「関東最古の定期戦」として名高い関東大学ラグビー対抗戦・伝統の一戦、早稲田大学対慶應義塾大学の「早慶戦」が11月23日に行なわれた。「臙脂(早稲田大)」と「黒黄(慶應義塾大)」の初対戦は1922年。戦争の影響で1942年は春・秋に2回行なわ…
「関東最古の定期戦」として名高い関東大学ラグビー対抗戦・伝統の一戦、早稲田大学対慶應義塾大学の「早慶戦」が11月23日に行なわれた。
「臙脂(早稲田大)」と「黒黄(慶應義塾大)」の初対戦は1922年。戦争の影響で1942年は春・秋に2回行なわれ、1943年からの3年間は実施されず、節目の100回目を記念した今年は東京・国立競技場で開催された。
臙脂・早稲田大と黒黄・慶応義塾大が100回目の対決
photo by Saito Kenji
慶應義塾大が14-0で勝利した1922年の第1回は、早稲田大ラグビー部マネジャーが「晴れの特異日」を調べ、11月23日に対戦するようになったというエピソードは有名だ。昨年は雨のなかでの試合となったが、今年も快晴とまではいかないものの、風はほとんどなく、空は晴れていた。
1922年から10年あまりは、1899年創部で「日本ラグビーのルーツ校」である慶應義塾大が8勝1敗1分と優勢だった。しかしその後は、早稲田大が順調に白星を重ねていった。
OBでもある慶應義塾大の青貫浩之監督はこう語る。
「私にとって、早稲田大に勝つことはラグビー部だけでなく、慶應の体育会の至上命題だと思っています。ラグビー部においても、日本をリードしている早稲田大さんに対して、才能集団ではない我々がどう立ち向かうかは非常に大事で、ほかの大学と比べても早稲田さんに特別な思いがあります」
昨年までの定期戦の対戦成績は、早稲田大が72勝20敗7分と圧倒している。現在はひとつの引き分けを挟んで早稲田大の11連勝中だ。
長い歴史を誇る早慶戦で「最も劇的なトライ」として語り継がれているのは、空前のラグビーブームで6万人を越える観客が国立競技場に集まった1984年、慶應義塾大のWTB若林俊康が決めたトライだろう。6-11で迎えた後半37分、右サイドを40メートルひとりで突破してトライ。その後のゴールも決まり、慶應義塾大が12-11で逆転勝利を掴んだ。
※ポジションの略称=HO(フッカー)、PR(プロップ)、LO(ロック)、FL(フランカー)、No.8(ナンバーエイト)、SH(スクラムハーフ)、SO(スタンドオフ)、CTB(センター)、WTB(ウイング)、FB(フルバック)
【校歌を歌って涙を流す慶応義塾大の4年生たち】
1980年代後半から1990年代前半は、SH堀越正巳やWTB今泉清らが在籍した早稲田大が圧倒的に強く、慶應義塾大が挑むという構図だった。しかし、1996年からの5年間は創部100周年に向けて強化した慶應義塾大が4勝1敗とリードした時代もある。特に慶應義塾大が日本一となった1999年は、対抗戦でも初の全勝優勝を収めている。
その後、清宮克幸監督が早稲田大の指揮官に就任した2001年以降は再び臙脂の優勢となり、FB五郎丸歩やFB藤田慶和らが躍動。21世紀になって慶應義塾大が勝利したのは、LO村田毅やNo.8小澤直輝らがいた2010年(10-8)のみである。
ただ、決して下馬評どおりにいかないのが早慶戦である。2015年以降も早稲田大が連勝しているが、8年のうち7年は7点差以内の接戦だった。
100回目の今年、校歌を歌った時に「タイガージャージー」の4年生の多くが涙を流していたように、より気合が入っていたのは慶應義塾大だった。1月15日の始動日より11月23日に勝つことをターゲットにし、「毎回の練習で早稲田を意識して、すべてのことを逆算してやってきた。早稲田にどうやって勝つか、イメージさせて取り組んできた」(青貫監督)という。
副将のSO山田響(4年)も「大学に入って唯一、勝っていないのが早稲田大なので、思い入れがあります。接戦で勝とうではなく、最初から叩き潰す、勝ちきるというマインドを大事にしたい」と意気込んでいた。
一方、受けて立つ早稲田大も決して油断はない。大田尾竜彦監督は「(早慶戦は)歴史があり、先輩たちが築いてきた財産。『早稲田らしいよね』というのをいくつ出せるか」と言って選手を送り出した。
27000人を越える両校のファンが集うなか、開始のホイッスルが鳴り響く。試合はやはり早稲田大が主導権を握った。早稲田大のFB伊藤大祐主将が「慶應が武器としているコンタクト、ブレイクダウンで勝負していこう」と言っていたように、真っ向勝負で慶応義塾大に挑んだ。
【早稲田大は次なる山場「早明戦」を見据える】
前半4分、早稲田大はキックカウンターからSH島本陽太(4年)が先制トライを奪い、前半10分にもFW陣の力強いモールでFL安恒直人(3年)が左中間に押さえた。さらに前半20分にはスクラムを起点に左へ展開し、最後は伊藤がインゴールにグラウンディングして21-0とリードを大きく広げた。
慶應義塾大も負けてはいない。すぐさま反撃を開始し、前半23分には裏のスペースにキックした山田が自らキャッチしてトライ。前半33分にもゴール前のモールからFWの力でHO中山大暉(3年)がねじ込み、14-21と追い上げた。
今年も僅差の戦いになるか──。そう思われた前半ロスタイム、早稲田大がモールからHO佐藤健次(3年)がトライ。さらに後半3分にもスーパールーキーWTB矢崎由高(1年)のトライと、後半11分にはCTB野中健吾(2年)がPGを決めて、慶応義塾大を大きく引き離す。
その後、互いに1トライずつ取り合って、最終的には43-19のスコアでノーサイド。100回目の早慶戦は早稲田大の勝利で幕を下ろした。
この試合のPOM(プレイヤーオブザマッチ)に選ばれたのは、早稲田主将の伊藤。
「慶應さんは日本で一番古いチーム。100回目の対戦に重圧を感じないようにしたが、やはり感じてしまうもの。すべてにおいて勝つことを大事にしてやってきたので、固いゲームになったが勝ててホッとしました」
一方、早慶戦に4年間一度も勝利できなかった慶応義塾大の主将PR岡広将(4年)の言葉。
「慶應義塾大としても、部としても、大学4年間(早慶戦に)特別な思いが強くて、この試合に勝ちきれなかった悔しさが大きい。(明治戦の敗戦から)いい準備ができていたが負けてしまった。現状の実力として劣っていた。完敗だった。後輩たちには日々の練習の積み重ねを重要視してやってほしい」
勝利を収めた早稲田大にとっては、12月3日の「早明戦」、そして大学選手権に向けて、さらなる自信を得た試合になったことだろう。対して慶應義塾大は、「春からやってきたブレイクダウンをもう一度、見直して磨き上げたい」(青貫監督)と前を向いた。
100回目の早慶戦は早稲田大の白星で幕を閉じた。だが、両校の伝統はこの先の100年間も続いていくはずだ。