■ラグビーを語ろう 俳優・大泉洋さんを「水曜どうでしょう」で世に出した北海道テレビ放送(HTB)の藤村忠寿さん。「水どう」とラグビーには共通点があるそうです。 ――大学でラグビー部だったそうですね。 「雄大な土地でのんびりと大学生活を過ごし…

■ラグビーを語ろう

 俳優・大泉洋さんを「水曜どうでしょう」で世に出した北海道テレビ放送(HTB)の藤村忠寿さん。「水どう」とラグビーには共通点があるそうです。

 ――大学でラグビー部だったそうですね。

 「雄大な土地でのんびりと大学生活を過ごしたいと思い、北大に入学しました。名古屋で中学、高校時代にラグビーをやり続けたので、大学では映画研究会みたいな文化系サークルに入りたいな、と」

 「ところが、高校の先輩がラグビー部に何人もいて僕を待ち構えていました。『伝統を絶やしちゃいけない』とか訳のわからないことを言ってきて(笑)。まあ、知らない所に飛び込むよりも、先輩方がいる所に行くのもいいかと思って入部しました。結局、ずっとラグビーでしたね」

 ――どんな部でしたか。

 「中学時代からやっていたのは僕だけです。国立大学なので、新入部員の半分ぐらいは初心者。でも、高校までテニス部だった1年生でも試合に出れば、大男にタックルしなければならない。防具もないから痛いし、怖いです。彼らが倒されると経験者や上級生がフォローします。おのずと連帯感は生まれますよね」

 「4年の時に主将になり、北海道代表として、全国地区対抗戦に出場することができました。ただ、一番の宝物は、3年間過ごした『創成荘』での生活です。部員が代々借り切っているボロボロのアパート。部員のたまり場です。『ビールはぜいたくだ』とか言って、安物の甲類焼酎で毎晩のように酒盛りです」

 「実家から送られた食べ物をみんなで分けたりして。むさ苦しい男たちが助け合いながら、長屋の家族のように暮らす。それが僕の大学生活そのものでした。僕はラグビーという競技そのものよりも、ラグビーをやっていた仲間、人種が好きでした」

 ――就職も北海道でした。

 「大学5年目の時に、HTBにいた部の先輩から『うちでバイトしないか』と誘われました。報道部のカメラマン助手として1年間働いてみると、これは面白い。会社や現場はいい人ばかりだし、北海道でのんびり暮らす人生もいいかなと、入局しました。僕の人生、節目節目でラグビーが関わっています」

 ――ラグビーから何を学びましたか。

 「仲間を信用せざるを得ないということです。この競技は15人制。数が多いのでレギュラーで出られる可能性は高い。部員が30人いても半分はレギュラーで出られます」

 「でも、決して全員がすごいわけではない。先輩1人がけがで欠けると、すぐに1年生が出場せざるを得ない状況はよくあります。グラウンドに立ったからには、逃げるとか避けるとかはあり得ない」

 「ボールを持ったら、弱腰にならずに前に突っ込んでいく。パスを出したなら、すぐにフォローに回り、次のパスをもらう位置に行かなければいけない。時には屈強の相手に体をぶち当てないといけない。そうでなければ、チームとしてボールを前に運べない。試合になれば、経験が浅くても仲間として信じるしかない。そして、自分も仲間から信頼されるプレーをする。組織の中で仕事をする時と同じ感覚ですね」

 ――大泉洋さんらと一緒に始めたHTBのローカル番組「水曜どうでしょう」が根強い人気を誇っています。

 「ロケでは大泉さんを含めて出演者が2人、スタッフは僕を含めて2人。たった4人で日本中を旅し、海外にも飛び出しました。そんな番組、他にないでしょう。スタッフの方が多いのが普通ですから」

 「道中は大泉さんにも荷物は持ってもらうし、運転もしてもらった。出演者、スタッフ関係なく何でもやる。そして、笑いを取り、話題を作り、旅番組を展開させていく。みんなでやらないと成り立たない。ラグビーと一緒です」

 ――W杯で最も印象に残っているシーンは。

 「やはり、2015年大会の南アフリカ戦です。29―32で迎えた後半ロスタイム。ペナルティーゴール(PG)の機会はあったのにリーチ・マイケル主将が逆転を狙ってスクラムを選択しました」

 「僕はテレビの前で激怒です。PGを決めて確実に同点だろって。それがセオリーですから。でも結果的にギャンブルを成功させ、日本のラグビー界を大きく変えた。あれがなければ前回大会の決勝トーナメント進出もなかったでしょう」

 「何かを変えるにはリスクを背負ってチャレンジしなければならない。教えられましたね。今考えると、やらないといけないギャンブルだった。それに対する準備はしていたんだろうなと思います」

 「僕は今、札幌山の手高校出身のリーチ・マイケル選手と一緒に北海道ラグビー協会のアンバサダーを務めています。ラグビーとの縁は続いています」(聞き手・畑中謙一郎)

 ふじむら・ただひさ 1965年、愛知県生まれ。名古屋市立向陽高校、北海道大を経て、90年に北海道テレビ放送(HTB)に入社。96年、大学生だった大泉洋さんを起用した「水曜どうでしょう」を手がけ、後に全国的な人気番組となった。19年に監督を務めたドラマ「チャンネルはそのまま!」では、日本民間放送連盟賞のテレビ部門でグランプリを受賞。現在の肩書はHTBクリエイティブフェロー。