2024年パリ五輪のマラソン日本代表の座を狙う、女子選手たちへのインタビュー。パリ五輪出場のためには、MGC(マラソングランドチャンピオンシップ・10月15日開催)で勝ち抜かなければならない。選手たちは、そのためにどのような対策をしているの…

2024年パリ五輪のマラソン日本代表の座を狙う、女子選手たちへのインタビュー。パリ五輪出場のためには、MGC(マラソングランドチャンピオンシップ・10月15日開催)で勝ち抜かなければならない。選手たちは、そのためにどのような対策をしているのか、またMGCやパリ五輪にかける思いについて聞いていく。

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パリ五輪を目指す、女子マラソン選手たち
~Road to PARIS~
第1回・松田瑞生(ダイハツ)後編
前編を読む>>「東京五輪に出ていたらメダルもいけたんちゃうかな。涙が出てきた」失意の底からどう立ち直ったのか



2022年のオレゴン世界陸上では9位に終わった松田瑞生

「競技人生、最後の挑戦」

 松田瑞生は、そう位置づけてブダペスト世界選手権(8月19日開幕)とMGC(10月15日開催)の2レースを走ると決めた。

 多くのアスリートが五輪選考レースを優先するが、松田は二兎を追う。

「2本やるって言ったら『松田、そりゃ無理やろ』って今も言われるんですけど、私からすれば『何が?』って感じなんです。『無理やろ』って思われていることを覆した時の快感はきっとすごいと思うし、MGCと世陸で結果を残すことがみんなを一番驚かすことになると思うんです。ここまでいろんな経験を積んできたので、あとはもう悔いなくやらせてほしいんですよ。ずっと挑戦者でいたいと私は言い続けてきたので最後までそれを貫きたいんです」

 松田は、笑顔で、そう語る。

 世陸とMGCに同時に臨むのは、なかなかできることではない。しかし、そう思い立ったのは昨年のオレゴン世界陸上での経験が大きかった。

「レース自体は、最初から先頭集団から遅れてひとり旅だったんで、本当にキツかったんです。最初からハイペースで、私には無理だって思って一歩下がったんですけど、そのまま前に行くことができずに終わってしまって......。結局、勝負できなかったので、世界は厳しい、甘くないなと思いましたね」

 松田は、終盤追い上げたが2時間23分49秒で9位。優勝したゴティトム・ゲブレシラシエ(エチオピア)は2時間18分11秒だった。

「世陸に出た時、補欠で見ていた五輪よりもレベルが高いと思いました。世陸は優勝者に賞金が与えられるし、それを狙ってアフリカ勢を始め、本気で勝ちを狙ってくるんです。五輪は賞金がなく、ステータスの部分が大きい。確かに4年に1度で、五輪で走るのはめちゃ難しいですけど、それと競技のレベルはイコールじゃないと思うんです。オレゴンの世陸でマラソンを走った時、またこのレベルで戦いたいと思った。でも、ここで戦うためには最低ラインが日本記録になります。だから、私は日本記録を目指しているんです」

 本当の世界一は五輪ではなく、世陸や欧州のダイヤモンドリーグにあると言われている。とりわけダイヤモンドリーグは五輪や世陸のように各国の人数制限がないので賞金を獲得するためにアフリカ勢を始め世界から強い選手が集うレースになっている。

 日本記録を超え、本当に強い選手と世界で戦いたいと思うのは、ランナーとしての本能でもある。松田は競技引退という覚悟を決めたことで、その本能がより研ぎ澄まされ、今年の東京マラソンで野口みずきが持つ2時間19分12秒の日本記録更新を狙った。

 だが、2時間21分44秒(6位)と及ばず、ゴール後、号泣した。

「世界と戦うために日本記録は超えないといけないと思い、強い覚悟で臨んだのですが、達成できなくて......。このレースではアフリカ勢の強さをさらに感じました。優勝したローズマリー・ワンジル(ケニア)もそうですが、本当にアフリカ勢は強い。強すぎてまったく太刀打ちできていないですが、それでもレースでは勝ちたい。もう最後なんでやるしかないと思っています」

【年齢を重ねて感じる体の変化】

 日本記録を破って世界と戦うというところは、あるランナーと重なるところがある。自分史上最速と日本記録を破ることに走る意義を見出している新谷仁美だ。

 彼女との関係は、松田が17歳の時にさかのぼる。

 松田はインターハイに出場し、7歳年上の新谷が出場したレースでプレゼンターとして花束を手渡した。その後、大阪国際女子マラソンにともに出場し、オレゴンの世陸でもマラソンに出場する予定だったが、コロナ感染のために松田ひとりでの出場になった。

「新谷さんとは高校生の時、お会いして、その後、マラソンでご一緒する機会も増えたんですけど、私がすごいなと思うのは、練習です。距離はそれほど踏んでいないんですけど、質が高いんです。コーチの横田(真人)さんがメニューを組んでいると思うんですが、それがすばらしいんだと思います。私もそれまで距離を踏む練習を軸にやってきたのですが、質を高くして、体と相談しながらでいいかなっていうのを最近、考えるようになりました」

