キャプテン立川理道は今季のリーグワンMVPにも輝いた 41794人が詰めかけた国立競技場に、ラストワンプレーを示す後半40分のホーンが響き渡る。 クボタスピアーズ船橋・東京ベイのSH(スクラムハーフ)藤原忍のパスを受けたキックの名手であるS…



キャプテン立川理道は今季のリーグワンMVPにも輝いた

 41794人が詰めかけた国立競技場に、ラストワンプレーを示す後半40分のホーンが響き渡る。

 クボタスピアーズ船橋・東京ベイのSH(スクラムハーフ)藤原忍のパスを受けたキックの名手であるSO(スタンドオフ)バーナード・フォーリー(オーストラリア代表)がボールを力強くタッチラインの外へ蹴り出すと、滑川剛人レフリーがフルタイムを告げるホイッスルを吹く。スピアーズが昨季王者の埼玉パナソニックワイルドナイツに17-15で競り勝ち、チーム史上初の優勝、悲願の日本一を成し遂げた瞬間だ。

 前身のトップリーグから生まれ変わり、2シーズン目を迎えていたジャパンラグビー リーグワン(以下リーグワン)。その最上位カテゴリーであるディビジョン1の栄えある頂点を争うプレーオフトーナメントで、トップリーグ時代を含め、初めて決勝に駒を進めたスピアーズは一気に頂点まで駆け上がった。

【キャプテン立川理道は喜びをあらわにせず】

 優勝の瞬間、ピッチの選手たちは互いに飛びつくように抱き合い、フラン・ルディケHC(ヘッドコーチ)をはじめとするコーチ陣も熱い抱擁を交わして喜びを爆発させた。そのなかでひとりだけ感情の発露を抑えていた選手がいる。この試合のプレーヤー・オブ・ザ・マッチに選ばれ、決勝の2日後には今季リーグワンのMVPに輝くこととなるスピアーズのCTB(センター)、立川理道(たてかわ・はるみち)キャプテン。今季で在籍11シーズン目、キャプテン就任7シーズン目の、いわば"ミスタースピアーズ"だ。

 立川が天理大からスピアーズに加入した2012年度、チームはトップリーグの下部リーグであるトップイーストに降格していた。低迷期を経験しつつ、そこからチームのステップアップに貢献し続け、ついに最高の結果をつかみとった。立川はその喜びをこう表現する。

「今シーズンを締めくくるすばらしいファイナル(決勝)になった。それはスピアーズがやろうとしてきたラグビーができたからでもあるが、ワイルドナイツさんのプレーもあってのこと。そしてレフリー、ファンとともにレベルの高い試合を行なうことができた。そんな試合を勝ちきれて本当にうれしい」

 それでも優勝の瞬間から表彰式でトロフィーを掲げるまで、立川はほとんど相好を崩すことはなかった。なぜか。立川が理由を明かす。

「勝者がいれば敗者もいる。だから(対戦相手への)リスペクトは必要だと思っている。今日の試合を作り上げたのはこの両チームなので、まずはワイルドナイツさんに敬意を表し、それから喜びを感じながらトロフィーを掲げた」

 相手があってこそ、そしてレフリーやファンがいてこそラグビーは成立する。立川は過度に喜びをあらわにせず、周囲へのリスペクトを重んじたのだ。

【勝利を導いた立川理道のキックパス】

 試合を決めたのはそんな立川のプレーだった。

 前半、スピアーズはリーグ戦得点王のSOフォーリーが3本のPG(ペナルティゴール)を決めて9-3とリードしたまま試合を折り返す。後半に入り、スピアーズはPGをさらに1本成功させて12-3とリードを広げるが、勝負強いワイルドナイツに連続トライを許し12-15と逆転される。

