ガールズケイリンをけん引する存在、児玉碧衣矜持と情熱~ミラクルボディを持つガールズたちの深層~児玉碧衣 インタビュー【実力、人気を備えたトップレーサー】 2018年から3年連続で最高峰の舞台、ガールズグランプリを制覇。他にも特別レースで数多…



ガールズケイリンをけん引する存在、児玉碧衣

矜持と情熱
~ミラクルボディを持つガールズたちの深層~
児玉碧衣 インタビュー

【実力、人気を備えたトップレーサー】

 2018年から3年連続で最高峰の舞台、ガールズグランプリを制覇。他にも特別レースで数多くの優勝を果たしている児玉碧衣は 、現在のガールズケイリンを代表する存在だ。その児玉が今年7月、通算500勝を達成した。通算、4人目の快挙だが、デビュー以来、8年2ヶ月15日での達成はガールズケイリン史上最速である。

「500勝はあまり意識していなくて、自分のなかでは目標にも通過点にもしていませんでした。ただガールズケイリンの歴史は自分の名前で刻んでいきたいと思っているので、史上最速でそこに辿り着けたことは嬉しく思っています」

 8月16日(水)、17日(木)に、オールスター競輪と 同時開催で行なわれる「ガールズケイリンコレクション2023 西武園ステージ」へ出場するためには、ファン投票で上位者になる必要があるが、児玉は今年も1位を獲得。これは7年連続の快挙だ。日頃から「競輪では賞金をしっかり稼ぎたいと思って走っています。お金が大好きなので」など、自由かつ奔放な発言が多く、実力に加え、その明るいキャラクターでも人気を集めている。

「人気の秘密ですか?うーん、なんでしょうね......(笑)。自分でもわかりませんが、私は好かれるか、嫌われるかはっきりしていると思うので、きっと嫌いな人もたくさんいるはずですよ」

 そう言って屈託なく笑う。

【頂点をつかんでから感じた難しさ】

 ガールズケイリンを志したのは「母から勧められたから」。高校卒業後に日本競輪学校(現日本競輪選手養成所)に入ったが、当時は自転車への思いも、大きな夢もなかったと笑って振り返る。

「小さい時から体を動かすことが大好きで、小学校から高校まで本格的にバレーボールに取り組んでいましたし、バレーボールの練習がない時は男の子といろんなスポーツをして遊んでいました。ただ何かになりたいという夢はなかったんですよね。基本的に考えるのが苦手なので、もう勉強もしたくなかったし、直感で(競輪選手になることを)決めました」

「ポテンシャルはものすごくあったと思います」と本人が真顔で話す通り、2015年にプロとしてデビューすると、その初戦で勝利し、翌月には初優勝。以後も勝利を重ね、一気にガールズケイリンで存在感を高めていった。2016年にガールズグランプリに初出場。2018年から特別レースで勝てるようになり、グランプリも制覇。そこから3年連続で勝ち続けたことは先に記した通りで、まさに順風満帆だった。

 しかし勝利を重ねる一方で、勝ち続ける難しさも感じるようにもなる。ガールズケイリン最高の栄誉であるグランプリを3連覇したことで、次の目標を見失いかけた時期もあった。他の選手が3位以内を示す確定板に載るだけで褒められるのに対し、児玉は2位でも「どうしたの?」と聞かれてしまう。それが苦痛で、「自分も確定板に載るだけで満足する選手でいい」と弱気になったこともあると振り返る。

 そんな折、2021年7月のガールズケイリンフェスティバルで初日7着、2日目4着となり、決勝に進めず、最終日も2位と、デビュー以来、初めて3日間のシリーズで1度も1着を取れずに終わった。この時、猛烈な悔しさと恥ずかしさを感じたという。

「やっぱり自分はトップで走りたいと思ったんです。そのためにはプレッシャーで精神的にキツいと感じることがあっても、それに打ち勝たないといけない。その直後のガールズドリームレースで勝つことができ、やっぱりこの感じだなと気持ちを吹っ切ることができました」

 そして「自分は競輪を辞めたら、他にできることはないですから」と笑って付け加えた。



数々の偉業を達成している児玉(4番車、青)

【自分を突き詰め、追い込める】

 ビッグレースでの強さは折り紙つき。加えて500勝を達成したのが597レース目で、その時点での通算勝率は83.8%とハイレベルな安定感を誇る。その強さを自分自身でどう見ているのか。その問いには時間をかけて真剣な表情で考えた後、「あまりキツい練習は好きではないのですが」と前置きした上で、こんな答えが返ってきた。

