10年ほど前、旧姓の「三星マナミ」を登録名にしたフリースタイルスキーの選手だった。「女性活躍」という言葉が叫ばれ始めた時代。上野眞奈美さん(39)は五輪を目指す「ママアスリート」として注目された。 半円筒状の雪上でジャンプや宙返りを繰り出…

 10年ほど前、旧姓の「三星マナミ」を登録名にしたフリースタイルスキーの選手だった。「女性活躍」という言葉が叫ばれ始めた時代。上野眞奈美さん(39)は五輪を目指す「ママアスリート」として注目された。

 半円筒状の雪上でジャンプや宙返りを繰り出すハーフパイプの魅力を広めたくて、五輪を目指した。2010年バンクーバー五輪で種目が採用されず、09年に一度引退。結婚、出産を経た後、次の五輪で初採用される見込みとなったため、10年秋に競技に復帰した。

 「将来、娘に『お母さんは夢にチャレンジした』とちゃんと伝えたかった」

 当時、出産後も第一線でスキー競技を続ける女性はいなかった。その挑戦に多くの取材依頼が来た。

 「スポーツは社会の課題を抽出するもの。アスリートとしての一つの役割だとも思った」。家族とともに積極的に受けた。

 遠征で4カ月、娘と離れることもあった。サポートを受けるほど、誰かの生活を犠牲にしているような感覚が芽生えた。好成績を残さないといけないという重圧も感じた。家族や競技に関わる人々には、むしろ悩みを明かせなかった。

 「不安です」と思わず漏らした相手は近所の「先輩ママ友」。その時に言われた「子どもは勝手に育つから大丈夫よ」という言葉が心の支えになった。

 国際大会で結果を出し、14年ソチ五輪に出場。夢をかなえた。

 改めて引退した後、同じような境遇の女性アスリートを支援しようと、他競技の関係者と20年に一般社団法人「MAN」を設立。競技の枠を超えて、自身の経験を伝えてきた。

 今は長野県野沢温泉村で家族と暮らしながら、親子で体を動かすイベントの企画などもしている。

 「これまでの経験を生かして、私にしかできない形での地域や社会への貢献をしていきたい」(菅沼遼)