ベスト8進出を決めたときは、「まだ追いつけていないので、そんなにうれしいという気持ちはないです」と、彼女は意志の強そうな相好を崩すことなく、真っ先に断言した。その2日後の準々決勝で勝つことで、「やっと並んだという感じです」と、ようやく…

 ベスト8進出を決めたときは、「まだ追いつけていないので、そんなにうれしいという気持ちはないです」と、彼女は意志の強そうな相好を崩すことなく、真っ先に断言した。その2日後の準々決勝で勝つことで、「やっと並んだという感じです」と、ようやく少し頬を緩める。



全英女子ダブルスでベスト4進出を果たした二宮真琴

 ウインブルドン女子ダブルスで、ベスト4進出の快進撃を見せた二宮真琴――。その彼女が背を追い、自身を比べた対象とは、今年1月の全豪オープンでベスト4に勝ち進んだ穂積絵莉と加藤未唯のふたりだった。

 花の94年組――。

 日本女子テニス界にはいつからか、そんな言葉が存在する。偶然、才能の原石がその世代に多く揃ったのか、あるいは競い合う環境が互いを鋭く磨き上げたのか……。いずれにしても1994年に生まれた少女たちは、本人が望むと望まざるとにかかわらず、「94年組」という呼び名のもとに、10代半ばのころから常に他人と比較される環境に身を置いてきた。

 彼女ら黄金世代が最初にその存在を強くアピールしたのが、2011年の全豪オープンジュニア(18歳以下の部)だろう。64の本戦枠に12人の日本人が出場し、その12名のうち7人を占めたのが、当時16歳の94年生まれの選手たち。しかもその年、穂積と加藤はダブルスで準優勝。翌年の全豪オープンジュニアでは、尾崎里紗がシングルスのベスト8に勝ち進むなどの活躍を見せた。

 その後も、手垢のついた表現ではあるが”切磋琢磨”してきた選手群から、最初に抜け出したのが日比野菜緒だ。ジュニア時代は同期の後塵を拝し、ゆえに強烈なライバル意識を燃やす日比野が一昨年にシングルスでWTAツアー優勝し、トップ100の壁を打ち破る。

 その日比野に続き、尾崎が昨年末にトップ100に到達すると、今年の全豪では穂積がシングルスでも予選を突破してグランドスラム本戦の舞台へ。すると今度は、加藤が5月の全仏オープンで予選を勝ち上がり、シングルスで本戦出場を果たす。まるで、火のついた1本の花火から周囲に点火し、次々と打ち上がっていくように、”94年組”は今季、一斉に開花の兆しを見せはじめていた。

 そのように躍動する同期たちの背に羨望の眼差しを向け、密かに闘志をたぎらせていたのが、二宮である。

 2011年に大阪スーパージュニアで準優勝し、ダブルスでは10代のころからITF(ツアーの下部大会)で優勝の実績をあげた彼女は、”94年組”のなかでも出世頭に属する存在だった。しかし、シングルスで徐々に後れを取ると、ダブルスでも穂積や加藤が一足先に世界の大舞台へと飛び出していく。

 つい数年前まで肩を並べて競い合い、ダブルスではともに戦った同期たちの活躍を見ながら、二宮は「彼女たちにできるなら、私にも……」との思いを募らせた。個性派揃いの世代のなかでは、比較的物静かで口数も少なめだが、負けず嫌い魂では他の面々に引けを取らない。

「実績では置いていかれていると感じている。まだシングルスでグランドスラムに出られていないし、ダブルスでも加藤/穂積が上に行った。私も早く追いつき、追い抜きたいと思います」

 今大会ベスト8に進んだ時点で、彼女は毅然と口にした。

 157cmと小柄な二宮の持ち味は、前衛で見せる俊敏な動きから飛び込むボレーや、相手の陣形を見極めてオープンコートに打ち込む思い切りのよいストローク。しかしここ数年は、自身のサービスゲームに不安を抱き、さらには欧米選手の強打に対して気持ちで引いてしまう面があったという。

 それが今大会では、芝という展開の速いコートの特性も一助になったか、プレーから迷いが消えた。コーチでもある綿貫裕介と組んだ混合ダブルスで2試合を戦い、コートカバーの広いパートナーを背に伸び伸びと攻めた経験が、女子ダブルスに生きた側面もあっただろう。サービスゲームでは長身のパートナー(レナタ・ボラコバ/チェコ)の存在をうまく活かし、一発で決められなくとも相手に攻めさせない術(すべ)を、戦いながら体得した。

 戦術面でも、3回戦まではパートナーの助言に従うことも多かったが、準々決勝では「自分の直感」を信じて積極的に動く。特に試合終盤で「今日一番の勝負」に出て決めたボレーが、ベスト4への扉を開くカギとなった。

 勝ち上がるたびに立ち居振る舞いが自信に満ち、目の光が増すという急成長中の選手特有の風を、この10日間の彼女はまとっていた。2時間58分に及ぶ死闘となった準決勝のモニカ・ニクレスク(ルーマニア)/チャン・ハオチン(台湾)戦では、コート上の4人のうちもっとも足が動き、コート上を走り回り、一番思い切り腕を振っていたのが二宮だった。

 もつれ込んだ第3セット終盤で「勝利まで2ポイント」に迫ったときには、準々決勝と同様に「一番の勝負」に出て、リターンゲームで自ら仕掛ける。しかし、このときはボレーを決めるべく動いたその逆を、試合巧者のニクレスクに突かれた。自分の横を抜けていくボールの行方を目で追いながら、思わず天を仰ぐ二宮……。

 勝負に出たこと自体に、悔いはない。だが、「もっと早い段階で違うことをトライすべきだった」と、試合後に省みる。それはこの舞台で、1万人に迫る観客が見守るなか、ここまでしびれる試合をしたからこそ得られた、かけがえのない財産だ。

 同時に今回の二宮の躍進は、すでにウインブルドンを去り帰国していた”94年組”にも、大きなインパクトを与えたはずだ。日比野はニュース番組で報じられる二宮の活躍を見て、「まこちゃん、すごい!」と喜び、「わたしも早く追いつきたい」と奮起した。

 それは他の面々も共有した、胸の高鳴りや心のざわつきだろう。泡立つ感情は時に焦燥などの痛みも伴うが、その刺激が互いを高め合ってきたのも事実。以前に穂積が、達観したような口調で言ったことがある。「しょうがないです、この年に生まれてきちゃったんだから」。

 新たに火がついた花火は、また新たな花火を打ち上げるだろう。花の94年組の百花繚乱のときは、まだまだこの先に控えている。