ダルビッシュ賢太インタビュー(後編)がん闘病中「たぶん、俺、病気してよかったんです」 ダルビッシュ賢太──。 かつて俳優として活躍し、その後トレーナーに転身した彼は、「ダルビッシュ有の弟」であることに自覚的であり、その事実を全面的に受け入れ…
ダルビッシュ賢太インタビュー(後編)
がん闘病中「たぶん、俺、病気してよかったんです」
ダルビッシュ賢太──。
かつて俳優として活躍し、その後トレーナーに転身した彼は、「ダルビッシュ有の弟」であることに自覚的であり、その事実を全面的に受け入れつつ、これまでもTwitter等で情報発信をしてきた。
その彼は現在、昨年発覚した精巣がんとの闘病生活を、包み隠さずSNSで発信している。
今年3月上旬には、京セラドーム大阪で行なわれたWBCの日本代表強化試合を観戦に訪れ、兄・有と久々の対面も果たすことができた。
抗がん剤治療のさなか、実現したこの観戦と兄との交流を、本人は「奇跡」だったと綴る。その言葉の背景とは? そして彼が語る「兄・ダルビッシュ有」の人物像とは?
病院のベッドから応じてくれたリモートインタビューの後編をお届けする。
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トレーナー時代のダルビッシュ賢太
── 賢太さんは3月上旬に京セラドームを訪れ、有さんにも会えたとTwitterでも明かしていました。有さんとは、どのような言葉を交わしたのでしょう?
「僕から言うことっていうのは、基本なくて。僕も退院と言ってもグロッキー状態で、そんなに元気じゃないんですよ。
あの時は、有が『せっかく俺も(WBCの試合で)大阪に行くんやし、病院に行ったら賢太の顔くらい見れるの?』って言ってくれたんですけれど、彼も日本代表としてチームのスケジュールで動くんでね。僕も面接できる時間は家族のみで、それも1日2時間くらいしかないんです。だから最初はスケジュールが合わなく無理やったんですよ。
なんですけどね......そこは不幸中の幸いで。僕、血管が細くて点滴の針がなかなか刺さらないんです。強化試合があった日は、抗がん剤治療は一旦終わって『流し』と言われる、要はスポーツドリンクのような浸透性のある液体を身体に入れるプロセスの時だったんですね。
そのための針がなかなか血管に刺さらず、何度も何度もやり直していたら、主治医の先生が部屋に入ってきて、『賢太君、スポーツドリンクみたいな液体を2リットルくらい飲めるんやったら、点滴いらないよ。今日退院してもいいよ』って言ってくれたんです。
そこで先生に『今日の夜に大阪でWBCの強化試合があるんです。兄が個室を用意してくれるので、移動の導線も確保できるし、ほかの人と触れずに済むみたいです。無理だったらいいんですが、もしかしたら行けますか?』と聞いたら『だったらええよ』と言ってくれて。それで本当に、たまたま行けるようになったんですよ。
でもその日は、朝、昼と身体がしんどくて。試合は18時からですが、16時に起きた時はしんどくて『無理かな』と思ったし、母にもそう伝えたんです。でも、もう一度寝て17時くらいに起きた時にはちょっと元気になって。『18時に来られる?』と聞かれたので、思いきって行って有の顔を見たら、やっぱ元気出てきて。
結局、1時間か2時間くらいおったかな。有と会って『大丈夫?』『まあまあ大丈夫よ』なんて話をして。『今こういう事情で、こういう副作用があって今日も来たけど、しんどいからもう1時間くらいしたら帰るわ』って言ったら、有はとなりの部屋も取っていてくれたみたいで、『こっちの部屋も使うようにね』って言ってくれて。有ができることは、全部やってくれたと思うんです......ねえ、やっぱり兄弟なんでね。
その有が、今回WBCに参加する意義とかね、MLBシーズンへの調整がメインのなかで出ることの意味を僕も感じていたので、余計に顔を見られてしゃべると、元気が出ましたよね」
── 賢太さんは、ご自身を『世界一のダルビッシュ有のファン』とおっしゃっていました。でも、過去には嫉妬などはなかったのでしょうか?
