第39回新潟シティマラソン(新潟市など主催)が8日開かれ、爽やかな秋晴れの下、大勢の市民らの声援を受け、約1万人が市内各所を駆け抜けた。 フルマラソンのコースは、中央区のデンカビッグスワンスタジアム前をスタートし、新潟みなとトンネルや海岸…

 第39回新潟シティマラソン(新潟市など主催)が8日開かれ、爽やかな秋晴れの下、大勢の市民らの声援を受け、約1万人が市内各所を駆け抜けた。

 フルマラソンのコースは、中央区のデンカビッグスワンスタジアム前をスタートし、新潟みなとトンネルや海岸道路、信濃川沿いを走って、市陸上競技場でゴール。台風被害やコロナ禍を経て4年ぶりの開催となった昨年の1・6倍にあたる6852人がエントリーした。

 発着点がマラソンと同じファンラン(10・6キロ)には3169人、万代橋東詰めと古町十字路の間を周回するユニバーサルランには455人が参加を申し込み、車いすに乗った人々や子供を連れた家族らが走りを楽しんだ。

 61歳記者もフルマラソンに挑戦した。

 市陸上競技場に入ると、約100メートル先の走路上に「FINISH」と書かれた半円状のアーチが見えた。両足に痛みを抱えながら、42・195キロのゴールラインを通過した瞬間、12年前の「忘れもの」をようやく取り戻せた気がした。

 この日、スタート地点に集まったのは約1万人。ふだん柏崎支局を拠点に取材する傍ら、柏崎刈羽原発が見える海岸を毎朝、黙々と1人で走っている身としては、これだけ多くの「同好の士」の中にいるだけでうれしくなってしまう。

 約8キロで万代橋。さわやかな秋風を感じながら、歩道ではなく車道から見る風景は新鮮だ。新潟みなとトンネルを往復した後は、日本海を望む海岸道路を進む。白い波の向こうに佐渡島が鮮やかに浮かんでいた。川や海を眺めながら走ると、心が穏やかになる。「水の都」新潟市の魅力が存分に詰まったコースだと思った。

 沿道の声援の多さも魅力だった。「頑張れ」「苦しさは気のせい」。笑顔とともに届けられるそんな声が力になり、背中を押してくれた。何度も手を挙げ、「ありがとうございます」と応えた。

 ただ、「30キロの壁」は厚かった。

 30キロに差しかかる頃から両ひざの裏側に痛みを感じるようになった。25キロまでは1キロ5~6分台のペースを刻んでいたのに、「足をつるのではないか」との不安からペースは急降下した。

 後続の若いランナーたちに次々と追い抜かれる。「これも人生」と割り切り、信濃川に目をやりながら「歩いているのと変わらない」と言われても仕方ないペースで走り続けた。

 新発田支局長を務めていた2011年、第29回大会に初めて参加した。24キロ地点で万全でなかった足首の状態が悪化し、棄権した。

 当時、新潟総局の20代の女性記者3人がフルマラソンに挑戦する企画「アサヒ・ラン・ガールズ」を新潟版で掲載していた。完走した2人と途中棄権の1人が抱き合う様子を報じる翌日の紙面を、複雑な思いで見つめた。

 20年に柏崎支局長として7年ぶりに新潟県に赴任。海岸沿いを中心とするコースが、出身地である新潟市中央区の下町(しもまち)を走るルートに変更されたこともあり、何としてももう一度参加し、完走を果たそうと心に誓っていた。

 今回の5時間21分8秒は、5時間の制限時間があった当時では棄権扱いになるタイムだ。それでも、ようやく彼女たちに追いついたと思っている。

 レース後、汗まみれのウェアに替えて、一度も着たことがなかった「アサヒ・ラン・ガールズ」Tシャツに袖を通した。(戸松康雄)