ラグビーワールドカップ2023「Road to France」<09>李承信(コベルコ神戸スティーラーズ)前編 ラグビーワールドカップ開幕まで、残り約2カ月となった──。ラグビー人気の高いフランスが舞台のビッグイベントで、日本代表の司令塔と…

ラグビーワールドカップ2023「Road to France」<09>
李承信(コベルコ神戸スティーラーズ)前編

 ラグビーワールドカップ開幕まで、残り約2カ月となった──。ラグビー人気の高いフランスが舞台のビッグイベントで、日本代表の司令塔として活躍が期待されている若者がいる。コベルコ神戸スティーラーズに所属するSO(スタンドオフ)李承信(リ・スンシン)だ。

 李は大阪朝鮮高級学校(大阪朝高)時代から「万能ランナー」として耳目を集めてきた逸材である。高校日本代表にも選ばれ、帝京大でも1年生から活躍する。

 しかしその後、ニュージーランド留学のために大学を中退するも、コロナ禍で渡航することができず苦境に立たされた。地元・神戸でひとり練習する日々......そんな時、救いの手を差し伸べたのが神戸製鋼コベルコスティーラーズ(当時)だった。

 19歳でプロ契約を結び、20歳でトップリーグデビューを飾ると、そこからは右肩上がり。2年目には10番を託されてリーグワンで一気に存在感を示し、昨年6月のウルグアイ代表戦では朝鮮学校出身者初の日本代表キャップを獲得した。

 その勢いはとどまらず、フランス代表やオールブラックスとも対戦し、さらに自信を深めた。才能あふれる22歳の新星は、初のワールドカップでどんなプレーを見せてくれるのか。

   ※   ※   ※   ※   ※



李承信●2001年1月13日生まれ・兵庫県神戸市出身

── 昨年は6月のウルグアイ代表戦で初キャップ獲得後、フランス代表と3試合こなし、ニュージーランド代表戦とイングランド代表戦にも出場するなど、激動のシーズンでした。

「ありがたいことに、シーズンを通して何度もテストマッチに出してもらいました。ですが最初は、自分がそのレベルまでいけると思っていなかったです。

 出場したテストマッチのなかでも、やっぱりオールブラックスは昔から憧れのチームだったので、こんなチャンスは今後そうはないなと思っていました。すごく出たい気持ちが強かったので、一番印象に残っています。

 あの大観衆のなか、そして強いプレッシャーを受けて試合ができたのは、いい経験になりました。パスやキックで自分の役割を果たせたことも、大きな手応えになったと感じています」

── 日本代表の司令塔として自信を持てるようになりましたか?

「テストマッチ で10番を背負った時、リーグワンとは違うプレッシャーや強度を感じました。昨年のテストマッチのなかでは、フランス代表との2戦目(15-20)は結果的に惜しくも負けてしまいましたけど、ゲームコントロールの部分で自信になりました。日本代表の 10番がどういうことを必要としているのか、ちょっとずつ理解できてきました」

── それは具体的には?

「ブラウニー(トニー・ブラウン・コーチ)からは『自分たちのラグビーをしっかり信じ、誰よりも理解し、リードしていくのが10番として一番大事』と常に言われています。

 リーグワンの期間中も、オンラインでブラウニー、松田力也(埼玉ワイルドナイツ)さん、山沢拓也(埼玉ワイルドナイツ)さんと毎週のようにミーティングして『どれだけゲームを予測して次のプレーに動けるか』ということをすごく話していました」

── 大阪朝高時代から帝京大1年生までは「ランに長けた12番」インサイドCTB(センター)という印象が強かったです。

「ずっとCTBでプレーしていて、帝京大学に入ってからも12番でした。なので、10番を本格的にやり始めたのは神戸(スティーラーズ)に入ってからですね」

── どうして10番を専門的にやろうとしたのですか?

「昔から『トップを目指すなら体が小さい(身長176cm)のでCTBは難しい』と思っていました。周囲から『10番をやったほうがいい』とのアドバイスもあったので、社会人になったら10番で勝負しようというプランは決めていました」

── 李選手は大学1年生が終わったあと、中退してニュージーランドに留学しようと決意しました。それはジュニア・ジャパンに選ばれて世界と戦ったことも影響したのですか?

