10月16日にデビューから50周年を迎えた“大井の帝王”的場文男騎手。この50年を改めて振り返り、ルーツやターニングポイントに迫る。 的場文男(まとば・ふみお) ●大井競馬場東京都騎手会所属の騎手 「大井の帝王」の愛称で親しまれ、地方競馬全…

10月16日にデビューから50周年を迎えた“大井の帝王”的場文男騎手。この50年を改めて振り返り、ルーツやターニングポイントに迫る。

的場文男(まとば・ふみお)

●大井競馬場東京都騎手会所属の騎手 「大井の帝王」の愛称で親しまれ、地方競馬全国リーディングを2回(2002年、2003年)、大井競馬リーディングを21回(1983年、1985年-2004年)獲得し、多くの重賞タイトルを手中に収めている。

2018年に7152勝を挙げ、地方競馬最多勝利数の新記録を達成。佐々木竹見元騎手の7151勝を17年ぶりに更新した。 2023年10月16日にデビュー50周年を迎え、史上初の半世紀ジョッキーとして前人未踏の記録を打ち立て続けている。

■デビュー当初は苦悩も…

「終戦後、騎兵隊だった父が馬1頭を連れてきた。だから生まれる前からウチには馬がいたんだ」。

家具の生産地である大川市で生を受けた的場騎手。当時家具の原料となる材木を運んでいた馬と暮らし、4つ上の兄は佐賀競馬の騎手で小学生のころから競馬場に遊びに行っていた。馬が身近にいて競馬場で活躍する兄、騎手への道を歩むのは自然なことだったのだろう。

1973年10月16日、17歳でデビュー。初めて乗ったレースは5着と恰好はついたように見えるが、点数をつけるなら「0点」。続けて、「人を落として騎乗停止になっちゃったもんだから」と、少し恥ずかしそうに当時の記憶が鮮明に思い起こされた様子でほろ苦いデビュー戦を話してくれた。

同年11月6日、早めに初勝利を収めたものの、そこから4年目あたりまでは悶々とした日々が続いた。

「最初は乗れないしなかなか勝てなかった。兄は佐賀でトップジョッキーだし、佐賀なら乗鞍も増えるだろうし、もう帰ろうか…なんて迷ったりもした。でも親父に怒られたんだ。全然乗れなくたって大井で乗れ、と」。

レースの話題になると「勝負師」の表情を見せる的場文男騎手(C)SPREAD

当初は後ろから数えたほうが早いくらいの成績だった的場騎手だが、父の叱咤激励を受けて踏ん張った。とにかく一生懸命に、人気のない馬に乗ることが多かったが、掲示板に載るくらいに持ってきた。そういった騎乗をしていると周囲も認め始め、騎乗数もグンと増えたのだ。

3年目は35勝、4年目は13勝に落ち込んだが、5年目には53勝でV字回復。「そこからは早かったね」と語るように、6年目は65勝。以降も勝利数は増え続け、デビュー11年目の27歳で129勝を挙げて大井リーディングに輝いた。

■ひた走り、「馬に教えられたり、教えたり、人馬一体になった」

デビュー11年目に初の大井リーディングを獲得すると、翌々年の13年目からは20年連続で大井リーディングに君臨した。この活躍のきっかけは、ちょうど周囲が認め始めて騎乗数が増えたデビュー5年目、ヨシノライデンで制したアラブ王冠賞にあった。重賞で結果を出すと、そこから大井の名馬にたくさん乗ることになったのだ。

「速い馬に教えられたんだ。そんなに急かさなくてもいいポジションを取れるんだ、こういうポジションを取れば勝てるんだ、と馬に教えられたり、教えたり、人馬一体になってね」。

ヨシノライデンをきっかけに強い馬の騎乗が増えたことで自身の技術が磨かれたのだと、馬への感謝の気持ちが溢れていた。

騎乗スキルが上がっていく中で、デビュー24年目にしてついに帝王賞で(当時)交流GI・初勝利を挙げる。騎乗したのはコンサートボーイだ。同馬はいつも10番手以下で競馬をするようなテンに行けない馬だったが、この日は3番枠から好スタートを切って、逃げたバトルラインの直後にスッと取りついた。直線を迎えて先頭を守るバトルライン、それを追うコンサートボーイ、外から強襲を図るアブクマポーロという3者のマッチアップ。ゴール直前で真ん中から抜け出したのがコンサートボーイだった。的場騎手は会心の騎乗のひとつにこれを挙げる。

