GI2勝――と言っても、ひとつは2歳(当時は3歳)限定のGI(※)。決して歴史に刻まれるような輝かしい実績を残しているわけではないが、引退してから30年近く経った今でも、名馬の列に堂々と名を連ねている馬がいる。※阪神3歳S(阪神・芝1…

 GI2勝――と言っても、ひとつは2歳(当時は3歳)限定のGI(※)。決して歴史に刻まれるような輝かしい実績を残しているわけではないが、引退してから30年近く経った今でも、名馬の列に堂々と名を連ねている馬がいる。
※阪神3歳S(阪神・芝1600m)。現在、2歳女王決定戦として行なわれている阪神ジュベナイルフィリーズの前身。かつては牡牝混合戦で、関西所属の3歳(現2歳)馬のチャンピオン決定戦だった。

 サッカーボーイである。

 1987年にデビューして、翌1988年の有馬記念が最後のレースとなった(1989年春に骨折。秋には毎日王冠に登録も脚部不安を発症し、そのまま現役引退)。

 現役生活は実質わずか2年。その間、11戦して6勝。GIは、1987年の阪神3歳Sと、1988年のマイルCS(京都・芝1600m)を制した。

 貴公子然とした尾花栗毛の馬体で、顔のど真ん中にはど派手な流星が輝く。気性は荒々しく、爪に弱点を抱えていた。脚力が並外れていたため、その衝撃をもろに受ける爪が裂蹄(れってい)を起こしやすかったのだ。

 1988年のマイルCS、強烈な末脚を駆使して後続に4馬身差をつけて勝った際、実況の杉本清アナが「これは、恐ろしい馬だ」と絶叫した。今やそれは、なかば伝説的に語られているが、この馬が見せるパフォーマンスは、規格外、常識外なことばかりだった。それゆえ、見る者には「恐ろしい」と感じさせることが多々あった。

 百戦錬磨の杉本アナでさえ「恐ろしい」と舌を巻く存在。ある意味、破壊的でさえあるそのパフォーマンスによって、サッカーボーイは今なお、名馬の列に名を連ねているのだろう。

 彼はデビューから阪神3歳Sまでの4戦で3勝を挙げているが、そのときに2着馬につけた着差は、順に9馬身、10馬身、8馬身。まさに、破壊的なのだ。その圧倒的なパフォーマンスに人々は魅了され、皐月賞を使えないなど順調さを欠きながら、日本ダービーでは1番人気に支持された(結果は15着)。

 日本ダービーでは苦杯を舐めたが、その後、中日スポーツ賞4歳(現3歳)Sで皐月賞馬のヤエノムテキを一蹴。そして圧巻だったのは、続く函館記念(1988年8月21日/函館・芝2000m)だった。前年のダービー馬に5馬身もの差をつけて、しかもレコード勝ち。あの夏の一戦も、それこそ”破壊的”なレースだった。



函館記念を驚異的な強さ、タイムで圧勝したサッカーボーイ

 この函館記念については、実は関東のあるジョッキーがこんなことを言っていた。

「あれは、肉を切らせて骨を断つというレースだった」

 レースは、前半のうちは後方に待機していたサッカーボーイが、向こう正面あたりからペースを上げて徐々に進出。外、外を回りながら、3コーナーを回る頃には先行集団に取りついて、直線を向いたときには早くも先頭に立っていた。あとは、後続を引き離す一方。前年のダービー馬メリーナイスが追いかけてくるも、その差はまったく詰まらなかった。

 前出のジョッキーが「肉を切らせて」というのは、この3コーナーから最後の直線を向くまでのシーンだ。そのジョッキーが言う。

「そこに来るだいぶ前から仕掛けているからね。あそこは馬には最もきついところだよ。それを、まったくペースを落とさずにまくっていった。まるで、『オレもきついよ。でも、あんたらはもっときついだろ』と言っているようにね。あれこそ”肉を切らせて”という勝ち方。よほど強い馬じゃなきゃできないことだよ。そんなすごいことを、事もなげにやってのけた。サッカーボーイというのは、本当に強い馬だった」

 キャリアの長い競馬ファンは、いまだに函館記念と言えば、サッカーボーイの名前を挙げる。それほど、あのパフォーマンスが強烈な印象として残っているからだ。

 サッカーボーイはこのあと、マイルCSを快勝。前述のように、年末の有馬記念(中山・芝2500m)出走を最後に、脚部不安によって引退した。

 ちなみに、このときの有馬記念を勝ったのは、あのオグリキャップ。タマモクロスとの激闘を演じた伝説のレースだ。サッカーボーイはレース前にゲートで暴れて、前歯を折るなどの流血騒ぎを起こしている。それでも、オグリキャップ、タマモクロスに次ぐ3着と奮闘した(3位入線のスーパークリークが失格し繰り上がり)。

 同世代のオグリキャップと、サッカーボーイが同じ舞台に立ったのはこの1度だけ。もしサッカーボーイがケガに悩まされていなければ、オグリキャップにとっては、タマモクロス以上のライバルになっていたかもしれない。「伝説」と呼ばれるレースがもっと増えていたのではないだろうか。

 記録に残るというよりは、むしろ記憶に残る馬――。それでも、あの函館記念でサッカーボーイが叩き出した1分57秒8という記録は、いまだ破られていない函館・芝2000mのレコードタイムだ。

 今年もまた、サッカーボーイの雄姿が脳裏によみがえる函館記念(7月16日)が、もうすぐやってくる。