昨年2月に世界陸上競技連合から、日本国籍での国際大会出場資格が認められた日本語堪能なマッカーサー・ジョイ(NMFA)というニューヒロインが、日本の女子ハンマー投げ界に現れている。これまで経験したことのない大きな舞台に緊張したというマッカー…

 昨年2月に世界陸上競技連合から、日本国籍での国際大会出場資格が認められた日本語堪能なマッカーサー・ジョイ(NMFA)というニューヒロインが、日本の女子ハンマー投げ界に現れている。



これまで経験したことのない大きな舞台に緊張したというマッカーサー・ジョイ

 現在、中国・杭州で開催中のアジア大会にも日本代表として出場し、6位という悔しさの残る結果で試合を終えた。

「こんなに大きなスタジアムで観客もたくさんいて、歓声もすごく大きい場所で試合したことがないから、ちょっと緊張感が高まりました。ちょっと、集中もできていないかなと思います」と言うとおり、1投目はファール。2投目以降は雨が降り出すと59m87で記録を残したものの、滑るサークルに苦戦した。

「ちゃんと100%出さなきゃいけないけど、雨が降ってからは70%の投げになってしまい、いつもの投げ方ではないからダメでした」

 3投目もファールになったものの、ギリギリの8番手で後半の試技につなげた。

「ちょっと気合いを出して、技術も(それまでの3投より)ちょっとよかった」という4投目は、61m01まで記録を伸ばして一時は順位を3位に上げたが、残り2投はファールが続いて記録を伸ばせなかった。

「この1週間はずっといい感じだったから、今日はいい結果を出せると思っていました。それがダメだったから、自分に対して怒っているし、寂しい気持ちです。こうやって日本代表として試合に出られるのは光栄ですけど、そこでいい結果を出せないのが残念。だからこれをいい機会だと思い、ミステイクをしないように学んでいこうと思っています」

【8歳まで名古屋で過ごす】

 日本国籍での出場を認められた2カ月後の昨年4月には、自己記録を66m61まで伸ばし、今年の4月にはアメリカの陸上競技大会で19年間、室伏由佳(当時:ミズノ)が持っていた日本記録を2m12更新する69m89を投げた。

 アジア大会前までに出場した2試合でも好記録を連発。世界で戦うための第一段階の条件となる70m台目前まで迫った。

 そんな彼女の日本での初戦は、今年6月3日の日本選手権だった。そこで63m31を出して初優勝を果たしたが、ミックスゾーンでは流ちょうな日本語と明るい話しぶりで周囲の人たちの度肝を抜いた。

 アメリカ在住の彼女が、なぜ日本国籍を選んだのか経歴を紐解いていく。

 アメリカ生まれの日本人である母親とアメリカ人の父親の間に生まれたマッカーサー。父・エリックさんは、元バスケットボール選手で、日本リーグでプレーをしていた。なおかつ結婚を機に日本国籍を取得し、2006年ドーハ・アジア大会には日本代表として出場した。

 マッカーサーは1999年に生後5カ月で父のチームがある名古屋に引っ越すと、そこで8歳頃まで過ごした。その体験が、彼女のなかには色濃く焼きついていた。

「アメリカではロサンゼルスに住んでいたけど、向こうに行ってからは『いつかは日本に帰りたい』と思っていたし、『どうやったら帰れるかな』とずっと考えていました」

 小さい頃からバスケットボールとテニスを10年間やっていたが、高校に入って陸上を始めると、砲丸投げとハンマー投げに取り組んだ。そして17歳の時、試合に出始めるとすぐに6月の全米ジュニア選手権で優勝し、7月のU20世界選手権にはアメリカ代表として出場した。

 だが、アメリカで競技を続けながら「いつかは日本に」という気持ちが消えることはなかった。「アメリカで1回代表になっていたけど、日本代表になれると知ってすぐに決断した」と笑顔で話す。

「大学生の時はメンタルが弱くて集中できなかったので、今はメンタルを鍛えるトレーニングをたくさんやっている」

【試合に出るため日本に「帰りたい」】

 現在24歳になったマッカーサーは、日本国籍を持ちながら南カリフォルニア大大学院に残り、陸上部のアシスタントコーチやマネージャー的な仕事をしながら練習もできるという環境で競技を続けている。

 6月の日本選手権では「日本に住んで、日本を拠点にして競技をしたい」とも話していたが、今は現実的にこう考えている。

「やっぱりコーチがアメリカにいて、コーチがいないと自分は投げられない。そうすると日本代表にもなれない。だから、とりあえず今はアメリカで練習と仕事をして、大会の時に日本にくるとか。時間はあまりないけど、時間のある時には日本に帰りたいと思っています」

 多く来日したい理由のひとつには、「日本の食事は大好きだから全部食べたいですよ。アメリカの寿司は美味しくないから、そういう食べ物は日本じゃないといけないと思うので」と笑う。

 アジア大会後は、世界ランキングのポイントを稼ぐために韓国の大会に出場するというが、これまでほぼすべてがアメリカ国内だった彼女にとって、所属できるスポンサーとしての企業が現れてくれたら、海外遠征をするなど戦いやすくもなる。その一方で、「スポンサーはこういう大会で結果を出さないと探せない。だから、ちゃんといい結果を毎回出すようになってから、(スポンサーを)探そうかなと思っています」と謙虚な考え方も口にする。

 これからはいろいろな大会で日本代表としての経験を積み、日本の投てきのすごさを世界で見せたいというマッカーサー。身長は178㎝と高いほうだが、今回のアジア大会で優勝したワン・ジエンや2位のザオ・ジエという中国の70mスロワーと比較すると、体格も含めて明らかな差はあった。

「私はまだ体重も軽いし、ウエイトトレーニングもあまり強くなくて重い重量は上げられない。だから来年へ向けても強くなりたいし、体重も増やしたいと思っています。(アメリカに)帰ってからはちゃんと練習を頑張ろうと思っています」

 試合開始前には、派手な照明のパフォーマンスが行なわれたが、マッカーサーにとってすべてが刺激的だった。これまでにない大きなスケールの大会に感動したというマッカーサーは、「またこういう場に戻ってきたい」と話す。

「次の2026年のアジア大会は、昔住んでいた名古屋で開催なので必ず出たいし、ちゃんと頑張って結果を出さなければいけないと思います。でもその前にはパリ五輪もあるから、それに向けても頑張りたいですね。日本の試合も、来年は日本選手権だけではなくグランプリもあるし、できたらたくさん日本に帰りたいので、たくさん挑戦したいと思っています」

 現状でも世界と戦える可能性を持つマッカーサーが、ここから環境を整えて国際舞台の経験を積み重ねられるようになれば、その力は一気に伸びるはずだ。そのためには結果を出すのが現時点での優先事項だが、世界陸上で活躍した女子やり投げの北口榛花(JAL)と、ともに日本の女子投てき界を、新たなステージに導いてくれる大きな可能性を秘めている逸材であることは間違いない。