リコーブラックラムズ東京でプレーする松橋周平。過去に3度の靭帯断裂という大怪我を乗り越え、常に進化してグラウンドへと帰ってきた。 2月4日の第7節(横浜キヤノンイーグルス戦)で負傷し、そのままシーズンを終えてしまったが、昨年負った3度目の…

リコーブラックラムズ東京でプレーする松橋周平。過去に3度の靭帯断裂という大怪我を乗り越え、常に進化してグラウンドへと帰ってきた。

2月4日の第7節(横浜キヤノンイーグルス戦)で負傷し、そのままシーズンを終えてしまったが、昨年負った3度目の靭帯断裂の手術・リハビリから今シーズンは開幕戦から出場。ゲームキャプテンを務めるなどチームを牽引していた。

本編では、今も続く松橋の不屈のラグビー人生を追いかけた。

(取材協力 / 表紙写真提供:リコーブラックラムズ東京 、文:白石怜平 ※以降、敬称略)

ルーキーイヤーから活躍、新人賞とベストフィフティーンに

松橋は明治大学から2016年にブラックラムズへ入団。複数のチームから誘いがあった中、一番最初に声をかけてくれたチームだった。

朝6時の朝練の開始前から毎日グラウンドに来て声をかけ続けてくれたことから、「ブラックラムズを強くしたい」という想いが芽生え入団を決意した。

2016-17シーズン、早速実力を発揮した。開幕戦のNECグリーンロケッツ(現:東葛)戦にNo.8で先発出場すると、開始5分でチーム初トライを決めるなど突破力を発揮し、勝利に貢献した。

その後もレギュラーとして離脱することなく出場を続け、この年全15試合に先発出場しチームトップの10トライをマーク。チームを前年13位から6位へ大きく押し上げた原動力となった。

さらに、この年の新人賞・ベストフィフティーンを受賞するなど、ルーキーイヤーから主力選手へと駆け上がった。

「入団時の想いの通り、自分のマインドとしては『ブラックラムズを俺が変えてやる』という気持ちでいたので、そのままの勢いで行けました。周りを気にせず、強い意志を持って1年目から『ガンガン行くんだ、このチームを変えるんだ』と臨めたのが結果いい形になったのだと思います」

強い気持ちで1年目から活躍し、タイトルも獲得した(提供:リコーブラックラムズ東京)

17年、日本代表とサンウルブズでフル回転

そして日本代表にも選出された。この年に就任したジェイミー・ジョセフHCが率いる初陣でもあるアルゼンチン代表に出場し、代表初キャップを獲得した。

メンバーもリーチ・マイケル(東芝ブレイブルーパス東京)や堀江翔太(埼玉パナソニックワイルドナイツ)など錚々たる面子が名を連ね、松橋は最年少で選ばれた。

がむしゃらさと勢いでぶつかっていった1年目。最高峰のリーグでシーズンを戦い抜き、さらに国内トップレベルの選手たちとともに過ごすことで、より深くラグビーを知るきっかけになったという。

「1年目は勢いで行っていましたが、代表に行くとラグビーのディテールをすごく勉強するようになったのが変わった点です。戦術もしっかり考えるようになりました」

日本代表での経験が1つの大きな経験になった

翌17年はシーズン開幕前からフル回転。3月から7月にかけて日本代表やサンウルブズの試合で国内外を戦い、そのまま8月に2年目のシーズンへと臨んだ。

開幕から先発出場し、2試合目の(現:東京)サントリーサンゴリアスでトライを決めるなど順調なスタートを切った。

チームも10節までは勝率5割でウインドウマンスへ突入。松橋も引き続き代表に選ばれ、世界選抜との戦いに臨んだ。

「この1、2年はすごく充実していました。怪我するまでは…」

順風満帆にも見えた中、アクシデントが松橋を襲った。

日本代表での試合中、右膝前十字靭帯を断裂

2年目の17年、日本代表そしてサンウルブズのメンバーとして3月から世界を戦い回り、8月の2017-18シーズン開幕後もレギュラーとしてブラックラムズの要を担っていた。

