136回目(男子の回数/女子は129回目)のウインブルドン選手権開幕を1週間後に控えた6月末日──。ロンドン市内の「ミレニアム・ホテル」で、とあるパーティが開かれた。 この日の主役は、ビリー・ジーン・キングや、沢松和子とのペアで女子ダブル…

 136回目(男子の回数/女子は129回目)のウインブルドン選手権開幕を1週間後に控えた6月末日──。ロンドン市内の「ミレニアム・ホテル」で、とあるパーティが開かれた。

 この日の主役は、ビリー・ジーン・キングや、沢松和子とのペアで女子ダブルスを制したアン・キヨムラら往年の名選手たち。

 今からちょうど、50年前。それは同じホテル、同じ部屋で、WTA(女子テニス協会)が発足した時分であった。



判定に納得できず涙ぐむ16歳のミラ・アンドレーワ

【握手拒否は周知の事実だが...】

 テニスは賞金やメディア露出等も含め、男女格差が最も小さなプロ競技だろう。この日の会は、女子テニスの発展を実現したWTAの足跡を祝う席だった。

 その華やいだ空気に冷たい緊張感が走ったのは、質疑応答の場で英国メディアが「WTAの大会がサウジアラビアで開催される可能性」を質した時だ。

 サウジアラビアでの大会新設は、ここ最近テニス界でささやかれている噂。ただ、女性の人権問題を抱える国でWTAが大会を開くことは、同組織の理念に反するとの意見もある。

 とりわけ英国は、プレミアリーグの人気チーム買収もあり、反サウジアラビアの論調が強い。『スポーツウォッシング(スポーツによる悪評払拭)』の言葉とともに、この話題は英国メディアを賑わせた。

 なお、その質問に対するビリー・ジーン・キングの返答は、「話し合いが大切」「あらゆる可能性の扉を閉めてはいけない」というもの。理念と政治、そして金......それらが綱引きしながら、着地点を求めて浮遊しているのが現状だ。

 スポーツと政治と言えば、今大会でもウクライナ選手とロシア/ベラルーシ選手たちの「握手拒否」が話題となった。

 ベスト4に進出したエレナ・スビトリーナを筆頭に、多くのウクライナ選手がロシア及びベラルーシ選手との握手を拒んでいることは、テニス界では周知の事実。ただ、会場に足を運ぶすべての観客が知っているわけではない。

【16歳の新星に罰金110万円】

 今回のウインブルドンでも、スビトリーナ対ビクトリア・アザレンカの試合後に、アザレンカがブーイングを浴びる場面があった。スビトリーナが握手しないことを知るアザレンカは、主審と握手し、スビトリーナには軽く手を振る。だが一部の観客は、これをアザレンカの握手拒否と取ったのだ。

「私にどうしろと言うの? ネットに行って、彼女が来るのを待てばよかったの?」

 会見でアザレンカは、不満を露わにする。

 一方でスビトリーナも、「まだ状況を知らない人たちが多いようだ。運営組織はウクライナ選手がロシアとベラルーシの選手とは握手しないことをアナウンスしたほうがいい」と進言した。

 はたして翌日、WTAはソーシャルメディア等を通じ、「選手たちの意志を尊重してほしい」との声明を発表。幸か不幸か、その後に両国間の選手の対戦はなかったため、声明文の効果のほどは不明である。

 握手と言えば、主審との握手を拒否した選手もいた。それは16歳のミラ・アンドレーワ。予選から本戦ベスト8まで勝ち上がり、今大会序盤の話題をさらったロシア期待の新星である。

 その才媛、準々決勝で第2セットを落とした時、ラケットを投げて『警告』を受けた。そして第3セット終盤、再びラケットを投げたとしてポイントペナルティを受ける。これが相手選手のマッチポイントとなった。

 この判定にアンドレーワは猛抗議。「ラケットを叩きつけたのではない。滑って転びそうになり、ラケットを落としてしまったのだ」というのが、彼女の主張だ。

 ただ、もちろん判定が変わることはなく、試合にもそのまま敗退。アンドレーワは一連の『スポーツマンシップにもとる行為』のため、計8000ドル(約110万円)の罰金も課された。

 実際のところ、アンドレーワはラケットを「投げた」のか「落とした」のか? ビデオ判定が導入されていないテニスでは、その場で確かめて協議することはない。その点は先の全仏オープンでも、加藤未唯の失格判定で物議をかもした。

【優れた審判員が減っていく...】

 加えるならウインブルドンは、全豪および全米オープンで使われている『電子ライン判定技術』も用いていない。この件について大会ディレクターは、「現時点では、まだ導入するかどうかは決めてない」とし、「あらゆる可能性に門戸は開いている」と言うにとどまった。

 線審を排する趨勢に関しては、テニス界でも意見が分かれている。選手間では、電子判定技術肯定派が多数。

 一方で、線審は主審やレフェリー予備軍であり、線審を排することは人材育成の場を奪うことになるとの懸念があるのも確かだ。

「ウインブルドン史上最高の決勝戦」と名高い2008年ロジャー・フェデラー対ラファエル・ナダルの主審を務めたパスカル・マリア氏は、次のように語ったことがある。

「私自身、線審としてキャリアをスタートしました。小さなテニスクラブで線審をやっていた時の夢は、グランドスラムのチェアに座ること。その夢が失われたら、線審の成り手もいなくなります。

 それにすべてが電子化されると、選手たちはフラストレーションの捌け口を失う。近年、選手と観客間のトラブルが増えているのは、それも一因だと思います」

 なお、マリア氏は2017年に審判員を引退したあと、レフェリーとなった。レフェリーは大会全体の進行を統括する役職。優秀な審判員が育たなければ、優れたレフェリーも生まれない。

 レフェリーの重要な仕事のひとつが、毎日の試合スケジュールを決めること。今大会のレフェリーは、その点では大いに頭を悩ませただろう。大会序盤は雨続きで、試合順延やコートチェンジ等の判断を、分単位で迫られたからだ。

 しかも、センターコート及びナンバー1コートには開閉式屋根があるため進行が早く、ほかのコートと足並みが揃わない。そのため、トップ選手たちが早々に3回戦進出を決めるなか、一部の選手は初戦すら始まらぬ「格差問題」も勃発した。

 屋根の恩恵を受けたノバク・ジョコビッチにしても、4回戦が2日間に分かれたため、「試合開始時間を早めるべきだ」と苦言を呈す。

 他方、大会側は「変える予定は現時点ではない」と明言した。センターコートには基本3試合が組まれ、1試合目が始まるのは午後1時半。このオーダーの勘所は、最も視聴率が期待できるゴールデンタイムに、3試合目が行なわれることだ。その実利の前では「芝を守るため」という大義名分も、いささか弁解じみて響く。

【ウインブルドンの転換期か?】

 伝統と革新はウインブルドンの両輪であり、それらの相剋こそが「テニスの聖地」の正統を紡いできたとも言える。

 その意味では今年の決勝戦は、男女ともに象徴的なカードとなった。

 男子では、7度のウインブルドン優勝を誇る36歳のジョコビッチに、20歳のカルロス・アルカラスが挑む。

 女子はどちらが勝っても初優勝だが、アラブ系初のグランドスラム優勝を目指すオンス・ジャバーに対し、マルケタ・ボンドロウソバは同大会で強さを誇るチェコテニス界の系譜。

 現状維持か、変革か──?

 136年目(男子の年数/女子は129年目)のウインブルドンは、多くの意味でひとつの転換期となりそうだ。