土居美咲「引退インタビュー」前編"キャリア最後"の試合から、およそ1週間後──。月並みな物言いではあるが、私服に身を包み、髪を下した彼女は、普通に街に溶け込んでいた。 159cmの身体は、雑踏に紛れても小柄な部類。ツアーを転戦していた時には…

土居美咲「引退インタビュー」前編

"キャリア最後"の試合から、およそ1週間後──。月並みな物言いではあるが、私服に身を包み、髪を下した彼女は、普通に街に溶け込んでいた。

 159cmの身体は、雑踏に紛れても小柄な部類。ツアーを転戦していた時にはよく日に焼けていた肌も、最近は練習も屋内で行なうことが多かったからだろうか、取り立てて目立ちはしなかった。


32歳でラケットを置いた土居美咲

 photo by Getty Images

 最高位は世界の30位。2016年ウインブルドンではベスト16に進出し、オリンピックにも2度出場している。この10年ほど、日本女子テニスを牽引してきた土居美咲は、9月末に東京有明コロシアムで開催された東レパンパシフィックオープンを最後に、約15年のプロキャリアに幕を引いた。

 プロ転向は、17歳の日。最後の対戦相手は、世界6位のマリア・サッカリ(ギリシャ)であった。

「まだトップレベルで戦える」との想いもあり、実際にその力を示しながらも、腰の故障のために決別せざるを得なかったコート。

 32歳を迎えた彼女は、いつ、いかなる葛藤の末に引退を決意したのか? そして日本のファンの前で、ラストマッチを戦い終えた瞬間に胸に去来した想いとは?

 終わりの始まりから、新たな門出に立つ今の胸中を語ってもらった。

   ※   ※   ※   ※   ※

── 正式に引退して約1週間。なにか心境や生活の変化はありますか?

「ダラダラしていますね、確実に! やっぱりストレスがない。練習のためにどうしなくてはいけない、とかもないので。

 ただ、実は数日前に、腰を思いっきり痛めちゃいました。それまでは、最後の試合を戦うまで細心の注意を払って日常生活も送っていたんです。だから、思っていたより疲れていまして......すべてが終わって、ホッとした瞬間にやっちゃいましたね」

── その疲れは精神的なものと体力的なもの、どちらが大きかったのでしょうか?

「精神的なものだと思います。最後の試合はちゃんと戦わなくてはいけないと思っていたので、本当にこの数カ月間、緊張の糸はずっと張っていました。

 ただ、やっぱりそのなかでも、腰の状態でテニスができない、少しやると痛いという時もあって......。コートに立つことはさすがにできるとは思うけど、試合をやりきれるかは、私のなかではかなり不安だったんです。

 ちゃんと、自分を見せたかったんです。最後までプロとしてやりたかった、最後まで、ちゃんと走り抜けたかった。その目標を達成するために歩んできたので、そういう意味では、引退を決めてからのこの数カ月間、緊張の糸をずっと切らさないようにしていた。だから終わった瞬間、全部出しきったという感じでした」

 引退後は「コートに行きたい、テニスをしたい」という気持ちもまったく起きないほどに、すべてを出しきったと彼女は笑う。

 最終的に彼女に引退を決意させたケガは、腰椎分離症。それはアスリートにとって、キャリアの終焉を決意させるに十分な因子であった。

 とりわけ彼女のように、小柄な体でコートを飛び跳ねるプレースタイルの選手には......。

── 腰の痛みを覚えたのは、いつ頃だったのでしょう?

「ちょうど去年の東レ(パンパシフィックオープン)の時くらいです。シングルスの試合は腰にテープをぐるぐる巻いてやっていたし、その後のダブルスはぶっつけ本番だったんです。次の日に会場でトークショーをやったんですが、長く座っていたらその後、動けなくなっちゃって。

 本当にやばいってなったのは、それくらいからです。それまでは、痛みが出る日があってもしばらくすれば治ったのですが、去年の東レくらいからは、治らない。今年3月の頃には、近い人たちに相談を始めました」

── その頃には、引退の気持ちは決まっていたのでしょうか?

「いや、全然決まってない。全然です。その頃は、頑張る理由を探していただけだったので。それでいい状態になったら、続ける可能性もあったと思います。

 本当に引退を決めたのは、6月にヨーロッパの遠征から帰った頃ですね。その遠征に行く前には、なんとなく7〜8割方は決めていましたが。それまで2カ月間くらい試行錯誤したんです、自分としても。

 トレーニング面や、サーブの改良にも時間をかけて取り組んだ。だけど......取り組んでいたけど、あんまり改善が見られない。なかなか厳しいなっていうのはわかった状態で遠征に行ってみて、それで決めようという感じでした」

── その時、「これで終わるんだな」という寂しさはありましたか?

「どうだったかなぁ。もちろんあったとは思うんですけど、その時につらかったのは、自分のテニスの向上に時間を注げないこと。要は、練習がままならない。試合でうまくいかなかったら、そこを改善したいのに、その練習ができない。

 今まではテニスをしていて、もちろん結果も大切ですけど、どれだけうまくなっているかとか、新たな技を覚えたり、自分が成長していく過程が好きでやっていたんだと思うんです。それが出来ないのが、かなりつらくて」

── 最後の大会を東レ・パンパシフィックオープンにしたのは、やはり日本で終えたかったから?