「私がデビューした時、ホームバンクの久留米競輪の先輩で、すでにトップレーサーだった小林優香さんがナショナルチームに選出されていて、同じ場所で練習できなかったんです。追いかける背中がないなか、レースの内容や走り方など、自分で考えないといけませんでした。自分で本当に必要なことは何かを突き詰めて考えて取り組んだからこそ、芯から理解でき、レースに生かせているのかなと思います。

 また、体のことで言えば、男子と女子の違いは一本を全力で追い込もうとした時、女子はどうしても本能的に体を守ってしまい、全力を出しきれないことが多いのですが、私は集中して自分の全ての力を出し切れる。本当に倒れるまでもがくことができるんです。リミッターを外せるからこそ、レースでも力を発揮しきれているのだと思います。これはバレーボールで鍛えられたところですね」

 考えることが嫌いと言っていたが、実際には自分の体と向き合い、考え尽くしてトレーニングをしたからこそ今の強さがあるということだろう。

「それと筋肉で言えば、私は腹横筋がとても強いようです。ある研究でメディカルチェックを受けた時に指摘されましたが、ただ太ももの筋肉だけを使うのではなく、腹横筋を使い、骨から脚を動かしたほうがエネルギーを使わないと聞きました。実際、私はエコーで腹横筋を測定した時、力を入れると通常の3倍くらいまで膨らみました。普通は2倍までいけばいいらしいので、この点も大きな武器になっているのだと思います」

 脚だけでなく、腹部まで使ってペダリングする。これは意識して身についたものではない。子どもの頃の遊びや、バレーボールでの取り組みが結果的に最高の形で競輪につながっていると児玉は考えている。

「競輪選手になってから、男子選手から勧められたトレーニングがありましたが、それは私が小学校の時からやっていたものだったんです。それくらい早い時期から厳しい練習をしていました。バレーボールのトレーニングが今に生きていることは間違いないですね」



ガールズケイリン史上最速で500勝を達成し、選手たちに祝福される児玉(中央)

【アクシデントも糧にし、さらなる成長を】

 2022年12月のガールズグランプリではレース終盤に他の選手と接触し、落車するアクシデントがあった。ここで左鎖骨粉砕骨折という大ケガを負ってしまう。患部にワイヤーを入れ、1月末には復帰したものの、その影響は大きく、完治するまで本来のパフォーマンスを発揮できずに苦しんだ。だがそのことも今は前向きに捉えている。

「それまでは、ただ脚を回せば前に進む感じだったのですが、左の肩甲骨が動かせないこともあって、普通に乗れなかった。そこから使いたい筋肉や、体の動かし方などを考えて自転車に乗るようになりました。そしてワイヤーを抜いて完治した今、以前より楽にスピードが出せている気がするんです。このケガは痛かったし、体の状態が元に戻るまで本当に苦しみましたが、自分が成長するために必要な時間だったと思います」

 完全復活後に行なわれた6月のパールカップ(GⅠ)。今年度からガールズケイリンでも年に3回GⅠが設けられ、その記念すべき最初の開催だった。ここで堂々たる走りを見せ、初代GⅠ女王に輝いた。これからもトップを走り続け、歴史にその名を刻んでいく。それが今の児玉の目標だ。

「ガールズケイリンをもっと広めたいし、職業として憧れられるものにしたい。コンビニに行った時などに、『いい車に乗っているね、何をしているの』って聞かれることがあるんです。その時は胸を張って『競輪選手です』って言うようにしているんですよ」

 児玉は、ガールズケイリンを象徴する選手として、引き続き、勝ち続けるつもりだ。

【Profile】
児玉碧衣(こだま・あおい)
1995年5月8日生まれ、福岡県出身。小学時代にバレーボールをやり始め、高校まで競技に励む。高校卒業後に日本競輪学校(現日本競輪選手養成所)に入り、成績2位で卒業。2015年7月のデビュー戦で勝利し、翌8月に初優勝を飾る。持ち前のポテンシャルの高さで勝利を重ね、2018年からガールズグランプリ3連覇を達成。今年6月、初のGⅠ開催となったパールカップで初代女王に輝く。今年7月にはガールズケイリン史上最速で500勝を挙げた。