7月6日の広島戦でプロ初先発を果たした巨人・畠世周(はたけ・せいしゅう)だったが、4回を投げ5安打、4四死球、5失点と”プロの洗礼”を浴びた。それでも、球数の多さ、変化球のレベルアップなど課題は多く見えた一方で…

 7月6日の広島戦でプロ初先発を果たした巨人・畠世周(はたけ・せいしゅう)だったが、4回を投げ5安打、4四死球、5失点と”プロの洗礼”を浴びた。それでも、球数の多さ、変化球のレベルアップなど課題は多く見えた一方で、コンスタントに145キロを超えるストレートを中心に広島打線から5個の三振を奪うなど、十分に可能性を感じさせるものだった。

 素材は一級品であることは間違いない。186センチの長身から、最速はプロ入り後に更新した155キロ。ただ、”186センチ”“155キロ”の印象を膨らませすぎると、畠の本質を見誤ることになりかねない。



7月6日の広島戦でプロ初先発を果たした巨人のルーキー・畠世周

 近畿大学時代に取材をした際、少年時代の話となり、子どもの頃に憧れていた投手は誰かと聞くと、和田毅(ソフトバンク)の名前を挙げた。和田は左投げで、ピッチングスタイルも畠とは重ならない。その理由はこうだった。

「140キロに届かないストレートで、プロのバッターたちをあんなに抑えられてすごいなと……。それが不思議に思えて、興味が沸いたんです」

 子どもの頃から体格に恵まれ、周りの子よりは速い球を投げていた。それでも、力任せのピッチングに頼ることなく、いつも頭のなかに「なぜ?」「どうして?」を持っていたという。

 大学時代にピッチングで大事にしていることを尋ねると、真っ先に「タイミング」と「緩急」を挙げた。そして和田のほかに好きな投手として語っていたのが桑田真澄(元巨人など)だったのだが、まさにこの視点からだった。ちなみに、桑田の現役時代は知らないという畠だが、動画サイトなどでその投球を見て、憧れたという。

「大きなカーブとストレートとの緩急とか……少し(芯を)ずらして打ち取る投球を見て、自分もこういうピッチングをしたいと思って見ていました」

 またドラフト後の取材では、こんな話をしていた。

「一流の選手に対して、その人のかたちでスイングされたら打たれます。大事なのは、チャレンジさせないこと。その人のかたちで振らせないことだと思います」

 ちなみに、小学校から中学校に進学するとき、初めて覚えた変化球はチェンジアップだった。父のアドバイスにより習得したものだが、当時から緩急は常に意識していた。

 畠は広島で生まれ育ち、高校は近大福山。好素材の選手ではあったが、エースナンバーを背負ったのは最後の夏のみ。「『さぁ、行くぞ!』というときに、いつもケガをして……」と振り返った3年間だった。

入学時のスピードは133キロ。その後、チームが所有するスピードガンが壊れ、大会でも勝ち上がれなかったため、最終的な球速は不明。3年春に新庄(広島)高と行なった練習試合で相手チームの選手から「142キロ出てたぞ」と教えられたのが、唯一の数字だった。ちなみに、この試合で投げ合ったのが現チームメイトの田口麗斗(当時2年)。畠はそのときの田口の投球が強く印象に残っているという。

「スピードもありましたけど、いちばんはコントロール。僕は左打ちなんですけど、『外の球がこんなに遠くに感じるのにストライクなのか』って。あのコントロールは本当にすごい。自分とはまったくレベルが違いました」

 新庄とは、夏の県大会4回戦でも対戦。畠は7回から登板したが、2イニングで7点を失いコールド負け。これが高校最後の試合となった。

 その畠が一躍注目を集めたのは、大学に入ってからだった。大学での成長について、畠は次のように語っていた。

「練習のレベルが高く、トレーニングも充実していて、環境も抜群。広島の田舎から出てきた僕にとっては、すべてが”目からウロコ”でした。すべてを吸収するつもりでやってきたら、ここまで伸びることができました」

 近畿大では、3年秋にリーグ戦で3試合連続完封。ここで一気に評価を高めた。4年春は好投するも、打線の援護に恵まれず勝てなかった。4年秋は右ヒジの”関節ネズミ”に悩まされ2試合に登板したのみ。最終学年で評価を上げられず、スカウトの評価も分かれた。

 そうしたなかで、これまでにも桜井俊貴、小山雄輝、村田透ら、関西の大学生投手を積極的に指名してきた巨人が2位で指名。入団が決まると、右ヒジの手術を行なった。

 手術自体は簡単なもので、4月には実戦復帰。そして7月6日、チーム事情もあり、一軍昇格、プロ初登板・初先発となった。

 畠の魅力は、投げるボールだけではない。大学時代に取材を重ねるなかで、そのユニークなキャラクターにも触れていた。大学の関係者のなかには、「ちょっと糸井(嘉男/現・阪神)を思い出すところがある」という声もあるが、畠の印象は人懐っこくて、おしゃべり好き。さらに好奇心旺盛で、発想が自由ということだ。こちらが話す内容に興味を持てば、「ちょっとメモしてもいいですか」と、スマートフォンのメモ欄に打ち込んだこともあった。

 そして畠のここまでの成長のなかで、欠かすことのできない人物が父だ。以前、畠にバランスのいいピッチングフォームについて話題を向けたときのこと。「子どもの頃、父に『体を強くするなら農業がいちばん』と言われて、それで手伝っていました」と思い出を語ってくれた。

「父は野球をやっていなかったのですが、身長は180センチ以上で、たしか背筋は200キロを超えていて、握力も70キロ以上とか。自分の体を使って自然に鍛えられる畑仕事や農作業がいいと、よく言っていました」

 畑も子どもの頃から腰に巻きつけたロープに丸太をつけて畑を耕したり、ぬかるんだ田んぼのなかを歩いたり……。農作業のなかで知らず知らずのうちに、体が鍛えられていった。

「泥んこの田んぼを歩くときって、普通に足を上げてもうまく抜けないんです。少し外から回すように足を上げていかないとダメなんです。今になって思えば、股関節のトレーニングになっていたのかなと思ったりしますよね。それが今のピッチングにもつながっているのかもしれないですね」

 さらに農業の話をしていると、畠は「豊臣秀吉が刀狩をしたのも、農民は力があるから怖かったんでしょう」と言って、思わぬところに話が広がった。ドラフト候補選手の取材で”豊臣秀吉”“刀狩”というワードが登場したのは、もちろん初めてだった。

 このほかにも、子どもの頃からクラシックを聴いていたという話や、アニメ『名探偵コナン』好きであること、趣味が釣りということなど、野球以外のことでこれほどたくさん話した選手は畠だけ。ちなみに、”世周”という名前は、「世の中が自分にとってプラスに回るように」という意味を込めて名付けられたという。

 プロ入り直前、1年目の抱負について尋ねると、畠はこう返してきた。

「野球は相手と戦うスポーツですけど、そのためにもまず自分を知らないといけない。自分を知ることで、今やるべきことも見えてくる。1年目はそこからです」

 己を知る――この言葉も父から伝えられ、今も畠が大事にしている言葉だ。己を知る一歩となったプロ初のマウンドで何を感じ、何が見えたのか。

 そして巡ってきた2度目のチャンス。7月19日の中日戦で、畠はどんなピッチングを見せてくれるのか。畠らしいピッチングはもちろん、プロ初勝利のお立ち台で何を語るのかも楽しみにしたい。