「僕は思春期の頃から、兄への嫉妬なんてまったくなかったですね。シンプルに、嫉妬するに及ばない人物なので。
子どもの頃は練習に行くのが嫌だ嫌だと言いながらも、結局、続けてきたから今がある。努力に努力を積み重ねて、もちろんプロ入りすぐの頃は才能も相まって結果を出せた部分もあったかもしれないけれど、そこからいろんな経験と失敗も経て、努力をしている姿っていうのは、僕はもうずっと見てきた。
次から次へとチャレンジして、失敗してもそこから学び、腕のじん帯が切れた時も絶対にあきらめず、治療と向き合ったりというのを全部見てきている。だから、なんだろう......リスペクトしかないですよね、シンプルに。
人間として見ても、本来、魅力的な人なんです。今回WBCの報道を通じて、ちょっと有の人間性みたいなものが見えたじゃないですか、チームメイトとよく話したり。世間的には『そんなイメージがなかった』とか言われてましたが、僕としては、もうめちゃくちゃ普通なんですよ。
有はずっと後輩の面倒見がいいし、優しいし、自分の技術は惜しみなく出すし、野球大好きすぎて教えてほしがるし(笑)。あの地位にいるのに、すごく謙虚でいられる。そういう点でも、あんまりほかに見ないタイプの人物かなと思います」
── 具体的に、世間で思われている"ダルビッシュ有"のイメージと、賢太さんの知る兄の違いはどんなところでしょう?
「やっぱり今回のWBCでの、有の後輩やチームメイトへの対応ですよね。SNSとかでは『ダルビッシュ、めっちゃ変わったな』とか『めっちゃ成長してるな』とか言われてたけれど、僕としてはもう有は23〜24歳くらいから、ずっと今の感じなんですよ。彼がメディア嫌いになっちゃったので、あまり世間に伝わってこなかっただけで。
あの頃の有って、今の大谷(翔平)くんみたいな感じだったんですよね。もう、あることないこと書かれて、ほんまにメディアが嫌いになった。有は、あまり美化されるのも嫌なんです。もう普通というか、そのままがいい人なんで。
あと、自分がブログとかに書いたことを、そのままアップしてネット記事とかにする人を、『こんなのが仕事なのか?』と許せないタイプなんです。そんなんでメディア嫌いになっちゃったので、そこからメディアでの発信がない。
だから世間のイメージは、プロ入りしたばかりの、タバコ吸ってスロット打ってるダルビッシュで止まってるわけです。だから『ダルビッシュ、成長したな』なんて36歳になって言われちゃうんですが、僕にとっては、ずっと今の有でした」
── 賢太さんご自身のキャリアでいうと、少年時代は野球やサッカーもやり、その後は俳優業やトレーナーもされた。どうしてそのような道を歩まれたのでしょう?
「もう、その時にやりたいことから、順番にやってきただけであって。うん、本当にやりたいことをやってきただけです。それ以外はないですよ。
野球やって、サッカーやりたくなったからサッカーやって、なんか俳優やってみようかなとやって。その後、世界一周旅行したんです。するともう暇なんで、ちょっとトレーニングをはじめて、そっからトレーニングにハマり、トレーナーと出会ってトレーナーになって。今はサプリメント会社に勤めています」
── トップビルダーでトレーナーのミロシュ・シャシブ氏の指導を受けにロサンゼルスに行ったのはトレーナー時代ですか?
「そうですね、ジムをオープンしたあとです。なにかを教わるとかそんな次元ではなくて、一方的にミロシュのトレーニングを受けたいと思っただけです。(ハードなトレーニングで)地獄を見ました(笑)。でもミロシュは人間味があり、あのクラスのトレーナーなのに人の話を最後までしっかり聞く。どんな意見も頭ごなしに否定しない。そこは有に似てるなと思いました」
── そういえばTwitterなどに動物の写真を多く投稿しているなと思ったんですが、なにか理由はありますか?
「僕はもう、動物大好きです。苦手な動物もいないですし、蚊も殺せないですよ。それは昔から。なんでなんかわかんないですけれど......なんか動物って、すごい素直で純粋じゃないですか。難しいことがないし、裏表がない感じがするし。やっぱり、愛が強い感じがするし。なので、動物には本当に力をもらってますね。
このがん治療が終わったら、保護犬になるのか、ペットホテルのようなものなのか......まだ決めてはないんですけど、ワンちゃんに関わることをやろうかなって考えてますよ。それが今のモチベーション......ってほどではないですが、病気が治ったらやりたいことですね」
インタビューの間、賢太氏はたびたび「人間というのは、そんなによくできたものではない」「僕もダイエットをやろうと決意しても継続できない、そんな人間なんですよ」と口にした。
賢太氏は今、抗がん剤治療の3クール目の中盤から終盤戦を戦っている。
「全身の毛穴から突き抜けるしびれ」がありながらも、Twitter等での配信も変わらず続けている。「見た人が1日2〜3秒でも『今日も頑張ろう』と思ってくれたらうれしい」という、その一瞬のために──。
(了)
【profile】
ダルビッシュ賢太(けんた)
1992年1月19日生まれ、大阪府羽曳野市出身。イラン人の父と日本人の母を持ち、3人兄弟の三男として生まれる。長男はサンディエゴ・パドレス所属のダルビッシュ有、次男は元総合格闘家のダルビッシュ翔。2009年から「KENTA」の芸名で俳優活動をはじめ、その後パーソナルトレーナーに転身。2022年に精巣がんが見つかる。身長176cm。