現地7月11日、メジャーリーグの第88回オールスターゲームがフロリダ州のマーリンズ・パークで開催されます。今年もシーズン前半戦を盛り上げてくれた超一流プレーヤーたちが集結しますが、時をさかのぼることちょうど10年前の2007年7月10日(…

 現地7月11日、メジャーリーグの第88回オールスターゲームがフロリダ州のマーリンズ・パークで開催されます。今年もシーズン前半戦を盛り上げてくれた超一流プレーヤーたちが集結しますが、時をさかのぼることちょうど10年前の2007年7月10日(日本時間7月11日)、サンフランシスコ・ジャイアンツの本拠地AT&Tパークにて行なわれた第78回オールスターゲームで、ある日本人選手が歴史に残る快挙を達成しました。そう、イチロー選手が史上初のランニングホームランをやってのけたのです。



史上初のランニングホームランが生まれた2007年のオールスターゲーム

 2007年、当時シアトル・マリナーズに所属していたイチロー選手は、メジャー1年目から7年連続7度目のオールスターゲームに選出されました。ファン投票では、ア・リーグの外野手部門3位。2005年の外野手部門4位をのぞき、通算6度目となるファン投票での選出でもありました。

 オールスターゲームを迎えた段階で、イチロー選手はア・リーグ2位の打率.365をマーク。1位はデトロイト・タイガースのマグリオ・オルドネスでした。彼はその年、打率.363で首位打者に輝いています。イチロー選手は5月にア・リーグ新記録となる41連続盗塁成功を記録するなど、オールスターに選ばれるにふさわしい活躍を見せていました。

 シーズン前半戦のマリナーズの順位は、ア・リーグ西地区2位。オールスターに向けて7連勝中と波に乗っていた時期です。ところが7月1日、チームを率いていたマイク・ハーグローブ監督が突如「情熱がなくなった」として契約途中で辞任。その後はベンチコーチのジョン・マクラーレンが指揮を執り、最終的には88勝74敗で4年ぶりに最下位を脱出し、西地区2位でシーズンを終えています。

 オールスターゲーム前日の共同記者会見には、僕も取材で行っていました。オールスターゲーム選出についての感想を聞かれたとき、イチロー選手が発した言葉を今も鮮明に覚えています。

「パンチョさんが生きておられたら、大喜びしたでしょうね。そのことをいつも考えます」

「パンチョさん」とは、長年パ・リーグの広報部長を務めた一方で、野球解説者としてメジャーリーグの魅力を日本中に広めた第一人者・伊東一雄さんのことです。「パンチョ伊東」という愛称で多くの野球ファン、野球選手から愛されていました。2002年7月4日に68歳で亡くなられたのですが、生前の伊東さんはイチロー選手のことをいつも気にかけ、イチロー選手も特別な人物として接していました。

 その言葉をサンフランシスコという場所で発したことが、僕にとって非常に感慨深かったのです。というのも、伊東さんとは1975年に初めてメジャーリーグ観戦をご一緒させていただいたのですが、その最初の地がサンフランシスコでした。

 余談になりますが、伊東さんは毎年サンフランシスコに行くと、観光名所のフィッシャーマンズワーフにあるジョー・ディマジオのイタリア料理店に訪れていました。ディマジオはサンフランスコからほど近い地元マーティネズ出身なのです。ゴールンデンゲートブリッジをクルマで渡ったり、芸術家の街サウサリートや港町ティブロンなどを伊東さんに案内していただいたのが、僕にとって忘れられない思い出です。サンフランシスコの街を伊東さんが愛していたことをイチロー選手は知らないと思いますが、あのときの言葉は本当にビックリしました。

 さて、話を2007年のオールスターゲームに戻しましょう。大勢の報道関係者が質問を終えたあと、僕はイチロー選手にこう尋ねました。「さすがのイチロー選手もオールスターゲームでは結果が出ませんね」。イチロー選手のオールスターゲームでの成績は、6試合で15打数3安打・打率2割ジャスト。この質問にはさすがにムッとされたようで、お返事はいただけませんでした。