10月28日に行われた世界選抜との一戦にも日本代表として選出され、試合に臨んだ。しかし、ここでアクシデントに見舞われてしまう。

後半から途中出場した松橋は、ブレイクダウンの中でボールを奪い合っていた。その際に、相手からのカウンターを受けて自身の右膝に乗ってしまった。

最後までプレーは続行したが、その後腫れと強い痛みに襲われ歩くのもままならなくなった。

「ちょっと待ってくれよと思いながら…MRI撮っていた時も『頼む頼む頼む…』と祈っていました」

しかし、その診断結果は「右膝前十字断裂」

手術した場合、長期のリハビリを要するため競技復帰までは半年以上かかる大怪我。シーズン中の復帰も絶望となり、チームそして日本代表から離脱することとなってしまった。

当時の苦労を振り返った

1年目から順調に来ていたラグビー生活、約2年後に控えていた日本でのW杯代表入りも射程圏に捉えつつあった。一気に目標が目の前から消えてしまい、不安にも苛まれた。

「(大学時代に左膝で経験し、)リハビリが長いのも知ってるので、またやるのかよと…あとW杯のことが1番強かったです。大会から2年を切っていたので、ここから代表としてもっとアピールしていきたいという中での怪我だったので、大丈夫かなというのはありました」

JISSで出会った他競技のアスリートたちと西大伍からのアドバイス

翌月に手術を行い、長いリハビリ生活が始まった。リハビリの際、松橋は国立スポーツ科学センター(JISS)に通っていた。

ここでは、さまざまな競技のアスリートたちが通っており、松橋にとってもラグビー以外の選手と関わる貴重な機会となっていた。

「他競技のアスリートの方たちがどういう生活をしていて、どんなマインドで取り組んでいるかなどを知ることができました。アスリート同士なので、刺激し合う関係にもなれてすごくいい機会になりました」

この機会は、松橋のメンタル面においても大きな支えとなった。JISSをきっかけに交流を深めるようになった北海道コンサドーレ札幌の西大伍(当時:鹿島アントラーズ)からも励ましを受けるなど、焦りが徐々に消えていった。

長くプレーするために見直した身体の使い方

長きに亘るリハビリは、自分と向き合う時間にもなった。ここで、もう1つ新たなきっかけを得る機会になった。

「自分のプレースタイルは1年目の時のように勢いでやっていました。これではまた怪我するなと。どこで怪我してもおかしくないと感じたので、考え方を変えようと思いました。

プロ選手になって、長く現役としてプレーしたいのにこのままだとまた早く終わってしまう。なので、身体の効率的な使い方など学ぶようになりました」

松橋が教えを受けに行ったのは、母校明大のラグビー部時代にケアを受けており、現在も同校で理学療法士を務めている真木伸一(のぶかず)。

真木の運営するジムへ毎週足を運び、身体操作を中心とした怪我をしない身体づくりに向けたトレーニングを一から取り組んだ。

一から身体の使い方を見直し、故障前より進化して帰ってきた(提供:リコーブラックラムズ東京)

真木からの指導で会得した身体の使い方で、どうラグビーに活かすことができたのか。ここで自身の強みが磨かれていったという。

「今までパワーでなんとかしようと思っていたのですが、背骨がある状態になっていると出力が加わりやすく効率的に押せる。といったことを学ぶことで、実際にボールキャリーやタックル時に活かせたことが何度もありました。

自分の持ち味はジャッカルなのですが、真木さんに教わった動きからジャッカルにもさらに磨きがかかったと思います」

復帰後は名実ともにチームのリーダーに

リハビリとトレーニングを経て18年は開幕戦から復帰。同時にチームの副キャプテンに就任した。開幕からNo.8で出場し、第2節の東芝ブレイブルーパス(現:東京)戦でトライを決めるなど、復活をプレーで見せた。