 すでに後半25分を過ぎ、試合時間は残り10数分。それでもスキッパーの立川は冷静だった。

「(ワイルドナイツの)2トライ目で逆転された時、ハドル(円陣)のなかで『まだ時間はある。ここで無理に戦術を変えてしまうと逆に相手の思う壺にはまる』と話をした」

 あくまで信じて取り組んできたスピアーズのラグビーを貫くようチームメイトに指示した立川がビッグプレーを見せたのは、そのハドルを組んだ直後、後半29分だった。SH藤原のハイパントをWTB(ウイング)根塚洸雅が競り合いを制してボールキャリーする。ラックからパスを受けた立川は、左大外に構えるWTB木田晴斗に向けて長いキックパスを放つ。がら空きのインゴールへ走り込んだ木田のトライで、スピアーズは17-15と逆転に成功する。

 リーグ戦2位の16トライを挙げた、2年目の期待のウインガー、木田はこう振り返る。

「リーグ戦でも同じ場面があったので冷静に判断できた。(立川に)気づいてくれ、という思いだった」

 木田の懐に飛び込む正確なキックパスを放った立川も至って冷静だった。

「ボールをキャッチした瞬間は誰かにパスする、または自分で(ボール)キャリーする、といった判断をする必要があるが、横を見た時に木田が手を挙げていたので、そこで(キックパスという)いい判断ができた」

 ベテランと若手の冷静な判断とコミュニケーションが見事な決勝トライを生み出した。

【長い低迷期を経ての初優勝】

 トラクターなどの農機メーカーとして広く知られているクボタで、スピアーズの前身にあたるラグビー同好会が産声を上げたのは1978年。今回の優勝から45年も前のことだ。1984年に関東社会人4部リーグで優勝。入替戦に勝利し同3部リーグ昇格を決める。創業100周年の1990年にはラグビーがクボタのカンパニースポーツに位置づけられ、さらに強化が進んだ同年、2部昇格。1996年に1部で優勝し、1997年には全国社会人大会に初出場。翌1998年に最上位リーグの東日本社会人リーグへの昇格を果たす。

 2003年に開幕したトップリーグには1シーズン目から参戦し、リーグ黎明期は上位にこそ食い込めなかったもののリーグ中位を保ち続けた。だが、2010-2011シーズンは13位に終わり、前述のとおりトップイーストへ降格。翌シーズンに立川が加入し、2013-2014シーズンにトップリーグ再昇格を果たすが、その後は降格こそ免れていたものの下位が定位置のシーズンが続いた。スーパーラグビー(当時)の南アフリカの名門ブルズを連覇に導いた名将、フラン・ルディケHCが就任した2016-2017シーズンも12位、その翌シーズンも11位と結果が出ない時期が続く。

 それでもルディケHCを招聘した石川充ゼネラルマネージャーはその手腕を信じ、中長期的な計画のもと強化を続けた。「会社として、力強いトラクターのような日本で一番強いFW(フォワード)を作りたかった」という言葉のとおり、今やリーグトップのパワフルなFWが完成。BK(バックス)には経験値の高い立川やフォーリーに加え、木田や根塚といった活きのいいランナーが揃い、優勝を目指せる体制が整った。

 先人たちの腐心、会社のバックアップがあってこそ、今のスピアーズがある。立川はそれを重々理解している。

「会社が根強くサポートしてくれたからこの結果が出た。苦しい時代を知っているOBの方々からいただいたたくさんのメッセージ、そしてオレンジアーミー(スピアーズのサポーターの愛称)の応援も力になり、最後に勝ちきることができた」

 自身も低迷期を経験した立川の長いラグビーキャリアのなかで、優勝を決めた5月20日は一言でどんな日になったのだろうか。その質問に対して立川は少し考えたあと、こう答えた。

「恩返しの一日になった。トップイーストにいた時からも会社はトップレベルと変わらないサポートをしてくれたし、選手たちも少しでも順位を上げようと一生懸命やってきた。その思いを背負って、今日優勝することができたので、恩返しができたのではないか」

 優勝の2日後、立川は初めてMVPに選出された。表彰式の会場に入ってから受賞を知り「驚いた」と本人にとっては意外な結果だったようだが、この受賞もまた、今まで立川をバックアップしてきた会社や関係者に対する恩返しと言えよう。

 「リスペクト」と「恩返し」。ラグビーの競技性にも通じるその精神を胸に、33歳のベテランは引き続きラグビープレーヤーとして研鑽し続ける。