2021年東京五輪で、4×100mリレーの日本代表に選出された青山華依(甲南大)は、2022年も世界陸上にて女子4継の日本記録更新に貢献。2024年のパリ五輪に向けて、今年の世界陸上やアジア大会出場など、このまま順調に進むかと思われていた…
2021年東京五輪で、4×100mリレーの日本代表に選出された青山華依(甲南大)は、2022年も世界陸上にて女子4継の日本記録更新に貢献。2024年のパリ五輪に向けて、今年の世界陸上やアジア大会出場など、このまま順調に進むかと思われていた。
しかし今年2月、陸上人生史上最大とも言える、危機が彼女を襲う−―。ハードルジャンプの練習中に左膝を痛め、前十字靱帯断裂と半月板損傷の大ケガを負ったのだ。
どの大会でも、いつも笑顔が印象的な青山華依photo by Nakamura Hiroyuki
【復帰までの9カ月間の苦痛】
「最初は膝が崩れ落ちる感じだったので『脱臼かな』と思ったんです。前十字靱帯断裂なんていう負傷名も知らなくて、状況がわからなすぎて実感もありませんでした」
3月に手術を行なうと、そこから1カ月の入院生活を送ることになった。
「入院中はすごくきつかったです。コロナの(行動制限がある)時期で面会は禁止されていたし、外にも出られない。部屋でやるリハビリが1日2回、30分~1時間あるだけで、大学も春休みに入ってリモートの授業もなかったので、特にやることもなくて......」
当たり前のように毎日体を動かしていたアスリートにとって、何もできないことは苦痛でしかない。しかし、それでも落ち込むことはなかったと振り返る。
「手術後も最初は松葉杖で左足をつかないようにして、歩けるようになったのは1カ月後でしたが、それからも『今月はこれをしなければいけない』というノルマがずっと続いていたので、それに集中するのに必死で、落ち込む暇がなかったというか(笑)。
『野球とかラグビーのように横の動きがある競技は厳しいけれど、直線を走る陸上なら半月板は少し心配だが腱には負担がない』と、お医者さんから説明されました。でも、すべてにおいてわからないことだらけで、気持ちも追いついていなかったので、『走れないんだ。残念』とは思いました」
6月、チームメイトの応援で日本選手権の会場に姿を見せた青山は笑顔だった。10月の日本インカレの会場でもこれまでと変わらない笑顔で、走れないショックや、わだかまりのようなものは一切感じられなかった。余計なことを考えず、常に前を向き続ける彼女の性格がその笑顔から伝わってきた。
「痛くても頑張ったら走れるという体ではなく、もう完全に走れない体になってしまったので、それを受け入れて『じゃあ、できることをやるしかない』と考えました。パリ五輪まで、もう1年ちょっとしかないけど、そこに行きたいからそのために頑張ろうと思っていました。『前十字靱帯断裂の選手でも競技力は9割以上まで戻るし、逆に腱が強くなった人もいる』とお医者さんに言ってもらえたし、『もう一度基礎から練習できる』とも言われたので、『じゃあもっと上にいける。私は今まで基礎が弱かったから、そこを頑張ろう』と思えたんです」
それとともに、この9カ月間は競技と向き合ううえで、ひと区切りになったと振り返る。
青山は、2021年の大学入学直前に世界リレー代表選考トライアルで優勝して日本代表になり、世界リレーでは4位になって東京五輪出場権を獲得。そのあとの日本選手権100mでは8位ながらも、東京五輪本番で4継を走ることができた。そして、2022年4月の日本学生個人選手権では100m11秒47の自己ベストをマークし、順風満帆そのものだった。しかし、6月の日本選手権100mで5位になると、世界選手権の4継では補欠になってしまった。
「その時は少し『あぁ......』って(下がる)気持ちになりましたが、(今回ケガをして)一度度気持ち的に休憩できました。『また1からやるぞ!』っていう土台が作れたので、よかったかなと思います」
【復活レースを走って見えたもの】
大ケガから9カ月が経過し、青山の姿は11月3日に静岡で行なわれたエコパトラックゲームズの100mと4×100mリレーの舞台にあった。レースとしては、昨年10月の国体以来だ。
「今日はとりあえず走りきれたことが何よりうれしいので、もう120点です」
午前10時の個人戦予選と12時過ぎからの4×100mリレーのアンカーを走ったあと、100m決勝は左ハムストリングが攣ったことで棄権したが、表情は明るかった。
「メッチャ楽しかったです。いつもだったら2時間おきに連続で3レースも走りたくないと思ってしまうけど、今日はテンションが高くて、浮かれていたので。4継も気持ちよく走れたので、100m決勝も『賞品のメロンを取るぞ』とやる気満々でアップをしていました。でも、4継が終わってから左ハムストリングが『攣りそうだな』と思っていたら、案の定アップ中に2回くらい攣ってしまいました。
痛みが出たわけではないので大丈夫ですが、久しぶりのレースで張りきって2本走ったので疲労が溜まったのと、暖かかったのでちょっと脱水症状のようになったみたいです」
大ケガを乗り越えて走った、1年1カ月ぶりだった今回のレース。体が少し大きくなっていた青山はスタートからのフォームは以前と同じながらも、初速が鈍かった。それでも中盤から抜け出すと、組1位の11秒93でゴール。決勝に駒を進めた。約2時間後の4×100mリレーでは甲南大の4走を務め、スムーズな加速で走ると、前の3人が作ったリードを守って45秒42で優勝を決めた。
「この9カ月間は走れない分、ウエイトトレーニングをたくさんしたので、肩周りとか体幹の筋肉がつきすぎて長方形な体になったし、体重が2キロくらい増えました。それがまだ絞りきれていなくて、走る体をつくりきれていない。もう(ケガの)怖さはないけど、膝を上げる筋力もまだちゃんと戻ってないのでスタートのピッチも上がらないし、レースに慣れていないし、後半も走れない。その3点セットですね......。
今日は朝5時45分に起きて静岡に来て、100mの予選と、4継は軽く走れてよかったので、(棄権した)100mの決勝も走れたらもうちょっと体が動いたと思います。でも、こんな重たい体でも11秒9で走れたのは本当によかったと思います」
復帰レースを振り返った青山に、復帰レースとしての評価を聞くと、間を置かず「すごくよかったと思います」と答えた。
左膝はまだ万全ではなく、練習や日常生活でも制限されている動きや姿勢も多い。そんな状況でも、一度も走ることなくシーズンを終えるのではなく、ここでレースを走ることができた意味は大きい。競技人生のなかで、ツラい時期を過ごした9カ月間を乗り越えられたこの経験は、今後の彼女の強みになっているだろう。
「今の体でどんな走りができるか」を確認できたことで、これからの身体づくりの目標も明確になった。ここから再び冬期練習に入る予定だという。
「まだ伸びしろはあるなと思えたし、これからもっと頑張れる、冬期も頑張ろうと思いました。『いけるんじゃない』という自信もちょっとつきました」
こう話した青山は胸を張った。どんな状況でもポジティブなエネルギーを持って笑顔で乗り越えてきた彼女は、パリ五輪に向けて再び走り出す。