MotoGPの2023年最終戦となったバレンシアGPで、最小排気量Moto3クラスの佐々木歩夢(Liqui Moly Husqvarna Intact GP)が優勝を飾ってシーズンを締めくくった。バレンシアGP Moto3クラス決勝で優勝…

 MotoGPの2023年最終戦となったバレンシアGPで、最小排気量Moto3クラスの佐々木歩夢(Liqui Moly Husqvarna Intact GP)が優勝を飾ってシーズンを締めくくった。



バレンシアGP Moto3クラス決勝で優勝を飾った佐々木歩夢とご両親 photo by Akira Nishimura

 今年の佐々木は、チャンピオン争いの中心的存在として毎戦激しいバトルを繰り広げてきた。10月1日の日本GPでも2位表彰台を獲得。それ以降も、ランキング首位の選手とわずかなポイント差で緊迫したレースが続いた。シーズン最終盤は第18戦マレーシア-第19戦カタール-第20戦スペイン・バレンシアと転戦する3週連続開催で、レースを経るたびにチャンピオンを巡る戦いも緊張感を高めていった。

 そんな状況のなか、最終戦ひとつ前のカタールGPでは、ランキング首位の選手とそのチームメイトが、レース中に佐々木をコースから押し出してわざと順位を落とさせようとする露骨な挙動を何度も見せた。しかし、あからさまな嫌がらせを受けても佐々木は臆することなく、そのたびにクリーンでフェアな走りを続けてポジションを回復した。だが、最後はランキング首位の選手が優勝した一方で、佐々木は6位。最終戦に決着を持ち越せる順位ではなかったために、王座の可能性がここで消失した。

 このレースでランキング首位の選手とチームメイトが見せた挙動は、世界中のファンや関係者から大きな批判を受けた。レース界のレジェンド、ミック・ドゥーハン氏も、SNS上でチャンピオンを獲得した選手とチームメイト、および彼らが所属するチームの行為を卑怯な勝ち方と強く非難。対照的に、最後まで正々堂々と戦い続けた佐々木を賞賛した。

 このような経緯があるだけに、最終戦ではランキング2位が決定した佐々木の走りに大きな注目が集まった。2024年は中排気量のMoto2クラスへのステップアップが決定している佐々木にとって、このバレンシアGPはMoto3最後のレースになる。



バレンシアGP Moto3クラス決勝で優勝しウィニングラップを披露する佐々木歩夢 photo by MotoGP.com

 2016年に日本人で初めてレッドブルルーキーズカップのチャンピオンを獲得した佐々木は、その直後に負傷選手の代役としてマレーシアGPに参戦し、グランプリデビューを飾った。翌2017年には、16歳でホンダ陣営からMoto3フル参戦を開始、ルーキー・オブ・ザ・イヤーを獲得。2018年以降は、高い資質に大きな期待が集まる反面、なかなか結果を残せないシーズンが続き、年間ランキングは20位や16位と低迷した。2020年にはホンダ陣営を離れてオーストリア企業のKTM勢へ移り、2022年に初優勝を達成。この年は2勝を含む9表彰台でランキング4位。今年は10戦で表彰台に登壇したものの、優勝だけはできないままで最終戦を迎えた。

 Moto3時代を締めくくるレースでもある今回は、前戦で受けた卑劣な仕打ちの直後でもあるだけに、確固たる思いを抱いて週末を迎えた。

「カタールGPが終わってたくさんの応援メッセージをくださった日本や世界のみなさんの声援に応えるためにも、Moto3最後のレースでしっかりと速さを見せて優勝をしたい」

 土曜午後の予選は、ポールポジションこそ逃したが、0.048秒差で2番手タイム。日曜午後12時にスタートした全20周の決勝レースは、終始安定してトップグループの中で優勝を争った。最終ラップの最終コーナーを誰よりも早く立ち上がった佐々木は、そのままゴールラインを通過。レース前に述べていたとおりに、Moto3時代最後のレースを勝利で締めくくった。

「シーズンが終わってみればチャンピオンとの年間獲得ポイントは6点差なので、応援してくれた人たちにチャンピオン争いができていた可能性を証明できたと思います。今日は7年間のMoto3で学んだことを走りにつなげて優勝できたので、自分に100点をあげられるレースができたと思います」

 チェッカーフラッグを受けた後、佐々木は7年間で初めて泣いた。

「先週のレースは辛かったし、今日が最後のMoto3レースということで自分にプレッシャーも与えていたから、それがチェッカーの瞬間にとけて、ちょっと涙が出ました。初優勝(2022年)でも泣かなかったので、これがホントに初めての涙です」

 ウィニングラップで、佐々木はコースサイドに出てきた両親と抱擁を交わした。佐々木と両親はルーキー・オブ・ザ・イヤーを獲得した2017年にも、ここバレンシアサーキットで記念Tシャツを着てともに祝福した。2023年の彼らがうかべた笑みは、そのとき以上に大きなものに見えた。佐々木の父、慎也氏は元ライダーで、1993年のアメリカGPではMoto3の前身となる125ccクラスに参戦して13位でゴールした経験を持つ。息子が直面してきた苦労を誰よりも理解できるだけに、よろこびもひとしおだろう。

 2024年の佐々木は、Moto2クラスへステップアップする。

「Moto2にステップアップして戦うこと自体が、絶対に簡単なことじゃないはずなんです。だけど、低い順位でスタートするのではなく、できればポイント争いやトップテンが見えるようないい形でMoto2に上がりたい。ルーキーだから、という言い訳はしたくないんです。だから、この冬の間は大きいバイクに慣れるために、日本に帰るヒマがないくらい1000ccや600ccのバイクでたくさん走り込む予定です」

 Moto2クラスには、少年時代からともに切磋琢磨してきた小椋藍が参戦している。小椋もまた、2024年は長年過ごしたIDEMITSU Honda Team Asiaを離れて新たなチームへ移籍するため、心機一転のシーズンとなる。

「歩夢はMoto3でチャンピオン争いをしていたライダーなので、Moto2でもきっとすぐに速くなると思います。Moto2の経験が長いこちらからしたら負けてはいけない存在になるわけだし、自分にとってもすごくいい刺激になると思います」

 性格は異なるがともに将来を嘱望される小椋と佐々木がMoto2の上位陣で鎬を削れば、かつて加藤大治郎や中野真矢、宇川徹たちが毎戦トップ争いを繰り広げていた時代のように、日本人選手が表彰台を席捲する日もやがて現実味を帯びてくるだろう。