リーグ戦・カップ戦ともに順位決定トーナメントまで出場し、シーズン通じて試合に出続けることができた。2019-20シーズンからは共同キャプテンに就任。コロナ禍で中断となるまでチームを牽引した。

サンウルブズへ復帰し、ナショナル・ディベロップメント・スコッド(NDS)にも選ばれるなど日本代表の再選出の可能性も出てきていた。

しかし、ずっと目標に置いていたW杯の日本代表入りは悔しくも逃すこととなった。

「もちろん悔しかったです。ただ、落ちたことには理由があります。1日1日を大切にして、調子いいなと思った時でも謙虚に自分の体と向き合ってベストパフォーマンスをとにかく出すことにフォーカスしようとすぐに切り替えました」

昨年、3度目の大怪我と戦場への帰還

トップリーグ最終年の2020−21シーズンは5位タイとなり、松橋を中心としてチーム力は確実に上がっていた。

そして2021−22シーズンからは新リーグ「NTT JAPAN RUGBY LEAGUE ONE」(以下、リーグワン)が発足。松橋はチームの主将を明大の後輩・武井日向へと引き継ぎ臨んだ。

しかし、松橋にとって22年はまたもや試練となる年となってしまった。3月12日、第9節の神戸コベルコスティーラーズ戦での試合中の出来事だった。

「ディフェンスに行こうとしていて相手が来るのは分かっていたのですが、足だけ残ってとらわれて右膝が入ってしまいました」

ここでの検査結果はまたしても「右膝前十字靭帯断裂」

3回目となる手術そしてリハビリを強いられることになった。ただ、インタビューでは「リハビリのプロフェッショナルになりましたよ」と明るく語るなど、過去2度乗り越えた精神は伊達ではなかった。

「僕は復帰したときにどんな状態で戻ってきたいかをイメージして、そこから逆算してリハビリやトレーニングに取り組んできました。それが一番大変なのですが、むしろやりがいと感じています。

一度チームを離れてしまっているので、強くなって戻らなければいけない。しかも改善できるチャンスがあるわけです。自分と向き合えるので。それを無駄にしたくないですから」

リハビリを”チャンス”と前向きに捉えた

その前向きさを失わずリハビリに励み、同年12月から開幕している今シーズンは開幕戦から出場した。2月4日の横浜キヤノンイーグルス戦を最後に戦列から離れシーズンを終えてしまったが、来シーズンからの復帰に向けて鍛錬を続けている。

影響力ある選手になるために「必ず日本代表に返り咲く」

学生時代から3度の大怪我から復活を果たし、パワーアップしてグラウンドへと帰ってきている松橋。ブラックラムズを優勝に導くだけでなく、個人としてもまだ”忘れ物”がある。その想いを語ってくれた。

「もちろん日本代表に戻ってプレーしたいです。『松橋はもう日本代表には入れないんじゃないか』と思われているかもしれません。でも、そこに対しては『絶対見てろよ』と。

必ず戻って日本代表として返り咲きたいですし、多くの方に良い影響を与える人間になりたいと思ってますので、代表への想いは常に持ち続けてやっていきたいです」

日本代表への返り咲きも目標の1つである(提供:リコーブラックラムズ東京)

そして、これからも続く松橋周平のラグビー人生、これからどう送っていきたいかを訊いた。

「僕はラグビーが本当に大好きです。自分がブラックラムズに入って情熱を持って取り組んでいるので、その情熱で周りの人たちに影響を与え続ける。さらに結果を出すことで影響の輪が広がっていきますので、たくさんの方たちに影響を与えられるラグビー選手になってきたいです」

まだまだ松橋のラグビーの灯は輝き、決して消えることはない。今シーズン途中で離脱し、チームも7位で終えた悔しさは、来シーズンの開幕戦からピッチで晴らしていく。

(おわり)