1997帝王賞のコンサートボーイ(内)(C)TCK

帝王賞と言えば、2007年のボンネビルレコードでの勝利も的場騎手の中で印象に残っているレースだ。

「ボンネビルレコードは14番で外枠だったんだけど、武豊さんの有力馬(シーキングザダイヤ)をマークして差し切った。ブルーコンコルドという人気馬も負かしたんだ」と、馬番やポジションまでも、昨日の出来事のようにすらすらと出てきた。デビュー戦にしても帝王賞にしても、鮮明にレースを覚えている的場騎手。ひとつひとつの積み重ねを大事にしてきたというその重さが窺える。

2007年帝王賞のボンネビルレコード(C)TCK

そして「苦い思い出もあるけど…ダービー2着10回はすごいでしょ」と冗談めかして口にした。数々の大レースを制するレジェンドだが、ダービー2着10回の偉業を笑って話す気さくな振る舞いから、ファンに愛される理由を、身をもって感じた。

■「なんだ、あと151勝か」目の前に現れた7151勝

50年間続けてこられた原動力のひとつには、佐々木竹見元騎手が持つ「7151勝」という記録もあった。5000勝、6000勝の時には佐々木元騎手の記録に追いつこうという気持ちは持っていなかったが、7000勝に届いたときに“なんだ、あと151勝か”と思ったと言う。「なんだ」と思えるその感覚は、すでにこの時点で騎手生活44年を迎えていたレジェンドだからこその“境地”と言えるだろう。

「そこから30勝やそこらを抜いただけで辞められない」と思いながら、騎手生活50年が過ぎ、すでに7420勝(11/1時点)まで記録を伸ばしている。

地方競馬最多勝記録の7152勝は大井で達成し、多くの関係者、ファンに祝福された(C)TCK

競馬開催がない日は奥様と買い物、競艇を見に行くなど夫婦の時間を大事にする。また4歳のお孫さんにもメロメロなようで、休日はいっしょに遊んでいると、優しい笑顔がこぼれた。勝負師としてプロフェッショナルな姿勢を見せ続けるが、開催がない日は大事な家族と過ごすことでオンオフを切り替える。長年続けてこられたのも、家族の支えがあったからこそだろう。

家族の話題となる白い歯が溢れる(C)SPREAD

■半世紀が物語る努力の結晶「馬と接触するのは10センチ」

今後の目標は「ひとつひとつどこまで乗れるか」と、今も騎手を続けるために目の前の1勝に重きを置く。そして騎乗姿勢も大事だと話しながら、おもむろに見せてくれたのが的場騎手の内くるぶしだ。いわゆるタコのようになっていて、アルミ缶を潰せるほどに硬くなっていた。

「馬と接触するのはこの脚の10センチだけ。ここを締めて乗ることで、ブレずに馬に負担をかけない姿勢を保つことができる。重心が前に行き過ぎないよう馬が走りやすい姿勢を取れるんだ」と、熱く語った。

長年の騎乗生活により、左右のくるぶしには足の親指より大きい「たこ」ができている(C)SPREAD

騎手がレースで馬と接触する箇所は脚の一部のみ。鐙も足先で踏む程度でとてつもない体幹でバランスを取り、馬の邪魔をしない走りやすい姿勢を取ることが騎手の仕事だ。4万3千回も騎乗してきた的場騎手の内くるぶしがそれを物語っていた。

また50年という月日は地方競馬の体系にも大きな変化をもたらす。

南関東の三冠レース「羽田盃」「東京ダービー」「ジャパンダートダービー」が2024年より新たなダート三冠として、JRAや他の地方所属馬に解放されることになった。それを受けて、「どうしたって中央の馬は強いけど、大井の馬もがんばってもらいたい。ミックファイアみたいな馬が出てきたらおもしろいよね。地方から中央勢を破る馬は出てくると思うよ」と今後に期待を寄せる。

続けて、「競馬は展開があっておもしろい。大井では差しも決まるし予想を楽しめるスポーツ」と、ジョッキー目線でも展開を読む楽しさがあるような口ぶりで魅力を伝えた的場騎手。今もなおレースを楽しみ、勝負にストイックな姿が垣間見えた。

生きる伝説として“大井の帝王”的場文男の挑戦は続く。

(取材・文●Asuka.F/SPREAD編集部)