にあったという。
さらに那須選手は「実際に両親が日の丸をつけて、普段の親の顔ではなく、アスリートの顔をして日本代表として戦っている姿をみて、いつかこのようにかっこいいプレーヤーになって、世界で戦いたいと思った」と、アルティメットを始めた時の気持ちを明かした。

▶︎日本代表にわずか1年で選出、競技と学校の両立へ

那須選手が本格的に競技を始めた時期は、高校1年生の時。近くにアルティメットができる環境がなく土日を使って様々なチームの練習に参加していた。その中で、初めて日本代表として選出されたのも高校1年生の時。競技を始めて1年経たずの選出であった。そのため那須選手は「目標だった舞台に立てた嬉しさよりも驚きと不安が勝っていた」と、素直には喜べなかったという当時を振り返る。
しかし高校2年生の時に状況が一変する。地元にU.C.ABLAZERSのユースチームが発足し、自身もチームに所属した。チームでの練習がない平日は、アルティメットに必要な走力と体力をつけるために陸上部に所属。その結果として「走力」が那須選手の武器となり自信をつけていった。
「どこのポジションもこなせる点が強みです。特に、オフェンスよりもディフェンスの方が好きで、153cmの低身長をカバーするために走力でディフェンスをするのが得意です」と自身の特徴を語った。

▶︎日本体育大学に進学した理由

「アルティメットをメジャースポーツにしたいという想いから、スポーツのスペシャリストになれる日本体育大学を選びました。また、ビジネススポーツやプロスポーツについて学び、マイナースポーツとメジャースポーツの違いについて調べることにより何が足りないのかを学ぶため、スポーツマネジメント学部を選びました」と、アルティメットの存在が進路の決め手だったと語る。また、恩師や両親、祖父母が日本体育大学出身ということも何かの縁を感じたことを明かした。

▶︎待っていたのは最高の環境

日本体育大学のチームは歴史があり、OB、OGがたくさんいることから、多くの指導者に恵まれた環境であり、本気でアルティメットに集中できる環境であった。
「チームのみんなが本気でアルティメットを楽しんで、本気で日本一を目指しているところが、日本体育大学のチームに入って良かったと感じる」と明かした。順調に進んでいた大学生活、しかし大学4年になると大きな壁が立ちはだかることとなった。

▶︎インカレ5連覇への壁

2022年度は4年生を中心としたチームでインカレ4連覇を達成したが、多くの選手が卒業を迎え主力選手が一気に抜けてしまう事態に。その影響で今年は0からのスタートとなった。「先輩方が繋げてきた4連覇を5連覇にすることは難しいと周りから言われていた。目標のために四六時中アルティメットのことを考えて生活をしている」5連覇のプレッシャーがかかる中、那須選手自身も立場が変わり、2年生ながらチームを引っ張っていく立場に変わったことが最大の悩みであった。それでも、多くのOB、OGの支えもありチームは成長を続けていった。
迎えた2023年度のインカレでは、チーム一丸となり見事5連覇を達成。喜びも束の間、「前代未聞のインカレ7連覇を目標にします」と彼女はさらなる高みを目指し歩み始めた。

▶︎アルティメットが大好きな彼女が目指すこと

「将来の夢は、オリンピックに出ることです」と那須選手は語る。現在アルティメットはオリンピック種目ではない。しかし、2028年夏季オリンピックへの競技入りを目指して活動している。夢の実現に向けて、ハードなスケジュールをこなしている理由については、「アルティメットをしていると全国各地にたくさんの尊敬する人がいます。その人たちに会うため、そしてその人たちに成長した姿を見せるために競技を続けています」
加えて日本代表での活動も原動力となっている。”WFDF2023世界U-24アルティメット選手権大会、第2位”という結果を踏まえ「世界大会に参加して、あと一歩で世界一を逃した経験から、この悔しさを晴らさないと辞められない」と胸の内を語った。
「前人未到のインカレ7連覇」「オリンピック出場」2つの大きな目標と夢を実現するため、那須選手はさらなる高みへ走り続ける。
 

(取材・文:山田樹奈)