 松田は、まだ27歳。それほど年齢を考える時期ではないが、体のことは本人にしかわからないこともある。特に名古屋ウィメンズ2021以降は、「回復が遅れたり、痛みがすぐに抜けていたものが長引いたり、年齢的にきつさを感じる」と悩むことが増えたという。

「最近、それでちょっと悩んでいます。東京マラソンで痛めたところもまだ回復せず、ほんまにパリまで行けんのかなって思いますもん(苦笑)。とにかく私の場合、スタートラインに立つまでがいろいろ大変なので......逆にスタートラインに立ったら絶対に負けへん、絶対に勝つって、スイッチが入って、怖いもんなし状態になるんですけどね(苦笑)」

【ニンジンを目当てに頑張る?!】

 スタート前は、松田曰く「ネガティブの塊」だという。ヤバい、無理かもしれない。ありとあらゆるネガティブワードが脳裏を駆け巡る。

 レースの数週間前からは人格が変わる。

「レースが近づくとピリピリしだすので、よく目つきが怖いって言われます。怒っていないのに、めちゃ怒っているように見えるらしく、しゃべり口調もきつくなるって言われますね。自分ではそんなつもり全然ないんですけどね。周囲は空気を読んでくれて、距離をとってあまりしゃべりかけなかったり、逆にレースとは関係ない他愛もないことで話しかけてくれたりします」

 松田は、レースが近づくと競技の話をあまりしたくないタイプ。昔は甘いものが大好きで、レース後に食べるパンケーキの話や次に行く旅行の話をすることでモチベーションを上げていた。

「レースは、そのために頑張る感じです。ニンジンをぶら下げられるとぴょんぴょんして取りに行くタイプです」

 パリ五輪を目指す理由のひとつは、ニンジン作戦に松田が乗っているからでもある。

「旦那さんを含めて家族、監督がパリ、パリというので、みんなの夢を叶えてあげられるのって最高じゃないですか。しかも、旦那さんがすごいニンジンをぶらさげてくれて(笑)。私、ヴィトンが好きなんですけど、パリに行ったら凱旋門の近くにあるお店に連れて行ってくれるんですよ。さらにエルメスのパリの本店でお買い物させてくれるっていうんです(笑)。そのために今は必死になって、パリ五輪の出場権をとりにいこうと思っています」

 松田が世陸とパリ五輪の二兎を追うのは、もちろんぶらさがったニンジンを得るためだけではない。応援してくれる家族、監督、そして東京五輪の選考レースで傷心の自分を励ましてくれたファンへの気持ちに応えたいという気持ちが強く働いているからだ。

「私は、自分のためにというより人のために頑張れるタイプなんです。オレゴンも監督が行きたいというので、そのために頑張ろうって思って、行くことができた。他人のため、応援してくれる人のため、誰かのために頑張ろうと思うと、いつもの倍以上の力が発揮されるんです。その気持ちで、今回は2レースを走ります」

【短期間で世界陸上とMGCに挑戦】

 競技者としてのプライドもある。今年の東京マラソンで日本人トップとなり、世陸への出場権を得た。松田が辞退すると2位以下の選手が出場権を得ることになるが、トップの選手が出てこその世陸という思いがある。

 ただ、8月の世陸に出れば、10月15日のMGCまで2カ月弱しかない。本当に二兎を追えるのか、MGCに絞るべきではないか、という声が今も松田の耳をかすめていく。

「難しいのは承知しての決断です。私はMGCがあるからといって、世陸を練習程度にとは思ってはいません。そこで勝つために練習し、勝ちにいってのMGCになります。正直、どれだけのダメージが残るのかわからないですし、MGCのスタートラインに立てるかどうかもわからない。でも、残り少ない競技人生を悔いのないものにするために、いろんな人に未知の世界に挑戦する自分の姿を見せたいと思っているんです。一概に無理とは言わず、そういう姿を見せることがこれからマラソンを走る人への刺激になると思いますし、みんなに何かを残せるようなレースにしたいと思っています」

 2レースに勝ち、有終の美を飾る。そこに松田なりの引き際の美学がある。

「私は、ボロボロになってやめたくないんです。みんなの記憶に残るように花が咲いたまま、トップのままでやめたい。東京五輪で最後だと思っていましたが、それからここまで自分が続けてきたことは誇ってもいいかなと。競技人生の集大成として残りふたつのレース、そしてパリ五輪に挑みたいですね」 

 7月からアメリカ合宿に入り、準備を進めていく。

 8月と10月、松田がどんな花を咲かせてくれるのか。家族も山中美和子監督も、そして東京五輪の際に支えてくれた多くのファンもきっと「満開」を願っているはずだ。