「まだ戦える状態でやめたいとは思っていました。ただ、引退を決意した時点でランキングもけっこう下がっていたので、自分の実力では出られない可能性も高い。それでも、東レの前のジャパンオープンも含めて、もともとは自分の実力で出ようと思っていたんです。

 なので、ランキングを上げるためにギリギリまで試合に出続けようと思っていたのですが、ヨーロッパの遠征を終えた時に、それは無理だなと。遠征に行くのもきつくなっていたので、試合に出るよりも、最後の試合で最善を尽くすほうにフォーカスするしかないのかなぁと。そこにはちょっと、悔いが残っているんです。

 最終的に東レの予選は実力で出たんですが、ジャパンオープンでは本戦ワイルドカード(主催者推薦)をいただきました。ただ私は、ワイルドカードは未来ある若手にあげるべきだと思っているんです。なので、ジャパンオープンも『ワイルドカードは若手にあげてください』と言ったんです。

 ですが、日本テニス協会の方から『いや、本戦を用意するから』と言ってもらえて。引退を決めてから、自分が思っていたよりも、周りが認めてくれていたんだな、評価してくれていたんだなと感じたんです。『今までこれだけ頑張ってくれたんだから』と言ってもらえたことが、なんかうれしかったし、ありがたかったです」

 キャリア最後の大会と決めて臨んだ東レの予選で、土居に幸運が訪れた。本戦に欠場者が出たため、本来、予選の2回戦で対戦するはずだった第1シードの選手が繰り上がりに。結果、土居は予選の初戦を勝った時点で、本戦入りが決まったのだ。

 その本戦初戦で対戦したのは、48位のペトラ・マルティッチ(クロアチア)。長く戦いの舞台を共有してきた、同期の選手である。その相手に土居は、ストレートで快勝した。

── マルティッチに勝ち、腰さえもてばトップで戦える力を示しました。そのことに、悔しさなどはありませんでしたか?

「いや、それはないかもしれません。たしかに自分の感覚でも、あと2〜3年は元気だったらやれたかな、と思います。でもだからと言って、どうとは思わないかな。これも自分が頑張ってきた証だし、選手寿命を引き延ばすことを選んだら、自分のよさが出なかったかもしれない。

 たしかに飛びまくったプレースタイルのおかげで、こうなったかもしれない。でも、あれだけ飛び跳ねていたからこそ、世界の30位まで行けたとも思うし......だから、そうですね、別に悔しさとかはないかな」

── そして2回戦、キャリア最後の対戦相手はサッカリでした。会見でも言っていましたが、今振り返ってもいい終わり方でしたか?

「もう、よすぎません? どうします、これ? こんな最後は想像してなかったので。予選の1回戦で負けていた可能性も十分にあったわけですし。

 去年、東レで(奈良)くるみの引退を見て、『あんなにみんなに祝福されて、こんないい終わり方があるんだ』って私は思っていたんですよね。その時は自分がこんなに早く辞めると思ってなかったんですけど、でも、自分はこんないい終わり方できるかな、とか、うらやましいなと思ったんですよ。

 実際に今年は、トップ100の選手とやる機会もなかった。それが東レで、予選をあんな形で上がり、マルティッチとやれた時点でめちゃくちゃうれしくて。

 こんなうれしいことないわって思ったけれど、でもね、やっぱり試合に挑むからには勝ちに行く姿をみなさんに見せたいなと思ったんです。だから立ち上がりから、めっちゃ飛ばしました。

 ファーストセットで飛ばして、『セカンドセットは戦えなくなりました、すいません!』でも、それはそれでいいかなと思っていたんです。そしたら勝てて、しかも2回戦はサッカリ。すごくいい選手だったし、人間的にもすばらしい人でした」
 
── サッカリのボールは重かったですか?

「やっぱり重かったですね。重かった。でも、それが......うれしかった。 強い相手と戦えて、最後はウイナーを決められて......」

── 理想の終わり方?

「絶対にそうです! あれ以上ないです。いやぁもう、本当にバスッと決めてくれて、ありがとうって感じです。もうちょっと耐えたかったけれど、トップテン選手のボールの重みを感じながらの最後だったので、最高ですね。

 最高じゃないですか? これ以上ない、本当に、本当の最後のご褒美でした」

「悔いはない?」

 いささか不躾なその問いに、「なーい!」と明るい声で彼女は応じた。

 この先に何をするかは、まだ決まっていないという。ただ、ラストマッチ後の会見で、彼女は「テニスの魅力」を問われ、次のように答えている。

「特に今回感じたのは、こうやってお客さんと一体になれること。これだけたくさんの人と喜びを共有できるのは、すごくすばらしいスポーツだなと思います」

 そう言うと、彼女は会見室を見渡しながら、こう加えた。

「なので、これからテニスのすばらしさを、みなさんに伝えてもらえたらうれしいです」......と。

 これは我々が、彼女からもらった宿題。ただ、近い将来にきっと、彼女が投げかけたこの命題に、彼女自身も取り組んでいくに違いない。

 多くの人々をつなぎ、喜びを共有してきた彼女の「幸福なテニス人生」は、まだまだ続いていくのだから。

(後編につづく)

「20歳の冬、日本テニス界から見放され、海外に生きる道を求めた」

【profile】
土居美咲(どい・みさき)
1991年4月29日生まれ、千葉県大網白里市出身。6歳からテニスを始め、2008年12月に17歳8カ月でプロ転向を表明。2015年10月のBGLルクセンブルク・オープンでWTAツアーシングルス初優勝を果たす。2016年のウインブルドンでは初のグランドスラム4回戦進出。オリンピックには2016年リオと2021年東京の2大会に出場。2023年8月に現役引退を発表。WTAランキング最高30位。身長159cm。