世界陸上女子やり投げで、北口榛花(JAL)はトラック・フィールド競技では日本女子初となる優勝を成し遂げた。トレードマークの笑顔を弾けさせて喜びを爆発させる姿には誰もが幸せな気持ちになった。金メダルを首にかけて客席を笑顔で見つめる北口榛花 …

 世界陸上女子やり投げで、北口榛花(JAL)はトラック・フィールド競技では日本女子初となる優勝を成し遂げた。トレードマークの笑顔を弾けさせて喜びを爆発させる姿には誰もが幸せな気持ちになった。



金メダルを首にかけて客席を笑顔で見つめる北口榛花

 しかし、意外にも予選の時にはこんな話をしていた。

「試合前までは緊張はしていないと思っていたけど、会場に入ったらすごく緊張して。『体のいらないところに力が入っているな』と思いながら試合をしました」

 その理由としては日本だけではなく、世界中が優勝候補の一番手と認識するなかで臨む重圧があった。彼女は、この大会に今季1位の記録を出しているワールドリーダーとしてだけではなく、世界ランキング1位として出場。それに伴い注目度も高くなっていたのだ。

「ブダペストに来てからテレビカメラにずっと追われ続けたので......。そういうのは初めてで、それも楽しもうと精一杯努力したのですが、やっぱりどこか緊張してしまったと思います」

 事実、予選1投目では助走の歩数を間違えるという考えられないミスをしていた。

 それでも予選はしっかりと通過。決勝では1投目でふくらはぎが攣るハプニングが起きたことに加え、伏兵のルイス・フラタド(コロンビア)が、65m47を投げてトップに立ったことで、焦りとも取れる気持ちが先行してしまい、投げの修正に手間取った。

 そして迎えた6投目。1位とは2m47差で。直前にはマッケンジー・リトル(オーストラリア)にも記録を上回られてしまったが、不安や焦りはどこかへ吹き飛んでいき、最後にすべてをかけて投げた。

「最後は、『自分は、最終投てきに強いんだぞ』という自信もあったし、マッケンジー選手とはいつもやり合っているので『今日も絶対に負けたくない』と思いました」

 結果、1位を1m26も上回る66m73を投げて逆転の初優勝を決めた。

 北口はこれまでも6投目で勝負を決めてきた実績がある。昨年の世界陸上では5投目を終えて4位だったが、「6投目が強いというイメージはなかったですが、高校時代は6投目が強かったので、その気持ちを思い出して、『私は6投目が強い子だ!』と思って投げました」と、63m27で銅メダルを獲得。そして、今年の7月のダイヤモンドリーク・シレジア大会でも6投目で67m04の日本記録を出していた。

 体に疲れが出てきて、精神的にも追い込まれた最後の6投目で、自分の持っている力を最大限発揮できるというのは、まさに彼女の持って生まれた才能である。

 また、強い気持ちと自信は北口が自分の歩む道を自ら切り拓いてきたからこそ、自然に身についてきたものだ。

【自らの意思で渡ったチェコでの武者修行】

 旭川東高時代は砲丸投げと円盤投げもやっていた北口だが、それほど本格的な技術指導は受けていなかったという。それでも、やり投げでは2年、3年とインターハイを連覇する実力を身につけていた。「やり投げなら世界一になれる」と思った北口は、専門種目にすることを決めた。

 日本大学入学後は右肘のケガや指導者不在で足踏みをしたものの、そこから北口が選んだ道は、海外のコーチの指導を受けることだった。2018年にフィンランドで開かれたやり投げの国際講習会で、チェコ人のデービット・ケセラックコーチの指導に興味を持ち、メールを送って指導を頼み込んだ。

 そのケセラックコーチとの関係性も東京五輪を終えた3年目あたりからは、指導を受けるだけではなく、本気で何でも言い合える形に変化してきたという。それは北口が心から「強くなりたい」と思う熱量が高くなってきたからだった。そこからは急激に力をつけて記録も伸ばし、世界最高峰のダイヤモンドリーグでも通算4勝と実績を積み上げた。

 そして、さらなる進化を目指して助走スピードを上げようとした今季。シーズン初戦の織田記念陸上で、世界陸上代表内定となる参加標準記録突破の64m50を投げながらも、6月の日本選手権は59m92で2位になるチグハグしたところもあった。だが、そのあとチェコに戻ってからは、ケセラックコーチの下でここまで順調に仕上げてきた。

 優勝後、ここまでの道のりを北口はこう振り返った。

「つらいことはいっぱいあったけど、本当に世界で1番になれると信じてこの種目を選んでよかったと思います。チェコにも自分が好きで行っているけど、日本とは時差もあるし、ご飯も違うし、友達も家族もいないのですごく寂しくなる時もあったんです......。でも今こうやって、チェコでお世話になっている人たちが(ブダペストに)応援にきてくれて。そのなかで金メダルを獲れてすごくうれしいので、2年後の世界陸上東京大会では日本でお世話になっている人たちの前で結果を出せたらいいなと思います」

 本物の強さを世界陸上優勝という形で体現した今、見えてきたのはパリ五輪の金メダルや世界陸上の連覇だ。そして70m台の記録や、72m28の世界記録更新へと夢は広がる。

「誰もやっていないことを自分で選んでやりましたし、誰もできなかった結果にたどり着けてうれしいなと思います」

 自らの意志と積極的な行動で、練習拠点をチェコに移すなど、日本人やり投げ選手としては誰もやったことがないことを実行し、常に新しい道を切り拓いてきた北口。世界陸上という大舞台で得た、大きな自信を手に次のステージへ突き進む。