ウインブルドン史上最多となる、8度目のタイトルを追った今大会。彼は常に、センターコートへ続く入り口に刻まれたラドヤード・キップリング(19世紀末から20世紀初頭に活躍したイギリス人作家)の詩の一節をくぐり、戦いの場へ向かっていった。2…

 ウインブルドン史上最多となる、8度目のタイトルを追った今大会。彼は常に、センターコートへ続く入り口に刻まれたラドヤード・キップリング(19世紀末から20世紀初頭に活躍したイギリス人作家)の詩の一節をくぐり、戦いの場へ向かっていった。



2003年に初めてウインブルドンを制したときのフェデラー

「もし、栄光と挫折に向かい合い、そのいずれの虚構をも、等しく受け止められるなら――」

 1年前にこのコートで敗れたミロシュ・ラオニッチ(カナダ)との再戦に挑むとき、あるいはマリン・チリッチ(クロアチア)が待つ今年の決勝の舞台へと向かうとき、彼は扉の上に刻まれたこの詩に目をとめただろうか。

 もし、彼がこの詩を読んだなら、初めて決勝戦のコートへ向かった14年前の日を、思い出しただろうか……?

 ポニーテールを揺らし、無精ヒゲに顔を覆われた当時21歳のロジャー・フェデラー(スイス)は、その2年前のセンターコートで「憧れ」のピート・サンプラス(アメリカ)を4回戦で破り、世界にその名を知らしめた。

 だが、世界ランキング9位まで駆け上がり、優勝候補の一角と目されて挑んだ翌年は、初戦でマリオ・アンチッチ(クロアチア)にまさかのストレート負けを喫する。栄光と挫折のいずれをも経験し、その現実も虚構性も味わい迎えた2003年、彼は7つの勝利を連ね、悲願の頂点へと駆け上がる。求め続けたウインブルドンの優勝トロフィーを胸に抱いたとき、彼は「泣くなんて思っていなかったけれど、我慢なんてできなかった。この大会は、僕にとって特別すぎるんだ」と、大粒の涙をこぼした。

 その日から2012年までの年月で、彼は7回、センターコートでトロフィーを掲げる。しかし、2013年以降は2度決勝に進むものの、いずれもノバク・ジョコビッチ(セルビア)に敗れてきた。

 そして昨年……2月にひざの手術を受け、そのケガが完治せぬまま迎えたウインブルドンで、彼は準決勝でラオニッチにフルセットの末、敗れる。しかも、その一戦を最後に昨シーズン、彼は公式戦のコートに戻ることはなかった。

「最初は、あんなに休むことになるとは思っていなかったんだ」

 長期欠場を決意したそのプロセスを、”聖地”に帰還したフェデラーは述懐した。

「1ヵ月か、せいぜい2ヵ月の休養で済むと思っていた。だが、複数の医師に話を聞いたところ、ひざを完治させて万全の体調に戻るには、もっと長い時間が必要だと言われたんだ」

 当時の彼には、他に選択肢はなかった。身体を休め、まずはメスを入れたひざの回復に専念し、同時にフィジカルトレーニングや、バックハンドの練習に多くの時間を費やした。ひざや腹筋、臀部や左大腿四頭筋などの部位を強化し、瞬発力や跳躍力、そして持久力を上げるトレーニングにも力を入れる。そして、それら強化したパーツを統合し、徐々にテニスの動きへと構築していった。

 そのような激しく緻密なトレーニングの日々を、休養中の彼は人に見せることはなかった。SNSなどには子どもたちとキャンプを楽しむ姿や、瀟洒(しょうしゃ)なスーツに身を包んだパーティ時の写真などをアップする。そんな表層だけを見た人たちは、「彼はもう、テニスに戻る気はないのでは……」と囁きもしただろう。だが昨年末、そんな雑音を一喝するように彼は言った。

「僕は自分の”戦士”の一面を、人に見せることを好まないんだ」

 自分を信じ、息を潜め、彼は復活の日に備えて牙を磨いた。

 復帰を果たした今シーズンの前半戦で、彼は「現実味のない、夢のよう」な快進撃を見せる。ウインブルドンを迎えた時点で、全豪オープンを含む4大会に優勝し、戦績は24勝2敗。計画的な休養と練習の成果だろう、35歳を迎えてなおフットワークは誰よりも流麗で、「唯一の弱点」と呼ばれたバックハンドは硬軟自在の武器と化していた。ウインブルドンではファーストサーブの確率も大会を通じて67%と高く、ポイント獲得率は82%を記録。かつては「芝での定石」と呼ばれたサーブ&ボレーも多く用い、総獲得ポイントの16%以上をネットプレーが占めた。

 フェデラーの長年の友人にしてライバルでもあるトミー・ハース(ドイツ)は、盟友の進化の最大の理由は「バックハンドにある」と言う。「以前は、ロジャーのセカンドサーブをバックへと打ち込むことが、彼の攻略法だった。だが、今の彼は下がらず、バックでもいろんな球種で攻めてくる」。

 果たしてウインブルドンの決勝戦でも、第1セット終盤で決めたバックのパッシングショットが、あるいは第3セットの勝負どころで叩き込んだリターンが、8度目の栄冠を引き寄せるカギとなる。大会を通じてひとつもセットを落とすことなく、必然とも思える優勝を通算72本目のエースで決めたとき、彼は飛び跳ねるでも泣き崩れるでもなく、ただ力強く、両腕を天に突き上げた。

 7度目の優勝から5年が経ち、昨年はウインブルドンを最後に長い休養を取った窮地から、ふたたび蘇った理由は何か?

 そう問われたフェデラーは、「それは……」と言うと、しばし黙し、そして言葉に力を込めた。

「信念だ。僕は、自分を信じ続けた。去年敗れた後に、戻ってくるまでの道は苦しかった。ノバク(・ジョコビッチ)に2年連続で負けたときもそうだった。それでも僕は、自分を信じ続けた」

 その信念の背景には、自身を疑ったときには背を叩き、舞い上がりそうになったときにはたしなめてくれたチームスタッフや家族の存在があったことも、のちに彼は言及している。

 センターコートへの扉に刻まれるキップリングの詩『IF――』は、次のような一節で始まる。

「もし、不当な非難にさらされても信念を曲げず、己を信じ、なおかつ、疑う者たちを許せるのなら……」

 そして、こう続いていく。

「もし、挫折を願う者たちに真実の言葉を捻じ曲げられ、人生をかけて築いた物が壊されてもなお、使い古した道具を手に、ふたたび立ち上がれるなら……」

 そのとき君は、この地上にあるすべてを、その手に掴みとるだろう――。

 16年前に初めて、センターコートへ続く扉をくぐった19歳は、青年になり、父になり、そしてグランドスラム19度の優勝を誇る、史上最高の選手となった。