BMXフリースタイルパーク種目選手・松浦 葵央(まつうら あおう) 神奈川県横浜市出身、2010年7月10日生まれの13歳。彼が本格的にBMXを始めたのは7歳の時。その後、世界最年少9歳で大技「フレア」、11歳で「Cork720」と難度の高…

BMXフリースタイルパーク種目選手・松浦 葵央(まつうら あおう) 神奈川県横浜市出身、2010年7月10日生まれの13歳。彼が本格的にBMXを始めたのは7歳の時。

その後、世界最年少9歳で大技「フレア」、11歳で「Cork720」と難度の高いトリック(技)を次々と成功させ、世界的に注目されている天才BMXライダー。

2018年JAPAN CUP7-9歳クラスで優勝を果たすと、出場する他の大会でも優勝を収めるなど輝かしい成績を残している。ダイナミックな回転技と迫力あるライディングスタイルで周りを魅了する松浦選手に話を聞いた。

両親の想いが詰まった名前「葵央」は「また、会おうね!」

「葵央」と書いて、「あおう」と読む。この名前には両親の深い想いが込められている。その想いについて松浦選手のお父さんはこう話す。

「『葵央』という名前は、友達がたくさんできるように、という想いで『また、会おう!(あおう!)』が由来です。世界にたくさん友達を作ってもらいたい、という願いを込めて名付けました。『央』の字は、『友達の真ん中』にという意味があります。それと『葵央』は左右対称。『中心にいられる存在であってほしい』という想いも込められています」

誕生日に買ってもらったBMXが葵央の人生の転機に

7歳の誕生日プレゼントでもらったBMXに毎日乗って遊んだ

松浦選手は、両親と一つ年下の妹の4人家族。

幼いころは「アンパンマン」などのアニメを観ていた記憶があり、好きなキャラクターは「長ネギマン」だった。両親が言うには、「葵央は、活発でやんちゃな男の子」。部屋にこもって一人でゲームや読書はほとんどせず、もっぱら公園で友達と鬼ごっこをして走り回るような外遊びが大好きだった。

BMXに興味を抱いたのは2歳のころ。ショーを観て、「やりたい!」と両親に話した。だが、両親は小学校入学前の幼児にバイクを与えることはケガなどのリスクがあると判断、すぐにバイクは手に入らなかった。毎日のようにBMXの動画を観て過ごしていた松浦選手。日に日にBMXへの憧れは募っていく。

小学1年生の誕生日プレゼントで、待望のBMXバイクを入手。それからどこに行くにも松浦選手とBMXバイクは一緒だった。

BMXとはBicycle Motocross(バイシクルモトクロス)の略。1970年代初頭にアメリカ西海岸を中心に始まったとされる自転車競技の一種。また、その競技で使われる自転車のことを指す。子どもたちがオートバイのモトクロススターに憧れ、20インチの自転車を乗り回していたことが原点とされている。

松浦選手の地元横浜市からほど近いところに鵠沼海浜公園スケートパークというBMXができる環境があった。平日の夕方や学校が休みの土日は毎週欠かさず通った。そして、種目をパークに定め、単純な遊びとしてではなく本格的にBMX フリースタイルパークに取り組んだ。

BMXフリースタイルは「フラットランド」「ストリート」「パーク」の3つの競技方式に分かれている。松浦選手の種目である「パーク」はスケートボードなどにも使われる専用施設でダイナミックなジャンプや回転などのテクニックを競い合う競技。東京2020オリンピックで正式種目として実施され注目を集めた。

競技を始めてすぐに大技「バックフリップ」を成功させた松浦選手。「バックフリップ」は“後方宙返り” の一つでバイクと一緒に回転する大技。なぜ難度の高い技を経験浅い少年が簡単にできるのだろうか?

「技の習得は人それぞれ。練習の環境によって違うけど、僕は3、4か月練習して出来ました。人によっては半年とか1年近くかかる人もいるので、多分僕は早い方だと思います。早く習得するためには、設備の整った場所で練習したり、スクールで習ったりすることも重要ですが、僕の場合、BMXが大好きで時間を忘れるくらい集中して夢中になれるから早くできたと思います」

「BMXは技やジャンプがかっこいいのが魅力です。技やライディングに、ライダーそれぞれのスタイルがある。自分のスタイルを築き上げていくこともBMXの楽しさです。やりたい技があると、YouTubeなどで世界中のいろんな人の動画を観て研究したり、イメージトレーニングして勉強します。最初はケガを回避するために地面が柔らかいスポンジプールのある施設で思う存分練習します。感覚をつかむまであきらめずに練習してできたらパークで実践します。基本ができていないと難度の高い技に繋ぐことは難しいので、まずはぶれない綺麗なライディングを心がけて基本をしっかり固める練習は欠かさずやります。技のコツや方法で困った時は、BMXの先輩ライダーや同年代のライダーの子たちに聞いたりします。それとお父さんとも動画を観ながら話し合ったりします」

