■ラグビーを語ろう 元放プリユースの吉岡真希さんは高校時代、ラグビー部のマネジャーでした。聖地・花園ラグビー場でアナウンスを担当した経験もあります。 ――ラグビーとの接点はどこでうまれましたか。 「花園ラグビー場がある東大阪で育ちました。三…

■ラグビーを語ろう

 元放プリユースの吉岡真希さんは高校時代、ラグビー部のマネジャーでした。聖地・花園ラグビー場でアナウンスを担当した経験もあります。

 ――ラグビーとの接点はどこでうまれましたか。

 「花園ラグビー場がある東大阪で育ちました。三つ上の兄が中学でラグビー部に入りたいと言い出したのが始まりです。合宿先だった長野の菅平まで家族で応援に行った思い出があります」

 ――ラグビーとの関わりが深まったのは、いつ頃からですか。

 「私は吹奏楽部で、全国的に有名な高校に進んで続けたいと思っていました。でも受験に失敗。もうやけクソや、と自暴自棄になりかけました。そんな時、兄の同級生に公園でばったり会いました。『ラグビー部のマネジャーしたらいいやん』。その一言に救われました」

 「何か夢中になれるものに打ち込みたくて、合格した高校では入学前の春休みからマネジャーをさせてもらいました。朝練も毎日行って、筋トレも同行して。きつい合宿では『がんばって』ととにかく励ます。高校生にはシンプルにこれが効きます(笑)。大事な試合の前には、選手が所属していたラグビースクールからひそかに応援メッセージを取り寄せ、モチベーションを高める動画も作っていました」

 ――当時から、大阪ではちょっと知られたマネジャーだったそうですね。

 「チームでの仕事の他、1年生から試合会場のアナウンスもしていました。観客に向けて先発・交代の選手を読み上げ、得点や反則などを説明します。SNSをフル活用していたこともあり、他校の選手や先生から覚えてもらえるようになりました。うちのチームは3年間で一度も花園(全国高校大会)に出場できず悔しかったけど、晴れ舞台でアナウンスをできたことは貴重な経験になりました」

 ――ラグビー部マネジャーからアイドルの道へ。元々興味があったのですか。

 「小さい時から『AKBブーム』を見て育ったので、人生で一度はアイドルをやってみたかった。STU48のオーディションに応募し、最終審査に進みました。専念するため、短大卒業後に働いていた保育園も辞め、必死でした。でも結果は落選。その頃はネットで心ないことを書かれたり、身内に不幸があったりと、精神的にかなり沈んでいました」

 ――挫折を経験しながらも、最終的にはアイドルになる夢はかなえています。

 「どん底の私を見かねて、友人たちが『試合会場に来なよ』『メンバーに選ばれたから、配信でもいいから見てな』と連絡をくれました。立ち直れたのもラグビーのおかげです」

 「2021年1月、全国大学選手権決勝。4トライで天理大を初優勝に導いたのが高校の同級生、市川敬太でした。国立競技場での試合は高校のジャージーを着てみんなで応援しました。プレーに感動し、大号泣しながら『もう1回、アイドルにチャレンジしよう』と決意していました」

 「あの試合を目にしていなかったら、アイドルにはなれていなかったかもしれません。本当にラグビーに関わる人たちのおかげで、今の自分があります。ラグビーがなかったら、今頃何してたんやろ……。それくらい大きな存在です」

 ――現在は「毎日、ラグビーのお仕事したい」とSNSで猛アピールされています。

 「『放課後プリンセス』を卒業後、ラグビーの仕事を本格的に始めました。花園近鉄ライナーズのイベントやチームと大阪府警が作る啓発ビデオに出演したり、グッズモデルを務めたりしています。できれば、どこかのチームの『応援マネジャー』になりたいとずっと言っています」

 「その立ち位置なら、ラグビーを広める活動が何でもできます。個人的には、もっと若いファンが増えてほしい。特に女性。『イケメンがいるから見に行こう』でいいし、アイドルを推す感覚でいいんやで、と伝えたい。ワールドカップをきっかけに、ミーハーでもいいから興味を持つ人が一人でも増えるとうれしいです」(聞き手・松本龍三郎)

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 よしおか・まき 1998年生まれ、大阪府東大阪市出身。高校ではラグビー部マネジャー。全国高校大会などで試合のアナウンスを担当。アイドルグループ「放課後プリンセス」の候補生として「放プリユース」で活動し、卒業後はリーグワン1部・花園(旧近鉄)のグッズモデルなどを務める。