「それもあります。あと、大学生活を過ごしているなかで、あまり自分自身が成長できてないと感じていました。もちろん中退は難しい決断でしたが、違う環境に身を置いてチャレンジしたいと思ったんです」

── 中退することについて、ラグビー経験者の父やふたりの兄の反応はいかがでしたか。次兄の李承爀選手(り・すんひょ/三重ホンダヒート/HO)は当時一緒に帝京大に在籍していましたね。

「大学を辞める時、最初は父や兄にすごく反対されました。でもその後、家族もまさかこんなに早く日本代表になれるとは思っていなかったので、今ではすごく応援してくれています」

── 帝京大の岩出雅之監督(当時)からは中退する時に何を言われましたか。

「監督とはいろいろ話し合って、最後は『自分が今、楽しんでいたら、それが一番幸せだし、いいこと』と後押ししてくれました」

── 中退した決断を今、振り返ると?

「結果的にですが、常に『自分が選んだ道を正解にしよう、誇りを持てるように過ごそう』と思ってやってきたので、1ミリも後悔はしていないですね」

── しかしながら、コロナ禍の影響でニュージーランドへの留学を断念せざるを得なくなったのは、さぞ悔しかったことと思います。

「すごくショックでした。すぐに上のレベルでラグビーをやるのは難しかったので、まずは英語を勉強してワイカト大学に進学できればいいなと思っていましたので」

── 留学断念後、李選手はバイト生活を送りながら、公園でひとりパス練習などを行なっていたそうですね。

「引っ越しのバイトは夏に3日くらいしただけで、すぐに辞めてしまいましたけど(笑)。そんな時、神戸製鋼コベルコスティーラーズの福本(正幸/チームディレクター)さんから声をかけていただいたんです。そしてちょっとずつ、灘浜グラウンドまで練習に行けるようになり、2020年10月に入団することができました。

 4歳からラグビーを始めたのですが、神戸製鋼は近所で練習していたので、小さい頃から福本さんのことは知っていました。これまでいろんな幸運に救われましたが、ラグビー人生のなかで神戸に入れたのが一番大きい。感謝の気持ちでいっぱいです」

── 社会人1年目の2021年、トップリーグ最後のシーズンは5試合の出場にとどまりました。20歳でいきなり日本のトップレベルの強度は、やはり慣れていない部分も?

「1年目はそうですね、今は(強度に)慣れましたけど、最初は『本当に自分がここでプレーしていいのか?』と思っていたし、受け身でもありました。でも、そのなかで一瞬、一瞬、今やるべきことをやろうと決めていたので、それが今にもつながっていると思います」

── プロ2シーズン目のリーグワン元年では、神戸スティーラーズの主力として10番や12番で13試合に出場。飛躍できたきっかけは何かあったのですか?

「1年目が終わったあとのオフシーズンに、フィジカル面をしっかり追いこみました。あと、いろんなラグビーの試合映像を見て『10番として、どうやって自分の強みを活かせるだろう』と研究しました。

 1年目はプロ意識も低く、大学生の延長気分でいた部分もあり、プロが何かもわかっていませんでした。それを反省して、先輩からオフシーズンの過ごし方を聞いたり、トレーニングメニューを組んでもらったことで、いろいろ変われたと思います」

── その結果、リーグワンでの活躍が目にとまり、日本代表にも初招集されました。

「神戸で成長できたことが、何よりも大きいと感じています。日本代表のコーチ陣からは、練習に取り組む姿勢なども評価していただいたと思っています」

── 日本代表活動を経たことで、さらに大きく成長を実感しているのでは?

「10番としての経験をどんどん積めているので、試合中の余裕というか、スペースに対しての時間や余裕が出てきているのかな。やっぱり慣れの部分も大きいと思います」

── ワールドカップ開幕まで残り2カ月。今の心境は?

「ワクワクという気持ちより、今は焦りのほうが強いですね。リーグワンでケガ(眼窩底骨折)もありましたし、ほかの10番の選手もリーグ戦ですごくいいプレーをしていましたし。経験値ではやっぱり(松田)力也さんに劣る部分があるので、今は経験が必要だと感じています」

── ワールドカップの最終スコッド(33名)に入るためには、7月・8月の試合でのアピールが大事になってきます。

「1回、1回の練習も大事ですね。7月からは試合に出るか出ないかで立場がすごく変わってくると思うので、まず出場することをターゲットにしたい。また、日本代表が『ワンチーム』になって結果を出せるように、1試合、1試合を大事に戦っていきたいです」

「韓国籍だが、日本人でも韓国人でもない」

【profile】
李承信(り・すんしん)
2001年1月13日生まれ、兵庫県神戸市出身。大阪朝高→帝京大に進学後、ニュージーランド留学のために中退。コロナ禍によって渡航は叶わず、2020年に神戸製鋼コベルコスティーラーズ(現コベルコ神戸スティーラーズ)の一員となる。日本代表歴はジュニア・ジャパンを経験したのち、2022年6月のウルグアイ戦で初キャップを獲得。ポジション=SOスタンドオフ。身長176cm、体重85kg。