松浦選手の偉業はまだまだ続く。8歳で2018年BMX Japan Cup (7-9歳クラス)で優勝、9歳のとき世界最年少で大技「バックフリップ」と「フレア」を成功させ、天才BMXライダーと世界で注目されるようになった。「フレア」はBMXライダーの中でも上級者向けで、後ろ1回転に加え横半回転する3D技で難度の高いトリック(技)。

さらに、11歳でBMX Japan Cup (10-12歳クラス)、オンライン国際大会・E-FISE Juniorなど立て続けに優勝。また、この年に「コーク720」や「バックフリップテールウィップ」の高難度の大技を次々と成功させ、世界最年少記録の業績を積み上げている。

12歳で世界大会デビュー、そして単身オーストラリア留学

NITRO JUNIOR GAMESで世界大会デビューを果たした

松浦選手は、2022年10月12歳で、オーストラリア・ゴールドコーストで開催された「NITRO JUNIOR GAMES」のBMXフリースタイル・パーク種目に日本人として初出場し4位。それが世界大会デビュー戦となった。「出場できて嬉しかったし、オーストラリアに行けることも楽しみで嬉しかったです。とにかく、何もかもが嬉しかったです。この大会に出て『世界デビューってすごいことだな』って実感しました」

ダイナミックに高難度なトリックをきめる松浦選手

そして、世界に触れたことでBMXのレベルをより高めたいと思った松浦選手は、2023年からオーストラリアへ留学。海外での活動を視野に入れた語学力向上と、レベルの高いBMXを習得するためだ。オーストラリアは、東京2020オリンピック金メダリストのローガン・マーティンを始め世界トップアスリートを有するBMXの盛んな国。

オーストラリアは、日本に比べてパークの数の多さはもちろんのこと、設備のクオリティが高くBMX環境が整っている。わかりやすく言うと、ブランコ、ジャングルジム、滑り台がある日本の公園に、BMXやスケートボードができるパークが併設されているような環境だ。中心部より20分くらい車を走らせれば、公園の中にパークがいたるところにある。「でも、僕は技術的な部分を磨いていくために、着地の危険性が少ないスポンジプールがある有料の施設でも練習していました」と、松浦選手が話す通り、オーストラリアはレベルに応じた施設も充実している。

12歳の少年が、単身オーストラリアで2023年1月~3月の約2か月間、その後3月後半~5月までと、2回の短期留学を経験。留学前にBMXができる環境や語学学校の視察、世界大会への渡豪を含めると、約半年間で4回オーストラリアに渡っている。松浦選手は「第2の母国みたいになっています」と嬉しそうに話す。当然ながら「英語の聞き取りは少しできるようになりました」と留学の成果を実感したようだ。

オーストラリアのパークで練習に励む松浦選手

松浦選手を筆頭に、日本人のBMXの技術レベルは上がった。本場オーストラリアで日本人選手のライディングを参考にしているライダーもいる。

「僕の場合、極端に言えば、そもそもBMXは遊びの延長なので、好きで楽しんで続けているうちにレベルが上がって、それに競技を重ねることで、結果的に高難度の技や技術が身についている感じです」

松浦選手のダイナミックな技とライディングスタイルの根源はここにあると感じた。

「BMXは競技であり演技です。自分との戦いの中でいかにパーフェクトなパフォーマンスができるかどうかがメインになってきます。たくさん練習をして怖さを乗り越えて挑む競技なので、ライディング後はみんなお互いが尊重し合って、最後はグータッチで讃え合います」

一緒に競い合う仲間は敵ではない、同志なのだと松浦選手は言う。

目標はオリンピック出場。BMX競技人口が増えることが願い

憧れのローガン・マーティン選手(右)と松浦選手(左)

BMXは「高さを出して飛ぶこと」が魅力の一つだと話す松浦選手。目標としている選手が二人いる。一人は、東京2020オリンピックに日本代表として出場し、世界選手権優勝など数々の大会を制覇した中村輪夢選手。そして、東京2020オリンピックBMX男子フリースタイルパーク金メダリストのローガン・マーティン選手(オーストラリア)。あらゆる賞を獲得し輝かしい経歴を持ち、Mr.パーフェクトと呼ばれる世界トップの選手だ。

この二人のトップ選手を目指しつつ「2028年ロサンゼルスオリンピックに出場し、その4年後のオーストラリアのブリスベンで開催される2032年のオリンピックに出ることを目標に頑張って練習します」と今後の目標を語った。

そして「競技人口がもっとたくさん増えることを願っています。BMXは環境が大切です。パークや設備が国内でも充実すれば選手も成長すると思います」と日本でのBMXの認知度が高まることを望んでいる。

無限の可能性を持つ次世代のBMXライダー、松浦葵央。将来のBMX界を背負って立つ存在として期待される。名前の由来にある人々の輪の中心、そしてBMX界の中心になる日もそう遠くはない。両親の想いを胸に更なる成長と活躍で世界を席巻していくに違いない。

(おわり)

取材/文:黒澤浩美

取材協力/写真:株式会社SFIDA