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連載第5回 イップスの深層~恐怖のイップスに抗い続けた男たち
証言者・岩本勉(5)

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イップスを克服し、2006年まで現役でプレーした岩本勉氏

 つかの間のシーズンオフ、多くのプロ野球選手がゴルフに興じるシーンはもはや風物詩になっている。ほとんどの選手はプロ入り後にゴルフを覚えるため、腕前には個人差がある。しかし、元・日本ハムファイターズの岩本勉は、ゴルフに野球選手としての性質がにじみ出ると証言する。

「ゴルフをやっていて、『あ、こいつイップス経験のないヤツやな』と一発でわかりますよ。あとは、『ここ一番で強いヤツやな』とか、『土壇場に弱いヤツやな』とか」

 イップスという用語は、もともとゴルフ競技で使われていた言葉だ。5月に31歳の若さで今季限りの引退を表明した女子プロゴルファーの宮里藍は、引退理由のひとつに「パターがイップスになった」ことを挙げている。岩本によると、イップス経験のある野球選手は、ゴルフをしていてもその傾向が現れるというのだ。

「止まったボールに力を与えるスポーツは、みんなイップスがあると思います。バレーボールやテニスのサーブ、サッカーのPK、ラグビーのプレースキック......。ゴルフなんて全部そうじゃないですか」

 そして野球のスローイングもまた、イップスの温床になっている。岩本はその原因を「時間」にあると見ている。

「イップスの最大の敵は間(ま)ですから。内野手でも、捕ってから余裕があると考えてしまうでしょう。イップスの気(け)のある現役のショートと話したことがあるんです。『ええか、どんなに余裕があっても、捕ったらすぐに投げろ』って。これがイップス克服の一番の近道やぞと。ピッチャーなんて、間だらけじゃないですか。だから間をコントロールしなければならないんです」

 岩本の話を通じて、イップスにもさまざまな種類があることが見えてきた。突然、発作のように震えが起きてコントロールがままならなくなるケースもあれば、本格的に気に病んでしまい、投球動作に変調をきたすケースもある。また、通常のピッチングは問題なくても、「敬遠が苦手」という投手や「投手ゴロを一塁まで投げるのが苦手」という投手もいる。岩本はゲーム中によく見られる、こんなシーンについて言及した。

「ピッチャーゴロを捕って、一塁ベースの近くまで走ってボールを運ぶ選手がいるじゃないですか。あれはみんな、やらかしたことのあるヤツばかりですよ(笑)。僕はスナップスローからやり直したので大丈夫でした。投げられないのは、スナップを効かせられない選手に多いんです。押して投げるしかなくて、力の加減ができない。でも、そんな選手もバント処理で急いで三塁にスパーンと投げることはできる。それは力加減を気にしなくていいし、考える間がないからです」

 やはり、イップスを発症する背景には「時間」というキーワードが存在するようだ。他にも、岩本にイップスに陥りやすい選手の傾向を聞くと、こんな答えが返ってきた。

「神経質な人ほど、なりますよね。『結果の先に何があるか?』といろいろ考えたときに、体が固まってしまうんです」

 怖い先輩とのキャッチボールで中途半端なバウンドのボールを投げてしまった。屋根の低い室内ブルペンで天井にボールを当ててしまった。挟殺プレーで1回暴投を投げてしまった。プロの狭いストライクゾーンに対応するため神経をすり減らした......。冷静に振り返れば取るに足らない出来事でも、深刻に受け止めてしまうことで、今まで何ともなかった動作のなかに「思考」が入り込んでしまう。それが結果的に自分を縛りつける「鎖」になってしまうのだ。

 そして、球界内ではこんな「都市伝説」がまことしやかに流布されているという。

「よく言われたのが、『考えないB型(血液型)はイップスになりにくいんだよ』ということ。でも、そんなの人間4種類に分けられてしまいますから、一概に言えるわけがないですよね(笑)」

 実際には血液型がB型でもイップスの選手は多数存在するだろう。根拠に乏しいとはいえ、球界でそのような説が広まっているところにも、イップスの異様性が浮き彫りになってくる。

