ラグビー・ワールドカップ(W杯)フランス大会で、日本代表が17日(日本時間18日)に迎えるイングランドとの一戦は、93年前から数えて376試合目のテストマッチ(代表チーム同士の試合)でもある。 ラグビー日本代表の歴史は、1930年のカナダ…

 ラグビー・ワールドカップ(W杯)フランス大会で、日本代表が17日(日本時間18日)に迎えるイングランドとの一戦は、93年前から数えて376試合目のテストマッチ(代表チーム同士の試合)でもある。

 ラグビー日本代表の歴史は、1930年のカナダ遠征に始まる。初めて結成された代表チームは、香山蕃(しげる)監督の指揮の下、7試合を戦って6勝1分け。「ジャパン」の存在を世界のラグビー界に知らしめた。

 この遠征で初代日本代表は、ある逸話を残している。

 第6戦、ブリティッシュコロンビア州代表との試合は、日本代表初のテストマッチ。開始早々、日本は選手1人が負傷退場し、当時のルールで14人で戦うことに。相手監督が交代選手を出すよう求めたが、香山監督は固辞。すると、相手も選手1人を休ませ、日本と同じ人数で戦おうとする。この行動に香山監督は胸を熱くし、補充の選手を出場させることを決断。試合は両チームとも15人で争われ、引き分けで幕を閉じた。

 この話は、スポーツマンシップの美談として語り継がれた。

 香山さんは、47年の秩父宮ラグビー場建設で中心的な役割を果たし、日本ラグビー協会の会長を14年間務めた後、69年に75歳で亡くなった。その足跡から「日本ラグビー育ての親」と呼ばれる。

 93年を経て、W杯の大舞台で迎えるラグビーの母国との一戦。香山さんの一人娘の藤沢由紀子さん(80)は「選手たちには、フェアプレーの精神で、スポーツの本当の価値である友情を培っていただけたら」と話す。(本山秀樹)