 ただ、その質問を投げかけた理由は、過去にもイチロー選手のようなスーパースターがオールスターゲームで結果を残せなかった例があったからです。その人物とは、メジャー通算3053安打を記録した「往年の安打製造器」ロッド・カルー。首位打者のタイトルを7度も獲得し、1977年には驚異の打率.388をマークしてア・リーグMVPに輝いた名選手です。くしくも先日の7月6日、イチロー選手がセントルイス・カージナル戦で2安打を放ち、カルーの持つ通算安打記録を抜きました。

 そのカルーは18年連続でオールスターゲームに選出されたのですが、球宴での通算成績は打率.244、41打数10安打で0本塁打・2打点。そのことが脳裏にあったので、ついイチロー選手に厳しい質問を投げてしまったわけです。天才打者イチローといえども、超一流選手の集まるオールスターゲームでは活躍できないのか……と。ただ、その考えは翌日、大きく覆されることになりました。

 7月10日、ア・リーグの攻撃から始まった第78回オールスターゲーム。イチロー選手は1番バッターとして先発出場しました。初回の第1打席、相手の先発ピッチャーは右腕ジェイク・ピービー。その年、19勝6敗・防御率2.54・奪三振240で投手三冠に輝いたサンディエゴ・パドレスのエースです。

 僕は個人的に、この第1打席に注目していました。なぜかというと、まずひとつは2006年の第1回WBCを思い出したからです。エンゼル・スタジアム・オブ・アナハイムで行なわれた2次ラウンドのアメリカ戦、イチロー選手は初回の第1打席でピービーから先頭打者ホームランを放ちました。その記憶が蘇ったので、この大舞台で再現されるのかもと期待していたのです。

 また、2004年にテキサス州ヒューストンで開催された第75回オールスターゲームでも、イチロー選手は初回の第1打席でホームランを意識したバッティングを見せていました。そのときは、あのロジャー・クレメンス(当時ヒューストン・アストロズ)からライトオーバーの二塁打を打っています。

 2007年は結局、ピービーからホームランこそ打てませんでしたが、見事なライト前ヒットを放ちました。さらに3回にも、当時ミルウォーキー・ブルワーズのベン・シーツからレフト前ヒットを打って2打数2安打。そして5回、イチロー選手は歴史に残る第3打席を迎えたのです。

 マウンドに立つのは、当時パドレスの長身投手クリス・ヤング。ワンアウト・ランナー一塁という場面でした。イチロー選手はヤングの投じた初球、89マイル(約143キロ)の内角低めのストレートを見事にライトに打ち返したのです。

 打った瞬間はホームランかと思いました。僕は三塁側の観客席から観ていたので、打球の距離が測りづらかったのですが、ライトフェンスを越えて場外の海に飛び込むスプラッシュヒットになるかと思ったほどです。ただ、AT&Tパークはメジャー屈指の打球が飛ばない球場なので、イチロー選手の打球はライトフェンス直撃となりました。

 そのライトを守っていたのは、当時シンシナティ・レッズに所属していたケン・グリフィー・ジュニア。ライト方向のフェンスはいびつな形をしているため、打球は意外な方向に跳ね返り、ケン・グリフィーも対応が遅れてしまいました。その間にイチロー選手は自慢のスピードを生かし、一気にダイヤモンドを一周したのです。

 オールスターゲーム史上初の出来事を目の当たりにしたとき、思い出したのは1983年の50周年記念大会の出来事でした。シカゴのコミスキー・パークで開催されたその球宴で、当時ボストン・レッドソックスでプレーしていたフレッド・リンが史上初の満塁ホームランを放ったのです。

 ともに「オールスターゲーム史上初」を記録したリンとイチロー選手。彼らの共通点といえば、メジャー史上ふたりだけが成し遂げた「シーズンMVP・新人王の同時受賞」です。リンは1975年、イチロー選手は2001年。球宴でもふたりそろって史上初の出来事をやってのけるのも、何かの縁でしょうか。

 イチロー選手はこの第3打席で交代。3打数3安打2打点という結果を残し、日本人初のオールスターゲームMVPに輝きました。そして試合後、僕はイチロー選手に「参りました」と、前日の質問に対して謝りました。これも今では、いい思い出です。