 また、岩本によると技術的に「イップスになりやすいタイプ」も存在するという。

「テイクバックで両ヒジを上げるタイプのピッチャーは、加減したストライクをほとんど投げられないんですよ。このタイプはイップスになりやすい傾向がある。腕だけじゃなくて、足をバーンと高く上げたりするもの、フォームが常に可動域の突き当たりで動くので、ゆとりがない。そういうピッチャーに『突き当たりにいくまでに投げろ』と言っても、その感覚がわからないんですよ」

 岩本が「プロでクビになる選手の8割はイップス」と明かすように、プロという最高峰の舞台でもイップスに苦しむ選手は多い。生きるか死ぬかという弱肉強食の世界では、致命的な弱みのように思える。それでも......、岩本は「あえてイップスであることを公言したほうがいい」と語る。

「相手に悟られるということは綻(ほころ)びですから、つけ込まれるんです。相手ベンチからの『お前ストライク入るの?』という一言が、大きな刃物に思えてくる。でも、僕はイップスの選手に言ったことがあります。『お前、公言したほうがラクやねんで。一回の恥は一生の得や』と。普通は周囲がイップスの選手に気を遣って何も言わないんやけど、本人が周りから気を遣われていることがわかると、余計に萎縮するものなんです。大半の経験者は言いますよ。『みんなに知ってもらったほうがラクだ』って」

 そして、実際にイップスに苦しんでいる選手に対して、岩本はこう言うという。

「イップスは克服できる。だって、俺が克服できたんやから!」

 そして、オチをつけるようにこう続けるという。「まあ、いまだに(イップスが)来るけどな」と。

 具体的なアドバイスを求められた際に伝えることは2つある。1つ目は「考えるな」ということ。とくに野手ならば、目の前に来たボールに対して瞬時に対応することで、「思考」が入り込む時間をなくすということだ。

 そしてもうひとつは、「ボールの重さを感じる」ことだという。

「小学生にも必ず言うんですけど、『ボールの重さを感じたら、そのまますぐに投げろ』と。イップスのときって、指先の感覚がなくて、ボールの重さを感じられないんです。『ボールって、これくらいの重さなのか~』と思いながらピュッと投げたら、ボールはいきますよ。ゴルフもそうですよね。(ゴルフクラブの)ヘッドの重さを感じながらピュッととらえるのがいいとよく言いますから」

 最後に、「イップス」という言葉自体の功罪についても考えてみたい。もちろん本稿も含めてだが、「イップス」という言葉がスポーツ界で広く伝えられたことで、多少の制球難、送球難でも「イップス」と決めつけられてしまうケースがあるのではないか。また、本人も「イップスかもしれない」と疑心暗鬼になり、ますます泥濘(でいねい)へと足を踏み入れてしまうこともあるだろう。

 その点を岩本に問うと、イップス経験者らしい答えが返ってきた。

「(イップスという言葉が)広まり過ぎている感じはしますけど、今はみんな日常でも冗談交じりに使っているじゃないですか。暴投を投げて『うわっ、イプってもうた』とか。僕はいっそのこと、広まったほうがいいのかもしれないなと思いますよ。たとえ強い人間に見えても、どこか弱さもあるし、それを隠しているだけだと思う。そんな人もひとりの生身の人間なんですから」

 投手はリリースポイントでわずか数ミリずれただけで、捕手に届くまでには10センチ、20センチと大幅にずれてしまう。そんな繊細な世界に浸食してくる「イップス」という病。いまだに核心を突いた原因と解決策は究明されていない。しかし、実際にイップスと戦い、克服した選手がいるという事実を知ることが、耐えがたい苦しみから逃れる第一歩になるのではないだろうか。

 岩本は、長時間にわたる取材をこんな言葉で結んでくれた。

「僕は、脳は思い描くだけで、心が体を動かすと思っているんです。脳は描く、心はそれを思い、決断する。もちろん、これは表現のアヤですけど、そんな『心の病』がイップスなのかなと思います」

(つづく)

※「イップス」とは
野球における「イップス」とは、主に投げる動作について使われる言葉。症状は個人差があるが、もともとボールをコントロールできていたプレーヤーが、自分の思うように投げられなくなってしまうことを指す。症状が悪化すると、投球動作そのものが変質してしまうケースもある。もともとはゴルフ競技で使われていた言葉だったが、今やイップスの存在は野球や他スポーツでも市民権を得た感がある。

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